2018年10月22日月曜日

第235回 野外イベントって、いいですよね。野外ジャグリングイベント、も、あったらいいですよね。

昨日は、めまぐるしく外を回った日。

午後1時半くらいに、二俣川で開催されていた、「相鉄ロックオンミュージック」というイベントを観に行った。
Chu-Zという、最近話題の「ジャグリンドル(ジャグリング+アイドル)」が所属するアイドルグループと、RAB(リアルアキバボーイズ)という「オタク」をテーマにしたブレイクダンスのグループが出ていたので、チェックしに行った。

開催されていたのは、駅から歩いて20分ぐらいのところの、こども自然公園、という大きな公園。
ぐるっと回ってみたのですが、とにかくでかい。
昔、こういう公園でザリガニ釣りをしに、家族で出かけたのを思い出しました。
実際、誘ってくれたヨコハピのけんと君はここが地元で、ザリガニも釣ったことがある、という。
青空の似合う公園。
おとといと違って天気もよくて、中には芝生に寝転がる人もいる。犬なんかもたくさんいる。
屋台もたくさん出ていて、入場は無料。
ふらっと公園に遊びに行く、という気分で、たくさんの音楽を聴いたり、ショーを見ることができる。
公募で選ばれたバンドのライブや、ゲストとして呼ばれたダンサー、ミュージシャンたちのショーがあります。

野外イベントって、いいですよね。
しかも無料で入れる、というところもいい。

こういう感じで、ふらっと来られる、ジャグリングに関するイベントがあったらいいよなー、とつくづく思います。
…、と、思うと、ヨーロッパで開かれているジャグリングコンベンション、ってまさにそれで、(有料なことが多いけど)だから好きなんだな、と改めて思う。

まぁ、ジャグリングだけじゃなくてもいいんだ。
こういうイベントに、ジャグリングがくっつくのでも、いい。
ジャグラーじゃない人のためにジャグリングをやっている、というのがいいよな。

けど、井の頭公園で毎月やっている「井の頭ポイ」や、おととい代々木公園でやっていた、これもほぼ毎月のイベント、「ピザ回し練習会」なんかも、なんか、スピリットは似ているんだよな。(行きたかったな。行けなかった。最近全然行けていない。PM Jugglingの板津さんと、ピザ回しすとのそいそいが一緒にやっていて、とても雰囲気のいいイベントなのです)

じゃあ僕がやるか、って?

さあ、どうしようか。


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2018年10月21日日曜日

第234回 僕が「ジャグリングをやっているからできること」

今日は普段お世話になっている地区センターに行って、パフォーマンスをしました。
「ジャグリングとはなにか」というようなことを、ただただ喋りながらやる、ということをした。

ジャグリングをやっているんです、というと、「大道芸人、ということですか?」と聞かれることが多いです。
別に全然構わないんだけど、その「違い」(って言っていいのかもよく分からないけど)について話したら、面白いんじゃないか、と思った。

で、そういうことをして、実際わりに好評だった。

こういうのって、僕が「ジャグリングをやっているからできること」だよな、と、あとから思った。

ジャグラーとしてできることは、ジャグリングを、一定のフォーマットで見せるということだけではない。
30分何かやってください、と言われたので、とにかく、何か、ジャグリングに関係したことを30分やるしかないよな、と覚悟したら、こういうようなものが生まれた。

30分も一人でジャグリングパフォーマンスなんかしたことなかったですからね。

でも、30分ぐらい、冗談言い続けるのとかは、できる。

自分が好きで、かつ得意なことを、自然にジャグリングに近づけると、こういうこともできるのか、そうか、と、何か肩の荷が少し降りて、そして視界が少しひらけたような気分だった。


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2018年10月20日土曜日

第233回 僕がフランス語を話したいわけ 〜冗談飛ばしあったりしたいんだよな〜

ニノというディアボロプレイヤーに、先月頭に台湾で会った。
といってもニノと僕の付き合いもそれなりに長くて、3年前から知り合ってはいたし、(同じディアボロバトルで戦った)昨年のEJCでもいっしょにディアボロして遊んだ。

ニノはフランス人で、フランス人にしては、英語がかなりうまい。(いや、失礼なこと言ってますが、傾向として、フランスの人は、他のヨーロッパの人と比べて、英語に難がある、ということが、僕の経験と照らすと、ちょっと多い。まぁ、いろんな傾向が、あるよな)

ニノとは英語で問題なく話せるんだけど、ふとこちらが拙いフランス語で話しかけたら、ぱっと顔が輝いて、「フランス語喋れるのかい」と聞いてきた。
まぁ、勉強はしているんだ、と言うと、「いつかフランス語で話したいな」と目を輝かせていた。
僕としては、ああ、これは、頑張りたいなあ、と思った。

今年久々にあったエティエンも、同じことを言ってきた。
わはは、と笑って、「君がフランス語喋ってんのすごい面白いな、これからはフランス語で話そう」と言った。
やっぱりこういうことも、僕のフランス語学習を後押しする。
そうだよな、やっぱり自分の言葉で話しかけてくれるのって嬉しいよな。

検定試験とか、僕は個人的には好きだし、遊び感覚でやりたいなと思うことはあるけど、「TOEIC対策」みたいな、圧迫されるモチベーションで「勉強」するのって、あまり面白くないよなぁ、と思う。
フランス語の検定試験とか、受けようかなー、と思っちゃいるけど、まぁ、ペースメーカーですよね。

いろんな動機があるだろうから何でもいいんだけど、僕はやっぱり、ジャグリングしていることで人と繋がったように、外国語やることで人と繋がりたいなあとは思う。

というわけで今日もフランス語の練習、やりましょう。やりましょう。
ニノやエティエンと、冗談飛ばせる日を楽しみに。

2018年10月19日金曜日

第232回 狂ったようにやることについて(「ジャグラーと話すための外国語」シリーズ)

5ボールをできるようになった時のことを思い出している。

もうその時は、とにかく5個のボールを投げる、ということしか見えていなかった。
その、どう考えても僕なんかにはできると思っていなかったようなことが、少しずつ3ボールの技を覚えたり、4ボールの技を覚えたり、毎日やっているうちに「現実的な線」になってきて、やがて、「もうすぐできる」になっていく感じ。

しかも別に「毎日やらなきゃだめだ!」という義務感で、というよりは、勝手に毎日のように少しはやっていたように思う。

できるようになるかもしれない、という、その角に見えているところに向かってひたすらやっていた。

もはや、その時は狂ったようにやっていた。

外国語を勉強するっていうのは、さらっと言うけれども、すご道のりの長いことだ。
「英語くらいは喋りたい」というけれども、英語くらい、って、英語ひとつ喋るのだって、すごく時間のかかることなのだ。

でもその時間のかかることに対して、どう乗り切るかと行ったら、やっぱり、楽しんで狂ったようにやるしかないだろうな、と思っている。

2018年10月18日木曜日

第231回 改めて、フランス語をどの辺りからやっていくのがいいか考えている。(「ジャグラーと話すための外国語」シリーズ)

改めて、フランス語をどの辺りからやっていくのがいいか考えている。
「最終的にフランス語をどう使うのか」
考えるアプローチと、
「わくわくするかどうか」でやるかどうか決めるという両方を考えるのが大事だろう。

ジャグリングのアナロジーで考えている。
入門書みたいなものに書いてあることを一通りできるようにすると、助かる。
でも別に全部できなくてもいい。
できそうなやつ、やりたいやつだけやる。

上手くなりたいのは、ワクワクすることがあるからだ。
だから受動的に「ワクワクすること」も常に補給する。

だから、差し当たりの最終形を志向しつつ、「フロー状態で楽しく基礎をやる」というのが一番いいよね。
どっちかになっちゃうんじゃなくて、頭に置きつつ、やる時は完全に切り離してやる。

「なにかを心配しながら」単純記憶作業をやるというのはかなり難しいのだ。

2018年10月17日水曜日

第230回 昨日の外国語ツイートまとめ(「ジャグラーと話すための外国語」シリーズ)

最近外国のジャグラーと話す機会が多い。
これは特に欧米の人と話すと問題になるんだけど、「どうして日本人は政治の話になると黙ってしまうのか」と言われる。

そもそも僕は日本人同士で、政治の話ってするだろうか?
しないんだよな。
一番直近で友達と政治の話をした時なんて思い出せない。

翻って、僕の周りのヨーロッパの人、アメリカの人と喋ると、その意見の傾向はどうあれ、ひととおり政治状況について語る言葉を持っている。
というか、流れで、そういう話になることが割に多い。

他にも、歴史の話にだってなるし、国の若者の考え方の話にもなるし、実にいろんなことを英語で(もしくはイタリア語で、あるいは場合によっては致し方なく、至極拙い中国語で)語ってきた。

そういう立場の人間としても、僕は曲がりなりにも外国人と話す機会がかなり多いわけだから、もっといろんなことを勉強して、もっと考え方を豊かにして、少なくとも自分の周りに起こっていること、というのを、俯瞰して見た、その状況を日本語ではない言葉でも伝えられるようになりたいな、と思う。

それは、現実的に、僕の「責任」であるように思う。
昨日は、1871年の岩倉使節団を描いた看板を見たエミールに「これはどういうことなのか/これより以前の時代の日本はどういう状況だったのか/将軍とは何か/天皇との関係はなんなのか」
色々聞かれた。

まぁ、一応勉強はしたし、なんとか流れくらいは覚えているから、それを思いつくままに英語で説明する。
(こういう時に、年号、ってもんを覚えているのがすごく便利だ。彼らが知っているのと同じ時の流れの中に、事実を配置できるからだ)

ここ何年か英語を「話す」生活をしている。
すると、「英語で話す内容の定型パターン」というのが見えてくる。
その定型パターンを学ぶことは第一段階としてある。
たとえばアメリカ人と話をする時に、今ならば「トランプ大統領」という人間をネタにしたジョークを言いがちだ、とか。

それで、そういう話題になった時に、どーも「こういう場合にはこういうこと言うのがまぁリベラルな人間だわな」みたいな感じで、「よく言われること」をそのまま言ってしまうことがある。
それで、「英語で何か言えた気になって」しまうことがある。

最近だとLGBTの話題なんかもそうだよね。
実際自分はどういう風に思っているのか、ということを、「ニュアンス」を超えて、相手に響くレベルでうまく言えない、というケースはすごく多いのだ。

ではなぜそれが難しいのか。
それは、日本語でそのことについてあまり深く話すことが少ないからだ、と思う。
(これは一般的傾向ではなく、少なくとも自分が、ということ。)

そりゃあ現代の若者として、とおりいっぺん、LGBTについてどう思うか、政治状況についてどう思うか、もちろん考えちゃいる。
けどそれを「語り合う」ということはしていない。
もしかすると、それは今のところ、日本の若者全体で見ても、傾向として、欧米に比べたら、話されていないことかもしれない。

で別に、これはもちろん「欧米の人ってなあ、ちゃんと意見を持っていていいよな、それに比べて日本は…」なーんてふうに言いたいんじゃないのだ。
僕が言いたいのは、まず「日常で話される話題」というのは、国によって随分違うんだ、ということ。
だからそれぞれ話題ごとに、得手、不得手がある。当たり前である。(要するにそれは習慣の問題なのだ)

それよりも、そういう状況の中で、自分はどういう立場にいたいのか、それを見極めるのが、大事だよな、ということである。

僕は少なくとも英語を覚えよう、と決心して、現在英語がある程度喋れる。「国際的な場」で発言することも多くなってきた。
だから、相手の「考え方」のバリエーションも必然的に多い。
それで、「こういう場合にはこういうことを言うんだ」というレパートリーを増やさなきゃな、と思っているのだ。

そんなわけで、僕にとっては、それが「外国語を喋る自分を鍛える」ということだ。

だからそれは「いろんな単語を覚える」ということでもある一方で、「面白いこと言うヤツになる」ということでもある。
そのために、「日本語でもいろんなことを読んだり書いたり喋ったりする」ということでもある。

※ ※ ※

さあ、「英語を頑張ろう」とお考えの人は、今日も英語を聞いたり、喋ったり、書いてみたりしましたか?

頑張るって言ったからには、毎日のようにやらないとな。

僕もフランス語をちょっとサボってるから、今から練習します。

別に僕、言うてもそんなに英語上手くないですけど(ほんとに)、ある程度知的なことを話せるようになるコツは、「いっぱい書く」ということじゃないかと思っています。
ゆっくり自分の時間をかけて書くと、ただ話すだけでは身につかないものが身につきます。

単純に「話す」方に関しては、「自分の言える言い回しでまかなう」技術を身に付けるのが、最初の段階ではカギです。
今日も本屋さんに行ったら、音声が延々と流れていて「彼は出っ歯です」だとか、すごく細かい言い回しやってましたが、それより、「自分だったらどう表現するか」を練習するのがいい。

いやもちろん「出っ歯」を知っててもいいんですけど(buckteethって言うらしい)そもそも相手がそれを知らなかったら結局また説明しないといけなくなります。

日本の英語教材って、英語の母語話者しか想定してないんじゃないか、って思っちゃうことがありますが、相手がそうじゃないことも多い。

ただ「英語がすでに話せる人」がこうすればいいよ、と言うことって、だいたいにおいてちょっと嘘が混じっちゃいがちで「文法なんかまともにやってない」とかの類の、謙遜や誇張、どちらも含む抽象化が多い。
だから僕がいま色々言っても、結局「役に立たない」事を言っちゃうことになるんじゃないか。

ということを考えた末、僕は、「フランス語を練習する過程」をここで実際に示していこうと思ったのだ。
これが、この前言っていた「思い切った企画」である。
結局今僕が「こうするといいのだ」と言っても、ある程度の有効性は持ちうるのだろうけど、なんか、卑怯じゃねえか、と思っちゃうのだ。
だから、もう一回別の言語で、自分で「やり方」を読者と一緒に探ることにしよう、とおもう。

※ ※ ※

じゃあ、さっきの出っ歯の話で例を出します。

最初に、これを英語で言おうと思った時僕の頭では何が起こるか。
まず「『彼は出っ歯です』というのはつまりどういうことなのか」
を考えます。

その光景を頭に描きます。

「彼は出っ歯です」というのはつまり、歯が口よりも外に出ている、ということだ、と分かります。
この状況を言えば、「彼は出っ歯です」と言ったことになるわけだ。

そこで自分が知っている言い回しでこのビジュアルをどう描くか、考える。

ぱっと「彼」ってまず言ってしまったとする。
“He”.
すると、次は動詞はなにかな、と考える。
is を持ってきちゃうと、言葉で言うのは難しくなる。難しいけど、いける。
もし目の前に相手がいるなら、自分の歯を突き出して”like this”といえば、それは立派に「彼は出っ歯です」と言ったことになる。

ではもうちょっと言葉で言うなら。
身体の部位とか、特徴についてなら、やっぱりhaveだ。
それで、He has(基礎的な動詞の変化は、口をついて出るようにしたほうが早い)とぱっと言ったとする。
で、まぁ歯の話だから、teethという。(toothかteethか、と細かいことは、まだ気にしすぎなくていい)

ここでまた、”like this”で、出っ歯マネ作戦でもいい。(いや、バカバカしく聞こえるけど、これは常套手段です。ジェスチャーでやっちゃったほうが早いことに関しては、ジェスチャーでやっちゃう、というのが円滑に会話をする1つの技術でもある)

あるいは、teethが、out of his mouthだ、これぐらいだったら、言えそうだ。
それで、彼の歯、His teeth,うん、His teeth are out of his mouth、うん、なんかいい感じ。、でも、これだと全部出ちゃってるみたいだ。
で、もう少し付け加える。

出っ歯って、出てるのは、前の方の歯だよな。えーと、前、フロント、うん、front teethかな、His front teeth are out of his mouth.
上出来じゃないか。
ノンネイティブ同士の会話ならひとまずこれで充分じゃないか。
少なくとも「出っ歯ってなんだろう…えー…」と固まってしまうよりだいぶいい。

こういう場合はto不定詞で、こういう場合はingで、だとか、aと theの区別だとか、いや、もちろん大事だよ。あとになったら大事だけど、そういうのはだいぶ話せるようになってから気にすることだ。そーいうことは、「話して/書いて慣れる」うちに、「あ、そういやこれ違うんだ」とあとで学習していく。

よく本屋やネット上で「こんな言い回し、ネイティブはしません!」みたいな(だいたいハッとした表情の日本人や、困惑した表情の金髪のにいちゃんとかが描かれてるんだ)とかあるけど、ああいうのはあんまり良くないんじゃないかとおもう。
「とにかく話す」という勇気を削ぐだけだ。

ジャグリングを長くやっているとだんだん軌道が綺麗になっていくのと同じで、多少意識さえしていれば、細かい間違いはだんだん修正されてくる。

なので、とりあえず、「話す」っていうのは、だいたいにおいてこういう感じで僕は繋いできました。
「言える言い回しでまかなう」とはこういうことです。

で、さっき言った、「たくさん書くといい」というのは。
こういうサバイバルな英会話をたくさんやってると、とりあえず会話はスムーズに運ぶようにだんだんなってくるんだけど、ある程度話せるようになった段階で、レベルが上がらなくなります。
そこからは、「書く」というのが大事になってくる。

「じゃあ実際『出っ歯』ってなんて言うんだろ」って、気になりますよね。
その時、「ははぁ、buckteethって言うのか」と調べたり聞いたりしてわかる。
書くときには、「時間をかけてベターな選択肢を探す」ということができて、そのことで、徐々に「とっさに出る言い回し/単語」の数が増えていく。

ちょっとした複雑な文章も、書いてるうちに、なるほどねえ、こうやって言うのか、と無意識のうちに「接続の仕方」とかを学ぶようになっていく。
それで、またひと段階、ガツっとレベルが上がります。
仮定法過去とかさ。会話してる時のスピードでなかなかぱって出せないですよ、あんなの。慣れないと。

後出しになると嫌なので付け加えておくと、一連のツイートは、「ジャグラーが外国のフェスティバルなどに行って10倍楽しめるようになる」ことを想定して書いています。
そういう意味での汎用性はあると信じていますが、英文科などできちんと学んでいる方などからしたら、いい加減に映るでしょう。

僕はもちろん外国語を隅々まで丁寧に学ぶのは憧れるし(何より外国語は好きですから)あたう限り研鑽に努めたいと思ってはいます。

黒田龍之助さんだとか関口存男さんだとか「きちんと学ぶ」ことを説かれる方の話も飲み込んだ上で、でもなんか、「とりあえず人と話したいんだよな〜」という気持ちを、(自分も含めて)まずは救いたいなと思ってます。
なので、ここでは割に「いい加減さ」を許容していく外国語のことを書いていきます。

2018年10月16日火曜日

第229回 「ジャグラーである」ということ

昨日数人のジャグラーと鍋をしながら、したい時に空いたスペースでジャグリングをする、という会をした。

ぼくらジャグラーは、「ジャグリングができる」ということを可能性としてすでに自分の身体に刻んでいる。

昨日、スウェーデンから来たジャグラーのエミールと、ダンサーの友達と、こんなことを話した。
「『ダンサーだった』っていうのは、状態としてありえないと思うんだよね。同じように、ジャグリングを覚えてしまったら、『昔ジャグラーだった』という言い方は通用しないよね。」
僕もそう思う。
というか、このセリフは僕が言ったんだったかもしれない。
あんまり覚えてない。(最近特に短期記憶になんだか問題があるみたいだ)

「もうジャグラーじゃない」という言い方の裏には、「研鑽を積んでいる期間が、「ジャグラーである期間」だ」という価値観が含まれているような気がする。
それは、研鑽を積んでいる、コミュニティの他人のことを、無意識に想定していることから出てくる言葉なんだろう、と解釈している。

これはただの言い方の問題でもある。
正確に言えば、「昔ほど真剣にジャグリングはやっていない」というところを、「もうジャグラーじゃない」というような言い方に替えていたりするときもあるだろう。

でも僕は言い方こそを気にする人間なので、「もうジャグラーじゃない」という言い方を肯定的に捉えることは、少ない。
「別にいいじゃないか、ジャグラーだ、と言ってしまえば」と訴えたくなる。

まぁ、あるいは、「昔は特に、一生懸命ジャグリングを練習したものだよ」と笑って胸を張って言えばいいじゃないか、と思ったりする。

※ ※ ※

僕はこの「『ジャグラーをやめられるか』問題」の中に、人生の捉え方を見る。
「何かをしている」ことを、「何者かである」ということに置き換える言い方は、簡潔に紹介をするときには便利だけれど、自分の人生について深く考察する場合には、あまり適していない物言いだ。
僕は人生の「そのまま」をなるべくリアルに捉えたいと思っている。
できることなら、「あの人は〇〇だ」とか「これこれは〇〇だから、こうなのだ」とか、断定して抽象化するものの言い方(すなわちそれは「捉え方」だ)の回数を少なくしよう、と努めている。

空の名状しがたい青色を、「青だ」という前に、その「名状しがたい青」を前にして、自分の心や身体には何が起こっているのか、ということを観察して、それを言いたい、と思っている。

「ジャグリングができる」ということを前にして、自分はどういう存在になれるのか、その可能性のことを前向きの方向で捉えるのは、なんだか、明るくって、いいじゃないか。

2018年10月14日日曜日

第228回 淡路島最終日

神戸のタリーズコーヒーで、今日のことを反芻している。

これから夜行バスに乗って横浜に帰る。
横浜で今度はスウェーデンから来ているジャグラーのエミールに会う。

※ ※ ※

淡路島滞在の最終日。
南あわじの、「かわら舞台」で、滞在中のアーティスト全員が出演するパフォーマンスを見た。
朝の10時から16時まで。

来場者は、いろいろ聞いたところ、淡路の人が半分、それ以外の徳島、大阪、兵庫から来ている人が半分、という感じだった。
アクロバットから、ジャグリング、早着替え、ヒューマンビートボックスまで、多種多様な分野の人たちが技を披露する。国籍も、イギリス、イタリア、スペイン、ルーマニア、ハンガリー、ロシア…実に様々。
3日間しか一緒にいなかったのに、パフォーマーや、スタッフのみんなと別れるのがとても惜しかった。
小さなお祭りを、一緒に作り上げたような気分になっていた。
また会おうね、横浜に来たら連絡してね、そっちにも行くね、と、挨拶をした。
みんなとハグをした。

また、主催のエレナさんの車に乗せてもらって、フェリー乗り場に行く。
岩屋からフェリーで明石まで12分、そこから電車で15分ほどで神戸だ。

出会った人に、いつも「君は何をしてるの?」と聞かれる。
僕は、「何者であるか」よりも、本当に「何をしてるか」をしばし語ることになる。
面倒な時は「ジャーナリスト」とか言うんだけど(嘘つけ)。

「僕は、アルバイトをしながら、ジャグリングの雑誌を作りながら、自分でもジャグリングをしながら、時々全然関係ない雑誌の手伝いとか、翻訳の仕事とかもしながら、あとは、そうですね、最近はフランス語を勉強してます」
ということになる。

僕がいったい何者なのかは、わからぬ。

※ ※ ※

全然見知らぬ人ばかりのところに行ったら、一番早く問題を解決する方法は、みんなと仲良くなってしまうことだ。
たくさんの人とつながる経験をした場所は、それだけで特別な場所になる。
それは淡路島であろうが、京都であろうが、横浜であろうが、アゾレス諸島であろうが、同じことだ。
すべて自分の「うち」になる。

Awaji Art Cirusのみんな、ありがとうございました。
あの場にいられたことが僕はとても嬉しかったです。

今日はなんだか、随分感傷的じゃーないか。


第227回 淡路島2日目。洲本市民広場で。

淡路島は、名前は知られているけれども、実際に来たことがある人というのはどれぐらいいるのだろう?

ここに来たら、まず車がないと移動は難しいだろう。
車で走っていても、見えるのはほとんど畑や田んぼ。
昔ながらの作りの家屋もぽつぽつと残っている。
何もないといえば何もない。


昨日は朝から、海岸線を望みながらバスで走った。
海は、日差しに照らされてきらきらしていた。
遠くに対岸の本州が見える。

淡路の北にある岩屋から、真ん中の洲本市にある、洲本市民広場まで。

洲本市民広場は、かつてカネボウの紡績工場だったところなので、赤レンガ造りの建物がそのまま残っている。

そこにある広場で、二組のパフォーマーが演技を披露する。
一人は、ガリロ、イタリアから来たワンマンバンド。(簡単に言うと、ひとりチンドン屋。)
もうひと組は、ロシアから来た、ダンス・クラブ・ポジティブ。
クラシックなロックンロールダンスを今風にアレンジして披露。

演技の前の準備なんかも、一緒に手伝ったり、散歩をしたりしながら、13時の開始を待つ。
ぽつぽつとお客さんが集まり始める。

イタリアから来たガリロと、久しぶりに話すイタリア語で話をした。
サーカスの世界は狭いもので、共通の知り合いなんかもいたりした。
「連絡先を交換しよう。今度ヨーロッパに来ることがあったら連絡してくれ」

この日は、洲本市民広場での演技を見るだけだった。
お昼は、すべてが終わった後、15時くらいに、イオンスーパーでみんなでおにぎりやら惣菜やらを買って食べた。

帰って来たら、また事務所で、アーティストからいろいろ話を聞いたり、ちょっとした仕事を手伝ったり、エレナさんのお子さんの相手をしたりして、23時ごろに寝床へ。


さて、今日は最終日です。
どんなことが起こるかな。

※※※

そうそう、今日はCircusTalk というアメリカのサーカス雑誌のインスタアカウントをジャックして、ストーリーを配信しています。
淡路の自然とサーカスの風景を、どーぞご覧ください。

こちら https://www.instagram.com/circustalk/?hl=en

2018年10月13日土曜日

第226回 僕だって本当は外国人と一緒にいることを、かなりのケースで不安だ、と思ってるんだ、っていう話。最終的には楽しいんだけど。そしてここは日本なのか。 (淡路島 Awaji Art Circus 編)

淡路島に来ています。
Awaji Art Circusというイベントに参加している。

昨日は、まず淡路島に夜行バスで到着し、着くなりすぐにAACの担当者のエレナさんに迎えに来ていただいた。
エレナさんは、今年の5月くらいからメールでやりとりをしていたのだが、その時は英語だった。
しかしいざ会ってみると、日本語がものすごく流暢な方で、びっくりしました。
まぁ、日本語でも大丈夫ですよ、とは前から言われていたんですけど。

聞いてみると、ウクライナ出身のエレナさんは大学でも日本語を専攻していて、もう、あしかけ15年勉強しているそう。
日本にも7年以上住んでいて、こちらで子供もいるんだそう。
なるほど。
イベントに行っても、スムーズに日本語で司会進行をしていていました。
「日本語がうまい」というのが逆に失礼なんじゃないかと思える人というのがたまにいますが、エレナさんは間違いなくそっちの人です。

さて、まずは民宿のような作りの(というか民宿だった施設を使っているよう)事務所に着き、アーティストたちと挨拶。
7カ国から来たというたくさんのアーティストたちが、のんびりしていました。




あいさつもそこそこに、いきなり、ルーマニアから来たマヌちゃんという人に(髪が真っ赤だ)「コーヒー飲む?」と言われ、コーヒーをいただく。

エレナさんに「ちょっと手伝ってもらえますか?」と言われて、水の入っただボールを運んだりもする。

座って何かしているスペイン人のルベンに話しかけると、「暇つぶしに作ってるんだ」と言って、宿泊場所の裏の竹林から取って来た竹に、カッターで「愛」という字を掘っている。



瞬く間に「一座」に入ったような気分である。

出発して、淡路島の南にある小学校へ。
一緒に行くのは、Cheese on Fireというハンドトゥハンドのカンパニーと、Nicolas Provotというラダーのアーティスト。
まさにEJCなんかで会う、オープンなタイプのフランス人、というか、一緒にハイエースで一時間も移動していると、車内の喧騒のせいで(主にフランス語)もはや日本にいる気がしなくなってきました。
もう二人の同乗者はエレナさんと写真家のナターシャ。

小学校では、まず子供たちにショーをして(わあわあ、きゃあきゃあ、とんでもなく盛り上がっていた。)次にスライドを使って、フランスの文化紹介。そして最後はちょっとした運動のワークショップをして、次の目的地へ。

子供たちはなんだか本当に、率直な反応を返していて、ああ、サーカスっていいなあ、と素直にこちらが思ってしまった。
なんか、ちょっと斜に構えた態度でサーカスを見ていた自分をそこに見たりした。
それが悪いというのではないが。

いったん徳島に入る鳴門大橋のふもとのあたりにいって、ドライバー交代をし、次の目的地のホテルへ。

向こうに見えるのは徳島県だ


ホテルでは、ロビーでショーを披露する。
あまりお客さんはいなかったが、奔放にショーをする3人。
「こんにちは〜〜」と言って、無実なホテルのお客さんたちを捕獲して席に座らせる。
でも、ショー、面白かったです。

終わる頃には、演者だけではなくカメラのナターシャもへとへとで、ぐっすり寝ていた。
僕は、JJFあとの仕事みたいなものがあったので、真っ暗なハイエースで、ヘッドホンをしてもくもくと文字起こしをしていた。

なんだか、自分は今どこにいて何をしているのか、全くわからなくなっていく。

途中でマクドナルドに寄ったりしてから、宿(じゃない、事務所)に戻ると、みんなリラックスしてお酒を飲んだり、適当に音楽を奏でたりしていた。

僕もそこに混じって、即興ディアボロをしたりした。
まぁ、こういう環境には、慣れているのだ。

と同時に、やっぱり、どこか「日常の自分」と、「『外国のアーティスト/ジャグラー』にかこまれた時の自分」の隔たりはかなりあって、唐突にものすごい寂しさを感じることが、わりにある。

「ああ、日本が恋しいなぁ」と思う。
日本なんだけどね。
そして、故郷の横浜はもっと恋しいな、と思ったりする。
でも横浜にいたらいたで、「飽きちゃったなあ」とか思ったりする。

旅の面白さって、「安心」と「新鮮」の絶妙なバランスの上で成り立っているんだよな。
「新鮮」が多いと、それはちょっとした冒険になる。
だから僕は、なんだか今、国生み神話で有名なこの島で、冒険しているような気分です。

2018年10月12日金曜日

第225回 淡路島に来ました。


淡路島に来ました。
これから、Awaji Art Circusというイベントの取材です。

朝神戸に着いた瞬間、「なでここにいるんだっけ…」となったくらい、ちょっとめまぐるしい出発だったのですが、気を取り直して取材してきます。

淡路島に来るのは、初めてだなぁ。

第224回 ディスコース

なにかとなにかが「会話をする」ということがある。

ジャグリングとそれ以外が会話をする、と言うとき、それは、「ジャグリング」と「生きること」が一致しようとするときのことでもあるな、と思う。

2018年10月10日水曜日

第223回 エミールとお好み焼き

JJF3日目が終わって、ゲストのエミール・ダール君が「他の外国人の参加者とご飯食べに行く」というので、一緒に行くことにした。
何より、日本にいるのに、日本人と触れ合う時間が少ない、ってのは、やっぱりダメだろう、と僕は思うのだ。
この国に来てもらった以上、僕はなるべくいいホストになってあげたいな、と思う。

僕はこのことを、自分で旅行する中で学んだ。
国に対していい印象を持つのは、トイレが自動で開いてくれる、とかそういう理由で好感を持つわけじゃなくて、人々が僕のことを思いやってくれる、という時である。

で、大会の最中、いろんな人がエミールと積極的に関わっていたから、その点に関してよかったな、と思う。
どんどん、もてなしてあげるのがいい、と思う。

それでですね、僕は一緒にご飯を食べる、っていう経験が、すごく好きなんですよ。

何がいい、って、まぁ、一緒にお好み焼き焼いたりする方が、僕は好きだから。
一緒にリングさわるのもいいんだけど。

ほら、どうしても、ジャグリングのことになると、エミールの方が圧倒的に技術はあるわけだから、なんだか、ちょっと萎縮しちゃうじゃないですか。というか、エミールにとって僕が面白い存在である、ということは、つまり少なくとも体育館の中では、ジャグリングに関わることで、面白いことを見せることがメインになるわけです。
でも、僕はそんなに、いろいろ面白いことができるでもない。

でも、お好み焼きは、僕の方が先輩なわけです。
だから、「いいかエミール、これをマネしてくれよ」とか言って、お好み焼き焼くわけです。
じゅうじゅう。
そうすると、エミールも、なんだか喜んでくれるわけです。「わーお」って。

こういうことならば、結構誰にでもできるわけです。

そして、こういう些細なことを通して、ジャグラーは、ジャグラーとして、というより、人間として、「いい経験」をしてくれるんじゃないかな、と思う。

お好み焼き程度で、大げさな、と思うかもしれないけど、僕はそうでした。
フィンランドでトナカイのスープをご馳走になったり、フランスで美味しいケバブの店を教えてもらったり、そういうことが僕の旅をあたたかな印象で彩っている。

だから、ジャグラーというのは、特に外国から来たジャグラーと関わる時というのは、「ジャグリングをしない時」こそ、もっと積極的に関わるべきじゃないか、と思ったりするのだ。

2018年10月9日火曜日

第222回 JJFで考えたこと、の、予告。

今回のJJFでは、いろいろなことを考えました。
僕は今なんだか、随分、いわゆるモチベーションというやつが、高まっています。

※ ※ ※

あくまで僕は、ジャグリングを人生の中でおこなっている、という自覚があるので、ジャグリングのことを考える時に、逆説的ではあるんだけど、どうしても「ジャグリング以外のこと」を考える。

とくに、今回僕がふたつのワークショップ、「ジャグリングと「関わって」いく」「EJC2018報告会」を開いたのには、そういう背景があります。
残るひさしさんとのワークショップは、ひさしさんの話を自分自身も聞きたかったから、ということがある。

今のうちに、鉄が熱いうちに、たくさん打っておきたいな、という思いだ。

今回たくさん考えたことや、JJFそのものについてのことは、なるべく早めに形にしておきたい。そして、形にして、「これが、要するに、僕がジャグリングと生きていくということなんです」と言えたらいい。

2018年10月8日月曜日

第221回 JJF2日目

引き続き、日本最大のフェスティバル、JJFに参加しています。

ワークショップをふたつ、そしてゲストステージを終えました。

「ジャグリングと「関わって」いく」というトークセッションでは、ジャグリングとどう関わって行くのか、について漠然としたおもいをいだいた状態で、アドリブで中西みみずくんと話しました。

EJC2018報告会では、例年通り、EJCに言ってきたお話。
なんだか、僕がすごく楽しそうに話しています。
(音声のみ、録音してアップロードしました)





ゲストステージは、どの人も、それぞれの価値観でものすごくレベルの高い、面白いものを披露していた。

ホワイトアスパラガス、「ボールマスター」って、へいへいのあのあとの下りがそれなんだと思っていたよ。
新しいネタだったんですね。

それぞれの感想を書くには少し疲れすぎている。

変わらず、僕はどこにいるべきなのか、とか考えたりもしてます。

2018年10月7日日曜日

第220回 JJF1日目

東京は代々木のオリンピックセンターで、日本最大のジャグリングフェスティバルが開かれています。

昨日は3日間あるうちの、1日目。

10時半ごろ到着、PONTEのブースを設置しました。

久しぶりに会う人と話をしてから、JJS(ジャグリング・ジャム・セッション)というイベントに出る。
年々レベルが上がっているな、と感じる。
そして、なんだか、JJFの中でのジャグラーの「傾向」の多様性の一部のようで、僕はそういうのを見るのが非常に愉快です。

優勝した、コンタクトジャグラーたろりん

そして、チャンピオンシップ、という、順位のつく選手権もありました。





ヨーロッパのジャグリングコンベンションを経てから、台湾に言ってジャグリングバトルを見て、そして日本のコンペティション文化、独特のバトル文化を見て、自分の立ち位置について、考えてしまった。

昨日も書いたけど、そういう中で、切実なものがなんなのか、ということを、今日、ワークショップで話したりする中でも考えようと思っている。

第219回 僕は、それをジャグリングの中で、探そうとしている。

送れてしまいましたが10月6日の分です。

何が自分にとって切実か、ということがある。
僕は、それをジャグリングの中で、探そうとしている。

なんでジャグリングの中か、というと、主に、なんだか人生の因果で、ジャグリングとの付き合いが長いからである。

そんな話を、明日しようとおもっている。

2018年10月5日金曜日

第218回 チームとか

PONTEをチームでやる、という発想を再び復活させた。
と、こんなことをここで宣言しても、見ている人は10人くらいしかいないのも知っている。
ただ、まぁそんな状況でもあるし、今思っていることを正直に書いておこう。

JJFに出展したりだとか、今度淡路島に取材に行ったりだとか、なんやかやで、いろんな仕事がある。そういうことを一人でやる中で、雑誌そのもののスケジュールも自分一人で全部管理する、というのは、なかなか難しい。
それは労力がかかる、という意味の難しい、ではなくて、自分の意見をぶつける相手がいない、ということの難しさである。

自分が何かを考えた時、それをぶつける相手がいないと、全然、前進しないことが多いんです。
たとえその考えたことが素晴らしかったとしても、それをいったん誰かのために「見せられる」形にすることは大事だ。
そうでなければ、決してすすまないこと、というのがある。

自分の頭の中では、先の方まで見えているんだけど、それをいざ実現しよう、と思った時、そこにある「着実にやらないといけないこと」が、人に意見を述べる、という形で「線状」に開く時、明瞭になる。
ああ、まだ全然具体的に考えられていなかったんだ、と思う。

頭で考えていること、というのは、現実とはかなり違うのだ、ということも、人と話す中で、自然とわかってくる。

2018年10月4日木曜日

第217回 JJFがわくわくすること。

昔は、JJFに行く、というととんでもなくわくわくしたものでした。
今は、というと、昔ほどはわくわくしていないような気がします。
でも、こうやって書いているうちに、久しぶりに会う人たちのことを思い出して、そのことでわくわくしてきました。

初めてJJFに行った時は、高校の友達と二人で静岡まで行きました。
あの時のO君は、まだジャグリングを時々はやってるだろうか。

あの時は、とにかく見るもの全てが新しくて、インターネットでしか知らなかったような人にもたくさん会って、ぐるぐる、興奮しっぱなしだったような気がします。

パッシングを見るだけでも、とても愉快なきぶんになった記憶がある。

それがだんだんと時が経って、いや、こんな月並みなことを言ってもしょうがないのだけど、見方が変わってきたのだなぁ、と思う。

大人になった、とか言っちゃってもいいのかも知れない。
それよりも大きな物事をたくさん経験してきた、と思う。

しかしやっぱりこうやって書いていて、ますますわくわくしてきたよ。

やっぱり、知らないみんなも、知ってるみんなもたくさん集まるイベントってのは面白いよな。


2018年10月3日水曜日

第216回 さて27歳

今日で27歳になりました。
だからどうだ、というのでもなく、最近は誕生日というものを気にしなくなってきました。
自分のも、他人のも。

ただひとつ思うのは、歳をとることは嬉しいな、ということです。

歳をとるのは嬉しい。

ジェイ。
ジェイの話をしましょう。

ジェイ・ギリガンは、アメリカ生まれの、アヴァンギャルドを代表するうちのひとりのジャグラーです。



上の動画は、ジェイが30年間ジャグリングをやってきた、ということを記念して作った動画。この時点でジェイ自身は39歳です。

歳をとるとナメられなくなる、ということが僕は好きです。
一方で、「歳がいっているから」という理由で偉そうにしているひとがいるとしたら、それは好きではないです。

年月をかさねてきたことが、確かにその人の中に現れている。
そしてそれが外に自然ににじみ出ていて、その時、おのずからそのことを敬う、ということであるのが、一番いいな、と思います。

30年間ジャグリングを続けることというのは難しいか。
僕は、そんなに難しくないんじゃないか、と思う。
続けること自体は全然難しくない。
このブログだってそうだけど、一度ループに入ってしまえば、続ける、ということ自体はそれほど苦ではなくなってきます。

ただ、本人が、続けることに関してわくわくしている度合い、ということになると、それは、高いか低いか、いろいろなケースがある。
「なんとも思ってない」というのはよくあるケースかもしれないですね。

なんとも思ってない。

できれば、わくわくするような、「続ける」をやりたいよな、と思う。

でも、わくわくする、というのは、それを「おこなっている」最中に常に感じていることではなかったりする。
実際には、何年か続けて見て、振り返った時に「そうか、これだけのかさを積み重ねてきたんだ」という形で初めて嬉しく思う、ということも多い。

そして、頑張りすぎちゃうと続かなくなる、ということも真実だよな。

とりあえず、27歳になって、今僕はジャグリングを12年半やっていることになる。
そのことにわくわくしているか?

それは。

ふふふ。

2018年10月2日火曜日

第215回 ジャグリングと親切心について

文章を書く時に、最近は、なるべく親切に書こう、ということを心がけています。
それが読んでくれる人に対する、ひとつの誠意じゃないか、という気がするからです。

で、ジャグリングのことを考えても、そういう言い方が成り立つ時ってあるよな、と思う。

おもにジャグリングを見せる時ですが、一個一個、「何が起きているのか」ということをわかるようにジャグリングする、というのは、心がけてもいいじゃないか、と思う。

そのことを考えると、体はどういう向きがいいのか、軌道はどういう軌道がいいのか、衣装はどういう衣装がいいのか、そういうことを、どんな方針で考えたらいいのか、わかりやすくなるような気もする。

別に簡単なことをやる、というのではなくて、難しいことほど、どうわかりやすく伝えるか、ということだと思う。
見せる順序や、見せる前の話の持っていきかたなんかも、文章と同じように、腕の見せ所なんだろうな、という気がする。

2018年10月1日月曜日

第214回 「ジャグリングがあれば言葉はいらない」のか(ジャグリングがつなげるものシリーズ)

みなさん、台風、大丈夫でしたか。

※ ※ ※

ジャグリングが、いろんなことをつなげてきました。

昨日は千葉まで行って、パフォーマンスをしました。
ご馳走になったフランクフルトが美味しかった。
ジャグリングが僕とフランクフルトをつなげた。

さて、僕が「ジャグリングがつなげるもの」と言って一番強く感じるのは、ジャグリングを起点にした、海外とのつながりです。
文化の違うところに行くと、必然的に「よそもの」として入ることになりますが、その時、お互いがジャグリングをする、という共通項があると、氷をブレイクしやすい。
そういう意味で、ジャグリングはコミュニケーションの大きな助けとなります。

でも、だからといってそれで完結するわけではない、と僕は思います。

一方では、「ジャグリングがあれば言葉はいらない」とか、「ジャグリングがあれば通じ合える」とかいう言い方をされることがあります。
僕はそう言い切ってしまってはいけないと思います。

「言葉なんかいらない」と言い切ってしまうと(いや、そう言いたい気持ちはすごくよくわかるんですが)そこから先にある、「言葉が通じる」ということの何倍もの豊穣が、見えなくなってしまうからです。

実際には、「ことばが通じる」ということはとても、とても大事です。

ことばが通じなくても、仲良くすることはできるし、むしろ言葉なんか下手に通じない方が、仲良くできることが多いかもしれないです。
ことばがなくても、感動を届けることはできます。
でも、人と通じ合う、ということは、仲良くしたりポジティブに感動したりすることだけではないだろう、と思います。
僕はそう思って、ちょっとでも外国語を勉強しようとつとめている。

お互いに通じる言葉で、喧嘩をしたり、議論をする。
その度悔しい思いをしたり、分からないなぁ、という部分だってたくさんあるから、少なくとも、理解できるようにがんばろう、とおもうし、「才能がない」とかふにゃふにゃ言わずに、自力でなんとかしようとします。
ワークショップを受けていても、本人が伝えようとしているニュアンスをそのまま受け取れたら、どんなにか素敵だろう、といつも思う。
英語というとりあえずの媒介ではなく、本人の母国語を理解できたらもっと楽しいだろう、ともいつも思う。

至極当たり前ですが、「考え」のやりとりを通して学ぶことは、とても多いです。

現実的には、さすがにたとえば外国語をスムーズに理解できるようになり、発信もできるようになることは、すぐできることではないです。時間がかかります。
だいたい、本気で外国語学習が嫌いだったり、苦手な人だってたくさんいます。
だから別に外国語を勉強せよ、と言うつもりは全然無いのですが、でも、「ことばはいらない」と言い切ってしまわず、「ことばが通じるようになんとか払う努力」や、「ことばが通じることの豊かさ」に対して余地を残しておく方が、よりよい、ものの言い方じゃないかな、と思うことはあります。


2018年9月30日日曜日

第213回 JJFで、ワークショップをみっつやります。

JJFで、ワークショップをみっつやります。
技術を教えるのではなくて、お話をしたいと思っています。

一つ目は、ピントクルの中西みみずくんと一緒に、「ジャグリングと関わる」ことについて話をするセッション。
話す内容はとくに決めていません。
中西君も、僕も、「ジャグリングをする」以外のジャグリングとの関わり方についてわりに考えているので、そういうことについて仲間を見つける場があったらいいよね、と思ってのことです。

それから、ヨーロッパのコンベンションについてお話しする会。写真なんかを見せながら、今年の夏に何があったのかを話そうと思っています。

それと、ゲストに渡邉尚さんを招いて、ヨーロッパのプロジャグラーの「仕組み」について話す会です。
ジャグリングで真剣に舞台に立ちたい、と思っている方には、参考になるんじゃないか、と思います。
まぁ、そうでなくても、ひさしさんがいったいどういう過ごし方をしているのか聞いてみたい、とか、サーカスフェスティバルってどんな感じなの、と思っている方は、ぜひ聴きにいらしてください。
向こうでの経験がある方も、ぜひいらしてください。


収録しておいて、あとで音声をYoutubeに上げようかと思います。





2018年9月29日土曜日

第212回 文章と、ジャグリングその1

文章を書くことと、ジャグリングをすることのアナロジー、その1。

人は文章を書くとき「自分がおもしろいと思うこと」を書く。
でも、自分がおもしろいと思っていることを書いているはずなのに、なんだか少し気を抜いただけで、ツマラナイ文章になってしまいがちだよなぁ。

どういうとき、文章はツマラなくなるのか。

それはだいたい、受け手を具体的に想像できていないときに、じゃないか。

「ねえねえ、聞いてくれよ」と、言って話しはじめて、人の顔色を伺いながら話すと、ある種の緊張感が生まれる。
「これは、わかってくれたかな、うん、じゃあ次は」と、一個ずつ手順を踏んで、場に出して行くわけだ。

それとだいたい同じことだ。

受け手を想像することは、次に何を言おうか、ということの選択に大きく関わってくるのだ。

「聞いて欲しいんだ」
と本当に思っているかどうか、そういうことを見抜かれてしまう、ということだと思うんだ。

2018年9月28日金曜日

第211回 ジャグリングと、自分との関わりを探るために文章を書いている

 ジャグリングと、自分との関わりを探るために文章を書いているんだな、と昨日思った。

 「書く」ジャグリングの雑誌と銘打って雑誌を始めたのは、なぜだったか。
 そして、「書く」ジャグリングの雑誌として、どういう形態が一番よいのか。

 そういうことを考えていました。
 もう今日には入稿できると思っていたのだが、なんだか釈然としない気持ちで、原稿用紙80枚分くらいの文章の手入れを始めてしまった。

 いったいどうするつもりなんだろう。

2018年9月27日木曜日

第210回 オリ


さて、まだフレンチナショナルコンベンションの話が続きます。
これは、オリです。
本当は、オリヴィエ、という。
でもみんなからオリ、オリ、と呼ばれている。
フランスのトゥールーズでEJCをやった時(2013年)、主催の一人だった。

彼も、たしかオープンステージだったと思うんだけど、このコンベンションで出演していて、普段やっているものと思われるショーをやっていた。

きっちりとした古典的な正装で行うショーなんだけど、言うことが結構面白くて、(といってもフランス語だったし、周りの反応がよかった、と言うことなんだけど)いつもやっているショーだからかテンポもよくて、かなり見ていて気持ちよかった。

「オーソドックス」を質を高くおこなえる人って、なんだか憧れますよね。
オリはそんな人です。

2018年9月26日水曜日

第209回 フレンチナショナル主催者


今年のフレンチ・コンベンション主催。
左がヴィクトー、右がエロワです。
二人とも、コンベンションの期間中はあっちこっち忙しそうに移動していました。

大きな大会をしっかり統括しているだけあって、二人とも根は真面目なんだろうなー、という印象。
しかし実際には、エロワは夜のレネゲードショーでいつまでもふざけていて、(節目節目で、舞台にうつ伏せに倒れこんでくる)そういう茶目っ気もイイ感じの男です。

ちなみにエロワの作るジャグリングを題材にした映像は、かなりイケている。

これです。)

ヴィクトーとはあまり話す機会がなかった。
書くジャグリングの雑誌:PONTE HP






Twitter : https://twitter.com/jugglingponte
Instagram : https://www.instagram.com/jugglingponte/

2018年9月25日火曜日

第208回 ロビン・デイル

以前も紹介したけど、ロビン・デイルと言う若手のジャグラーがいる。

とても面白い作品を作っていた。
"What Does Stuff Do?"と題されるもの。
「ものと人の関係を探る」「そのためのメディアとしてのジャグリング」
というような考えをまず述べた後に、ピンポンラケットとリングとピンポン玉で巧みなジャグリングを披露する。

全体に、「真面目にふざける」空気があって、それがより一層、おかしさを増長している。

こういった「賢い」タイプの演技って、「どうだ!」と押し付けがましいものになってしまいがちだと思うんだけど、彼の場合は、ぜんぜん押し付けがましい感じがしない。

あまり「ステージらしい」キャラクターを作りすぎていないこともその一因じゃないかなぁ、と思う。

本人に聞いたところだと、「どういう立ち方をしようか考えたんだけど、8割方、普段の自分を出すことにしたんだよ」と言っていた。




書くジャグリングの雑誌:PONTE HP






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2018年9月24日月曜日

第207回 Bboy Cloud

昨日はなんだかずっとBboy Cloudのことを考えていた。

Bboy のダニエル・”クラウド”・カンポスは、Bboyとしての実力もさることながら、映像を作ったり、俳優をしたり、様々な活動を行なっている。

まさに最近僕自身が考えていたことで、自分自身がBboyである、という立場に縛られすぎない、自分で興味のあることはとことん突き詰める、という姿勢である。

つまり、「自分が何者なのか」にあまりこだわりすぎない、というようなことでもある。
常に全体を見る、ということでもあるような気がする。

こういう、面白い人でありたいな、と思う。

※ ※ ※



2018年9月23日日曜日

第206回 moment単独公演 Reflection

浅草にある小劇場「あさくさ劇亭」で、二人のデビルスティックジャグラーShogunとKIAによる公演を、 PMJugglingのだいごさんと一緒に、観てきました。

終演後の写真撮影タイムで

二人が割と素な表情で演じるパートがあるのですが、その部分、特によかったです。
大いに笑いました。

なんだか、公演を観ていると、自分も舞台に立ちたくなってきますね。
本日も、同じ場所で公演、あるようです。
18時開場、18時半開演。
moment 公式HP https://jugglershogun.com/moment/


※ ※ ※

公演の前に、蔵前駅周辺を散策。
前から気になっていた靴屋Naotや、ホステル&カフェのNui.、だいごさんが行きたい、と言っていたいも羊羹屋さんにも、行く。

イスラエルで作られた靴を売っている、Naot

素敵なホステル&カフェの先駆け、Nui.

会場までは、蔵前駅からだと徒歩20分程度でした。
浅草や田原町の方が近いですが。


2018年9月22日土曜日

第205回 ベア・ボーンズ・エディションのBJC

ざっと読んだんだけど、来年のBJCは、主催者側からは

・ショーは用意しない
・ワークショップは用意しない
・ホールは使える

という条件で、あとは参加者のみんなでやりたいことをオーガナイズして、どんどんやってね、という方針のようです。

うひゃー。

https://bjc2019.co.uk

すごいですね。
「色々と理由があって、全てを例年通りきっちり用意するだけの時間がないのです」
だそうです。


EJCもイギリスで開催されるから、ということが大きいような気がする。
おそらく、主催者の主要なメンバーが被っているのだろう。

2018年9月21日金曜日

第204回 Daliフロウフェスティバルのダイジェスト映像



まだじっくり見てないんだけど、昨年の、Daliフロウフェスティバルのダイジェスト映像。

中国で行われた、初の国際的なフロウアーツ&フェスティバル。多くのジャグラーも参加したようです。

3:33あたり、(主催者の一人、フランス人のBertrandさん)
「もし10人くらい、ジャグリングやフロウアーツを初めてくれる人がいたら、それで成功だとおもうんです」

こちらがイベントの公式HP。
http://daliflowfest.com/

2019年は、4月22日〜29日で開催、とのこと。
来年こそ、行こうかな。

2018年9月20日木曜日

第203回 ウーカシュ・ウチキエヴィッチくん



少し前にでた、ウーカシュ・ウチキエヴィッチくんの動画です。

彼は、実際に会うと全然ストイックな感じがしないんですが、ジャグリングを見ると、徹底して一つのことを突き詰めてやろう、という意思が見えますよね。
脱帽です。

一時は、「大学に入るのを期に、ジャグリングはやめることになってしまうと思います」と言っていましたが、なんのことはない、それ以来ほぼ毎年のようにEJCでも会っているし、ビデオも出すし。

どういうこと?と聞いたら、「意外に時間があった」ということです。

2018年9月19日水曜日

第203回 ジャグリング教室をやりました

きのうは、また、大人の方々にジャグリングを教えました。
全部で5人の小さなグループで、わいわいと楽しく。

どういう風にやるか。
あんまり考えないで、「いざとなったらこういうこともできるよな」というアイデアだけいくつかピックアップしておいて、あとは即興でやりました。

まずは各自自主練です。
やりたいことをやってもらう。
みなさん数ヶ月前にジャグリングを始めた方々なので、だいたい、3ボールカスケードや、足の下、ファウンテンなんかを練習しています。

なので、それを見ながら、アドバイスを言えそうな時には、自分で見本を見せながら、アドバイスをします。
他の技も適宜紹介します。423とか、441、とか、フラッシュ、とか。

次に、今日は、クラブをやりたい、という方がいたので、クラブジャグリングを見せました。
やはりジャグリングと言えばクラブ、という感覚があるようで、「かっこいい」「やりたい」という意見をもらいます。(こういう感じも、なんだか意外だったりした)

そして、終盤になると、だいぶ疲れが出てきて、(というか飽きが来ていたので)気分転換に、サイモンセッズをやりました。

ボール一個から初めて、カスケードが最難関技、くらいに設定しても、かなり面白くできるものです。
「足の下から投げてください」とか、「そのまま回ってください」とか、逆に、ほとんど考えずに自然にできてしまうアクションばかり織り込まれることになるので、引っかかりやすく、かなり楽しいです。(特に親である講師が)

そして、最後は、テイクアウト、パッシングで締めました。
テイクアウトでは、前からカスケードを奪う一番基本のパターン。
パッシングは、5個でカウントの取り方を教えたら、だいたいみなさん、6個になっても、数回はすぐにパッシングができるようになりました。
この辺は、ちょっと驚きだったというか、パッシングってわりに複雑な技だと思っていたんですが、やっぱりカスケードがちゃんとできれば、そんなに問題なくスムーズにできるようになるみたいです。

一人で黙々と練習するのもいいですが、やっぱり、パッシングの時が一番、楽しかったかな、という気がします。

※ ※ ※

なんだか昨日は、「やっぱりジャグリング長いことやっててよかったなー」と思いました。


2018年9月18日火曜日

第202回 「ジャグラーだからジャグリングのことを書く」以外の人生の捉えかたみたいな

全然関係ない、アゾレス諸島・サンミゲル島の景色です。

ジャグラーだからって、ジャグリングの話をしなくたっていいよな。
ジャグラー同士の共通の話題が、哲学であったって、小説であったって、時計のことであったって、なんだっていいんだよな。

自分がジャグラーだ、ジャグリング雑誌の、一応編集長みたいな者だ、ということで、どーも自分自身が語るべきことをジャグリングにばかり集中させているような気がして、それに疲れてしまうことがある。

別に、「君はジャグリングについて書かなければならない」と誰に命令されたわけでもないのに、気がついたら、自分で自分の「考える範囲」を狭めている。

これは同時に、生存本能と地続きの、「考えや行動には一定の慣性が働く」という、人間の『さが』でもあるのだろうな、と半ば本気で思う一方で、もっと広い目でものを見ないとなんか損だ、という気も、もっとする。

本気のジャグラーでもありたいし、一方で本気でたとえば外国語のことを語る人間でもありたいし、なるべく多くの時間を、多くのものと真剣に触れ合いながら過ごしたい。
専門的であることと、俯瞰的であることを両立したい、と思っているのだ。

さて、それと同時に、こういうことを、広くインターネットに書いてどうしようというのだ、と囁く自分もいる。

黙ってやれよ、ということでしょう。

2018年9月17日月曜日

第201回 佐藤卓さん

昨日、お台場の科学未来館で開かれた、『デザインあ展』に関連した、トークショーを聞きに行きました。

登壇者は、同展覧会のディレクターである、佐藤卓氏。

自身が今までデザインしてきた商品、ロゴなどを見せながら、それらがどのように出来上がったのかを説明していきました。

ただ「おしゃれにする」とは意味合いの全く異なる、「デザイン」という言葉の定義が浮かび上がってきました。

佐藤卓さんは、親しみやすい口調で話をする方で、どうも見た目も噺家のようで、特に後半はノリに乗って、会場も爆笑でした。

そんな中、「子供向けの番組」について語っていたことが印象的でした。

「子供むけの番組だからって、子供っぽくする必要はない、というか、大人が本気で作ったものを見せたかった」
と。

ジャグリングでも、そういうことって、ままあるな、と思います。
子供だからって、「分かりやすくする」ことが必ずしも善であるわけではない。

子供とも言わず、誰に見せる時だって、その人が本気で作ったのだ、ということは、多くの場合、伝わってきます。
それでも「これは好きだ」「これはあんまり好きじゃない」というものはどちらも出てきますが、なんにせよ、そこからは多くのものを「学ぶ」ような気がします。

ディアボロの、ギヨームとかね。

2018年9月16日日曜日

第200回 外国から来る友達を持つということ

久しぶりに、シンガポールから来た、ジャグラーのゼンハオに会った。
付き合いの長い友達のうちの1人です。

ゼンハオとは、お互いにまだ学生の身分だったころ、イギリスで出会いました。
その後シンガポールでも会い、日本でも会った。
フランスで会ったこともある。

昨日は、日本で会った。

一緒に、新宿でピザを食べた。


外国人の友達を持つというのはとても素敵なことです。
その人が持つ、全くちがった文化を、その人を通して見せてもらっているような、感じがします。
世界の広さを教えてもらっているような気分になります。
自分では知ることのできなかった地球の片鱗を、おすそわけしてもらっているいうな気分になる。
「外国の人」というのは、その相手がどんな相手であろうと、なんだか特別な友達のような気がします。

そう、最初はね。

それがだんだん、普通の友達になっていきます。
時間が経てば経つほど、会ってもあまり高揚しなくなってきます。
だいたいお互いの行動の収まる範囲がわかってくるから、目立った刺激がなくなってくるんでしょう。

けど、そういう「目立った刺激がない」ゼンハオみたいな友達は、本当にいい話相手になります。
だいたいこの辺のことを言ってくれるだろう、この辺のことはわかってくれるだろう、という範疇が固定されていると、安心するからです。
そして、見栄を張ることも必要ないからです。
こちらが無理に合わせる必要もない。

 と、ここまで書いて思ったけど、本当は、それは、あるいは僕が歳をとったから、というだけかもしれない。

左から、筆者、PMだいごさん、ゼンハオの奥さんアンジェリン、ゼンハオ

2018年9月15日土曜日

第199回 好きなこと、好きじゃないこと。

昨日のほぼ日の文章を読んでいて、好きなこと、と好きではないこと、について考えている。

僕はまだ30歳にも満たない人間です。
ああだこうだ言うのが果たして正しいのかわかりませんが、「熱狂的に好きなわけじゃないけど続けていること」というのがある。

ジャグリングはその一つと言ってもいい。

先日、ジャグリングの雑誌を作りたい、という志を持った吉原さんという方にお会いしました。
その時、「なぜまだジャグリングをやっているのか」ということを話した。

そう、『まだ』という感覚が少なからずある。

普通だったら、いい加減やめてるんじゃないか、というような感覚があります。

しかし、吉原さんと話している中で僕は発見したんですが、僕がジャグリングを続けているのは、それが日々の小さな目標を作り出してくれるからだ、と言う風に思ったんですね。

正直なところを言えば、僕の人生の中で大きな位置を占めるものがジャグリングではなくても、僕にとっては(というか他の誰にとっても)問題はないわけですが、それでもやっているのは、「さて、今日は何をしようか」と思った時に、ジャグリングが「まぁ大体こういうことをやるといい」というようなことを示してくれるからです。

適度に自分を忙しくしてくれるから、とも言い換えられる。

そして、いろいろな人に巡り合わせてくれたのも、ジャグリングの力が大きかったりするので、やっぱり、好きかどうか、というより、少なくとも、ジャグリングのことを大切にして生きていかなきゃな、とか、思ったりします。

2018年9月14日金曜日

第198回 ジュリアンのこと。

ノルウェーのジャグラー、ジュリアンです。
彼はフランスの名門サーカス学校、「フラテリーニ」をつい最近卒業した。
いつも落ち着いた声で喋る、大柄な、なんだかおとなしいシベリアン・ハスキーみたいな男です。

大柄なわりに、小さなロシアンボールを使って細かい技をやっていたりしていて、それがちょっと面白かったりする。
わりにジャグリング「おたく」というか、いつもジャグリングの話ばっかりしています。(まぁ、話し出すと滔々と自分の考えをフラットな声で述べる、話の長い男でもあるので、それ以外の話もたくさんしますが)
ノルウェーの地元、トロンハイムに帰ると、仲間の凄腕ジャグラーたち(ホヴァーや、イサック、エイヴィンなんか)と一緒に、だだっ広い体育館で練習をしている。

初めてきちんと話をした時は、オビ=ワン・ケノービに似ているなぁと思ったので、そう言ったら、彼は「それは嬉しいなぁ」とゆっくりと笑っていましたが、今見ると、そうでもないかな。

この間台湾で会った時の写真。この豚さんスティックは、安物ショップで見つけたらしい。
3本買ってジャグリングしてました。

2018年9月13日木曜日

第197回 アナザー・雑誌エディティング・ガイ

大学の卒業制作でジャグリングを雑誌を作りたい、という、大学生の吉原秀真さんから連絡をいただきました。
ということで、昨日、お会いしてインタビューを受けました。

今は表現学部、というところで学んでおられるとのことです。

僕の方は、雑誌を作った経緯だとか、海外のことなどを話しました。

僕からすると、「ジャグリングの雑誌を作りたい」と言って実際にそれに着手している方に会う、というのは非常に珍しいので、逆にこちらからも質問をしました。
どんなジャグリングをしているのか、なぜ雑誌をやろうと思うのか、紙の雑誌のよさとは何か。

吉原さんは、ジャグリングのことを知らない方にも手にとってもらえて、しかしジャグラーにとっても、読んで面白い、その両方に訴える雑誌を最後には目指したい、と言います。

まず当面は、卒業制作のため、一人で雑誌を作っていくのだそう。

吉原さんは、ジャグリングについても、雑誌のことについても、真剣に色々と考えている方でした。

とてもいい出会いだった。

すごく丁寧な方で、気持ちが良かったです。

2018年9月12日水曜日

第196回 【PONTE制作記】PMだいごさんと、また

PM Jugglingのだいごさんと、今後のことについて話をした。
いつでも話せる人がいるというのは、いいよな。

今後はPM Jugglingともっと密にやっていけると思う。
このことの最大の喜びは、「自分一人でやらなくていい」というところにあるんじゃないかという気がする。
色々と今まで以上に面白くなりそうである。

※ ※ ※

全然関係ないんだけど、昨日帰り道で、「…っ、へくしょいなー!」と一字一句ハッキリ叫ぶ、というくしゃみをしていたおじさんがいた。


2018年9月11日火曜日

第195回 【PONTE制作記】色々と佳境だけれども

思っていることを書いておく。

夏のヨーロッパのことをまとめたり、(と、ひとことでは言うものの、やっぱり簡単じゃないんですね。誰も「こういう内容で書いてね」とは指定してくれないからだ)台湾の記事を書いたり(こっちも、書いた方がいいと思えることがたくさんある)、JJFに向けて色々な手続きをしたり、(実行委員の方々は、本当にお疲れさまです。今回被災された方々がこれを読んでいらしたら、心からお見舞い申し上げます)その間にTシャツの注文がいくつかあったり(正式にまたPOTNEのサイトから売り出す予定です)、そして個人的にも、役所に行って、しないといけない手続きがあって、いくつかやって、髪を切りに行って(まぁこれは別にいい)その合間に仕事に行って、(みたいな感覚なのだ、もう)休憩時間に文章を書いたり、本を読んだりして、(なるべく若いうちに読んでおきたい本、をいくつかリストアップして読んでいる。『1984』とか、まだ読んでなかったので…ようやく読み終わりました。)でも、練習し続けることも、大事だよな、と思って、ディアボロについてもそこそこ真剣に考えて練習をしていて、で、預金通帳とか見て、笑っちゃうしかないような状況ではあるけれども、まぁ臨時の仕事なんかを入れて、なんとかしのいでいる。

そんな中で、雑誌を作っていて、これはなんなんだろうね、とふと笑っちゃう時がある。
逆に、よくこんな状況なのに、お前、海外のジャグリングのこととか、一生懸命書いてるよな、と思う。
いや、だからそれだけ僕にとって大事なのだと思う。

なので、続けていけるように、なんとか、賢く、お金もそれなりに回るし、読者の方にも今まで以上に楽しんでもらえるような雑誌にしたい。

それなりに知恵を絞って、どう生活していこうかな、とか、でも卑屈にならないで、どう面白くしていこうかな、と考えながら生活するのって、楽しかったりもする。

2018年9月10日月曜日

第194回 ここの方針について

また最近になって、ここをどういう風に扱っていこうか、と考えている。
更新が楽になるようにしようとしたりもしたが、いまのところ、それもなんだか、違うのかもしれぬ、と思い始めている。
少なくとも、「誰か」は得していないとだらだら続けても意味がないよな。

※ ※ ※

目下の目標というか、目指すべきところとして、主に海外のジャグリングの情報をより開かれた形で発信する、ということがある。
というのも、特定の繋がりがないと(例えばフェイスブックをやっているか、とか、誰々と繋がりがあるか、とか)うまくキャッチできない情報というものがたくさんある。
そういう情報を、僕が得られる限りの情報を、うまく発信したいな、と思っている。

※ ※ ※

雑誌の方ですが、少しずつながらも進んでいます。
過去号と比べて統一性がいまいち無いのはとにかく、自分が作って後悔しないようなものにだけはしたいと思ってゐる。

2018年9月9日日曜日

第193回 電車

よく電車の中で雑誌を作ったり、この文章を書いたりします。

電車の中だと、適度に時間制限があってよい。

インタビューなどの音声を全て文字で書き取る文字起こしなんかもしたりするのですが、そういう仕事にもうってつけです。
適度な雑音が良かったりする。

最近は、なんだか時間は有限だよなぁ、ということばかり考えていて、歩きながらKindleで "読むべき本" を読むように努めていたりします。

2018年9月8日土曜日

第192回 【PONTE製作記】紙面の作りかた

昨日は、フランスのコンベンションのことについてまとめていた。

実際どういう風にやっているのか、というと、InDesignで紙面のデザインをしながら、そこに直接文章を打ち込んでいく、ということをしている。
多分こういうのは一般的なやり方じゃないと思うのだが、どうも、まず紙面を決めて、それから文章をかく、というやり方でできないのだ。(やってみたことは何度もあるんだけど、全然うまくいかない)

特に始めた頃は、本当に何もわからなくて、かなり直感に頼ってデザインをしていたから、同じ冊子の中にどうも統一性がないというか、フォントとかもかなり適当に使っていた。

今は、なるべく使う要素を減らすようにしている。
本当はもっと色々、バランスを取りながらも賑やかな雑誌にしたいな、と思ったりしているんだけど、いざそこにこだわり始めると、終わりが見えなくなってしまう。
だから逆に意を決して、シンプルにとどめている。

一人でやっている以上は、そのあたりの妥協点も見出していかないといけない。

2018年9月7日金曜日

第191回 台北の人たちが練習する場所


 台北の人たちには、たとえば、ということだけど、このような「開けた」練習場所がある。これは、MRTの中山站と雙連站の中間にある。

 こういうのは、端的に言ってすごく健全だよな、と思う。
 フランスのパリにも、ジャグラーでもダンサーでも、誰でもふらっと来て練習できるような施設がある。(104サン・キャトル という。)

 羨ましいなあ、と思う。 
 日本で、こういう場所って、ありますか?
 きっとあるんだろう。
 あるけど、僕が知らないだけなんだと、思うんだけど。
 それにしても、羨ましいな。

 大学の頃は、割と使えるスペースが多かったりしたけど、そういう感覚に似ている。
台北には、他にも堂々と練習ができる場所がある。国府記念館とか。
 シンガポールでもそういえば、デパートの屋上がダンサーのために開放されていたり、したよな。



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この動画の場所
 街全体を、「割と好きに使っていい」というのは、憧れる。

2018年9月6日木曜日

第190回 【台湾五日目】今さしあたり思うこと

一つの旅をしながら、その旅についてまとめるのは少し難しいです。
具体的に言うと、台湾にいながら、新しい経験をしつつ、そのことについてうまいことばで表現しようとすることです。

そういうトリッキーなことをするには、日本にいるときよりも余計に、うまく時間をやりくりして、一人で机に向かう時間を作らないといけないのだ。

※ ※ ※

それはさておいて、今回の台湾滞在では、得るものが多かったように思います。
今回参加したイベントの主催者であるシンホーと話す機会が多く、台湾のジャグリングシーンについての話もいくつか聞けました。
そしてイベント自体もかなり面白かったです。
バトルも、ワークショップも。

これは、多くの人に知ってもらいたいな。


ジャッジ

バトル最後の集合写真(両写真とも、公式FBページより)

2018年9月5日水曜日

第189回 【台湾四日目】観光みたいなことをしたり。

青宙ノートくんと一緒に、朝から観光みたいなことをした。

まず本屋に行く。
パッと思いついた、誠品書店の敦南店。
24時間営業の書店だ。

大きな書店なので、青宙ノートくんが見たかったという漫画コーナーにもたっぷり漫画があった。

そのあと、西門でご飯を食べる。

サンディア(ディアボロの専門店)にも行った。

最後は、ジュリアンのワークショップを受けて、いよいよ帰国便に搭乗。

…という予定だったが、台風のせいで欠航になっていた。
ワークショップが終わる頃に、スタッフの人が知らせてくれた。

仕方がないので今日の帰国は諦め、次の日の便で行くことにする。

2018年9月4日火曜日

第188回 【台湾三日目】ジャグリング・バトルについて思うこと

改めて、ジャグリング・バトルの意義というか、シーンのこと、について考えている。
この形式のいいところは、多様なジャグリングの姿が見られる、ということにある。

そして、主催のシンホーは、台湾のジャグリング(と、サーカスシーン)にとって、それが一番意味のあることだ、そういうことを狙っている、と言っている。

今日、台湾のサーカス学校(雑技の学院)を見に行って、そこでもシンホーは、自分の身の上話(シンホーも京劇の学院出身である)から始まり、いかに台湾の雑技の世界が、「閉じがち」か、ということを話していた。

僕としては、同じようなスタイルを排出する、ということを必ずしも敵視する必要もないよな、と思う。
むしろ、それはそれで、存在意義があるよな、と思う。
それだけなのは、つまらないよな、と思うけど。

ヨーロッパの方が優れている、という考え方も、違う。
確かに台湾のディアボロの演技を見ていて、必ずしもみんながユニークな演技をする、という訳ではないけど、その「個人間の誤差の少なさ」が目指されることが標準的な考え方の集団があるとしたら、それを積極的に否定することはできないよな、と思う。

じゃあ僕が、いわゆる「台湾スタイル」のディアボロをたくさん見ることに興味があるか、と言ったら、そこは答えに窮するけれども。

ヨーロッパや日本からきたジャグラー、サーカス学校の生徒と交流する


※ ※ ※

【PONTE製作記】
ヨーロッパのことをちょこちょこと書きながら、台湾で起こっていることを整理する、というのはあまり容易なことではない。

それでも、旅行に出ているのは僕一人なので、他に誰がまとめてくれる訳でもないから、仕方ない。
一度に二つの旅行のことを考えるのは、その時に感じる旅情の量が全然違う。

一人でやる量の作業じゃないよな、とか思いつつ、でも色々な発信の仕方をしていて、やっぱり絞った方がいいかもしれないな、と思ったりする。

2018年9月3日月曜日

第187回 【台湾二日目】ジャグリング・バトル

昼頃、青宙ノートくんと、たろりんとで、練習をしに行く。

台北では、中山と、雙連という地下鉄の駅の間に、大きなホールのようなものがあります。鏡張りで、主にダンサーが、練習できるスペースになっている。


こういう名前

ここで、小一時間滞在。
それから泊まっているホステルに戻り、シャワーを浴びて、会場へ。

会場になっているのは「中山堂」という歴史ある建物。
中はかなりきらびやかな作り。




そして、イベント、ジャグリングバトル。
バトルの様子

優勝・青宙ノートくん

終わったら、全員でご飯へ。

こういう時間が、とても大事だと思う。
リラックスして、意見を交換する場に、なっている。

※ ※ ※ 

どういう塩梅で、どういう発信をするのか、というのは結構悩みどころだったりします。
でもとりあえず今回は、Instagramやツイッターでも、なるべく多く発信をするようにしてみています。

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2018年9月2日日曜日

第186回 【台湾一日目】

さて、台湾につきました。
昨年11月ぶりの台湾です。

すでにこちらについていたアーティスト達と、昨日は一緒に街を歩きました。

今日は、今回のメインイベント、ジャグリングバトルです。

詳しくは、後日。