2019年3月31日日曜日

第359回ちらっと見えた目黒川の桜

いつもね、ここで毎日何かを書いていて、「ああ、そろそろ来週のメールマガジンの原稿を書かなきゃ」と思うのだが、何か思いついたものがすぐに次の日の郵便箱の原稿になってしまったりするので、なかなかメールマガジン用の原稿にとりかかれなかったりする。
なので、いきなりだが、今日見えた目黒川の桜、ということを起点に話をしてみる。
本当は、メールマガジン用にちょっと話を思いついたのだが、それを一旦置いておく。昨日は友人の結婚式の打ち合わせで(式でジャグリングをすることになっているのだ)渋谷の方に出るのに、東横線を使った。中目黒を通った時、一瞬、目黒川にかかる、てんこ盛りの桜の並木が見えた。何回か目黒川の桜はみたことがある。それで、またこの季節が巡ってきたんだな、と思う。中目黒の駅では、とんでもない量の人が降りる。やっぱりここでも、外国からの旅行者って増えたんだなぁ、と思う。

外国の人、というけれども、旅行者のように見えて普通に日本に住んでいる人も多いんだよな、きっと、と思う。
どんどん日本に、外国から移住してくる人が増えるところを想像している。

そういう人たちにずっと日本に住んでいる人がどういう態度を取るかは、日本語が話せるか話せないか、というところが、かなり大きく関わってくるんだろうな、と感じる。

2019年3月30日土曜日

第358回 鎌倉

昨日は、ニュージーランドからきているリサと、少しだけ鎌倉を散歩する。
遅い時間からだったのと、夕方から用があったので、本当に、少しだけ。
鎌倉駅で降り、小町通りを通って鶴岡八幡宮を見てきて、すぐに帰ってきた。

随分と外国からの旅行者が多く見受けられた。
この間京都に行った時、伏見稲荷にいた95%ぐらいの人が外国の旅行者のようでびっくりしたが、こちらの方でも似たような状況になっていたのは知らなかった。
まぁ、桜の時期だ、ということもあるのでしょうね。

2019年3月29日金曜日

第357回 大集合

昨日は、たくさんの国(と地方)から友達が一堂に会したのである。
朝は仕事に行き、終わり次第すぐに横浜に向かう。
NZから友達のリサが来ていた。
駅で待ち合わせ。
久しぶりである。
ラスベガスぶりだから、3年ぶりくらいか?
一緒に街を見て回ろう、というので、待ち合わせしたのだが、都合よく東京にいたオリ(・ロス)とその奥さんミリさんも呼んで、みんなでみなとみらいの散歩をする。

少し寒かった。

昨日もそのあたりをぶらぶらしていたのだけど、違う人と一緒にいれば、それはまたそれで違う印象をもたらすものである。

数時間歩いたら、駅前の蕎麦屋でそばを食べる。

少しして、京都から来たみみずくんがくる。
ちょと久しぶりである。

みんなで、いつもの練習場所に向かう。

昨日はなんだか、技巧派ジャグラーが非常に多かった。
いつもと様子が少しちがった。
後から、昨日も一緒だったフィンランドのマルクスとエンマも来て、随分と国際的な雰囲気になった。

練習が終わると、みんなで居酒屋へ。
お互いのことを話す。
各国の言葉で早口言葉に挑戦したりする。(早口言葉はウケがいいね)

楽しく飲んだら、またいつか。

僕が今まで海外で受けてきた親切を、ただただ、少しでもいいから何か他の人に分けたいな、と今は思う。
そして何よりやっぱり、外国の人が日本を訪れて、楽しんで帰ってくれるのは、嬉しいよな。



2019年3月28日木曜日

第356回 さくら

フィンランド人のマルクスとエンマ、到着する。
朝一瞬だけFujiくんと打ち合わせをし、ノリで誘って、一緒に羽田の近くのホテルまで迎えに行く。
去年の夏に会ったから半年ぶりくらいである。
二人の服には、飼っている犬のヴァディの毛がいっぱい付いている。
ヴァディもちょっとだけ連れてきたんだなぁ。

今日はどうしようかな、と思っていたのだが、いろんな都合を考え、ひとまず横浜に行くことにした。

ところどころに咲いている桜を見た。

桜を見るたび、嬉しそうにする二人。

フィンランドでは、まだ寒いのだ、ということを思う。

「なんだかもう夏みたいだね」と二人は笑う。

そう、フィンランドは寒いのだ。


2019年3月27日水曜日

第355回 羽田空港で骨折り損


昨日の夜の話だ。

フィンランドから、友人のマルクス・エマ夫妻がくるというので、サプライズでもしてやろうと思って、到着予定として知らされていた時間に羽田空港に行って、待ち構えていた。あらかたやることを終わらせてから、夜の9時半に電車に乗り、全然人のいない京急線で向かう。到着したのは10時少しすぎ。彼らが着く、と言っていたのは10:40。

その時間には二本の中東系航空便があった。
1本目は10:30、2本目は10:45に到着、とある。

もし1本目だとしたら、きっと彼は10:30に到着だよ、と言うはずだろう。
なので2本目に違いない。
そう見当をつけた。

何より、1本目が"Delay"と出ていて、到着が23:56だと言うのだ。
僕は、推理をした、と言うより、自分にもバレないように、その願望を心の前面に押し出して、二人が乗っているのは10:45分の便だ、と決めつけた。

その便が実際に到着したのは、10:55。
よしよし、と思って、出口を見つめる。

初めは、その3本くらい前の便のマレーシアからの便の人たちが目立っており、待っている人の中にも、マレーシアの話題が出ているから…などと、周囲から漂うヒントをあてにしながら、いまかいまかと待ち構える。
エミレーツ航空の添乗員さんたちが出てきて、だんだん、中東系の顔が増えてくる。
併せて、ヨーロッパからきたであろう人たちの顔も増えてくる。
中東の航空会社は、安いからヨーロッパの往復にはもってこいなのだ。
いいぞ、いいぞ、とだんだん胸が高鳴ってくる。
半透明の壁に映る人影がそれらしきカップルだと、期待を込めて視線で追うのだが、どれもマルクスたちとは違う。

20組ほどのヨーロッパの旅行者を見送っただろうか。
待てども待てども、二人は来ない。

この辺りで僕はもう悪い予感を拭い去れない。

あ、これ、2本目かもしれない。

しかし僕の終電は12:23なので、2本目が出てくるのを待っていたら間に合わない。

うーむ、と腕組みしてしまったが、仕方がない。

結局12:15になっても二人は現れなかったので、諦めて帰ることにした。

※ ※ ※

さて、この体験はしかし、僕にとってどこか「いい」体験であった。
と言うに、まずやはり僕は飛行場が好きだから、ということと、出口で暖かく迎えられテいる帰国者、旅人を見ているうちに、なんだか、こちらまでいい気分になってしまったから、ということがある。なんだか僕も、海外から帰ってきて、誰かに思い切り笑顔で抱きしめられたいなぁ、とか思ってしまった。

そして、携帯電話でいつでも世界の誰とも連絡が取れて、「確実に会う」ことが簡単なこの時代に、「会えるか会えないかよくわからない」状況に身を置くのは、随分と稀有な経験だよな、とも思ったのだ。昔の待ち合わせってこういうところがあったんだろうな、と思う。
自分の知っている人が眼前に現れるのをいまかいまかと待っている間の心持ちというのは、それだけで割に充実した気持ちだったりする。少なくともその待ちわびている間は、その人たちのことしか考えていない。で、そういう、「自分の想像の中に人を思い起こして触れ合っている時間」というのは、これは、目には見えないけれど、少なくとも大事な人生の滋味の一つなんだなぁ、と思えたのだった。

そんなわけで、目的は達成できなかったのだけど、思いがけず別の発見があったので、帰り道もなんだかふふふ、と上機嫌で家路に着いたのである。

(そしてこれを書いている最中にマルクスからぽーん、とメッセージが来て、「ホテルに着いたよ!」だそうである。やっぱり、2本目で着いて、なんの問題もなくくつろいでいるのだな。やれやれ。まぁ、いいや。)

2019年3月26日火曜日

第354回 キムチの話

元気になると、どうも食欲が出ちゃっていけません。
80円くらいで買った白菜が随分余っていたので、切ってキムチにした。
前回はちょっと切り方が大雑把すぎて上手く漬かっていなかったので、今回はなるべく小さくした。
そういえば、確かに市販のキムチの切り方って、結構小さいのだ。
改めてみてみると、本当に小さい。
思っていたのの半分ぐらいの大きさである。

あれ、こんなに小さかったっけ、としばし見つめてしまうぐらい小さかった。
そして、白い芯の部分はさておき葉の部分なんかもう本当に申し訳程度のちびちびがいっぱい入っていて、まぁ確かに言われてみればこういうのこそ、結構好きだったな、と思い出すのである。

日常的に見逃しているものっていっぱいあるよな。


2019年3月24日日曜日

第353回

今日はいよいよ病気がほぼ完治したよう。
どうやら胃腸炎か何かだったみたいだ。
ずっとお腹を痛めていたのだが、これを書いている今は、もうだいぶ和らいできている。
まだ少し気だるさと胃の重さを感じるが。

仕事を休ませてもらって、朝はゆっくり起きて、『ボクの音楽武者修行』を読んでいた。この本は、折に触れてなんども読み返している。
1日もあればすぐに読み終えてしまう。

遅めの朝ごはんに、おかゆを作る。
余っていたご飯と、中華の素と、醤油と、塩、卵を入れてしばし煮込み、最後に梅干しをポトンと落とす。
うむ、美味しい。

それでもお腹が空くので、数時間したら、納豆梅干しパスタを作った。
納豆を混ぜて、そこに梅干しを入れる。
パスタは、茹で上がったものに少しオリーブ油を混ぜ、熱々のうちにさっき作ったペーストをのせて食べる。
うん、美味しい。

ああ、なんだかまたお腹が空いてきてしまった。
ご飯を美味しく食べられるというのはまことに幸せだ。

3日寝込んでいたので、久々に清々しい気持ちで外に出たら、廊下で身重のネコがのんびりしていた。


2019年3月23日土曜日

第352回 治癒力について

昨日もう治ったと思ったら、布団に入るなりジェットコースターに乗っているみたいな震えが来て、結局今朝も腹痛がじんわりと続いている。

素人なりの考えで、自然治癒ってすごいなぁ、と思っている。
薬とか、療法とか、色々あるけれど、結局根本的な回復は全て身体がやってくれているんだ。

熱が出るにしても、僕はいつも、「そうか、熱が出るということは、身体の温度を上げて、何かしたいと思ってるんだな」と思って大人しく布団に入って、補助してあげるために暖かくするし、「お腹を下しているということは、何か悪いものを必死で外に出そうとしてるんだな」と思えば、食欲がないのも宜なるかな、と納得するし、とにかくおとなしく身体のいうことを聞くようにする。
まちがっても「なんだ、困っちゃうな、具合なんか悪くなって」とは思わないようにする。
だって、向こうは必死でやってくれてるのだ。
電車が遅延してるのを見て、「なんだ、ふざけやがって」と言っちゃあ、必死で復旧にあたっている人に気の毒だ、というのと似ている。

そういう時、なんだか自分の身体って、思い通りになるようで、そんなことは全然なくて、むしろ自然の一部みたいなものだな、と思う。
勝手に生えてくる雑草や、降ったり降らなかったりする雨や、数百万年かけて変わる地形とどこかで地続きの、最低限の同一性を保ちつつ、ウニャウニャと形を変えながら進んでいく、自分ではどうしようもないものの一部なんだな、と思う。

ずっと家にいる。

2019年3月22日金曜日

第351回 久しぶりに風邪を引いた1日のこと

風邪を引いた。
随分と久しぶりのことである。

最後に風邪を引いた記憶として残っているのは、2015年にフィリピンに行く直前である。
いや、でもその前にニュージーランドに行く前もなんか風邪ひいてたような気がするな。

とにかくフィリピンに行く前には、ちょっと事情があって外でずーっと人を待っていたのだ。それが2月もまだ寒い頃で、帰ったら悪寒がしたので寝込んだ。
確か3日間ぐらい寝込んで、もうこりゃ、最悪キャンセルだな、と思っていたのだが、出発当日になったらけろっと治ってしまった。

ああよかった、これで航空券代も無駄にならずに済む、と思って家でゆっくりしていたら、今度は飛行機が出発する3時間前になって、「あれ、そういえば成田空港までって2時間ぐらいかかるじゃん」とはたと気づき、病み上がりの身体でスーツケースを引いて全力疾走した。

結果的に、搭乗時間ギリギリでなんとか滑り込み(けど最後から2番目だった)飛行機でむせこみながら、それでも現地についてだらだら過ごすうちに完治した。

今回は、朝から異変を感じており、なんだかなぁ、と思いながらも、窓を全開にして、お風呂に入ったり、洗濯物を干したり、仕事をしたりしていたら、みるみる体が震えるようになって来て、ああ、こりゃいかんな、と思って、気力を振り絞って手をつけていた仕事だけを終わらし、早速布団を敷いて寝た。
枕元には、同じく気力を振り絞って入れた1リットルの麦茶を携えて、目が覚めるたびにひたすら麦茶を飲んだ。

3時間ぐらい、もう、だらだらと汗をかくようにして寝て、起きてみたら、少し体が楽になっていた。

何かを無性に口に入れたくなったので、冷蔵庫にあったレモンを切って食べた。
酸っぱさが心地よい。
それから、何を思ったか僕は親子丼が食べたくなってしまい、近所のスーパーに行って鳥のムネ肉や何やかやを買って来て、お米を研いで炊き、玉ねぎをきり、肉を少し炒め、めんつゆで煮込み、キムチなんかも乗せて、1号の米と1.5人前くらいの親子丼のタネを平らげてしまった。

だがやはり風邪をひいている最中なので、だるさが抜けない。
読みたかった本を読んでみたりしているうちに、あっという間に23時である。

ああ、何もしてないなー、とがっかりする。

明日から頑張るしかないかなー、とか、思う。

なんだかね。
「やるべきことの量よりもちょっと多い量のこと」を日々やっていないと、がっかりしちゃうよね。

明日はさっさと起きよ。


2019年3月21日木曜日

第350回 今日は英語の事情である。

最近は英語のこともよく考えているんですよね。
先日、ジャグラーのトム・ウォール氏から、新しく出る本のデータを受け取って、そのレビューを書いていました。
そして、少し予想はしていたのだが、翻訳にも興味がありますか? ということを聞かれた。
すごく、やりたいんだよな。

僕は時々英日翻訳の仕事を受けるけれど、本一冊分の翻訳というものはしたことがない。

これを機に、ちゃんと予定を調整して、やってみたい、と思っていたりする。

こんな本。
”Juggling - From Antiquity to the Middle Ages: the forgotten history of throwing and catching”
『ジャグリング 古代から中世まで:「投げては取る」の忘れられた歴史』
(タイトル邦訳筆者)

2019年3月20日水曜日

第349回 さて、このところのフランス語勉強事情である。

さて、このところのフランス語勉強事情である。

去年の1月に「今年はフランス語の年にするぞ」と意気込んだ。
…のはいいものの、全然まともに勉強することなく、あっという間に一年が終わった。

「年の初めだからと言って何かを特別に決意するのはやめよう」と心に固く決意した。

そのまま季節は春になり、花粉が鼻を刺激し始めた頃、「ああ、なんか、今ならフランス語ちょっと話せそうだな」と唐突に感じ、その熱(か錯覚か)が冷めないうちに100日間毎日フランス語で何か喋ってインスタグラムに投稿しよう、と決めた。

これは、なかなか「効く」やり方だと47日目になる今日、思う。

一日10分や30分フランス語のビデオを撮るのに費やしたところで、フランス語が上手くなるわけではない。

だがとにかく毎日何かしなきゃな、というふうに思う。
それが他のことを誘発してくれる。

少しだけ文法書でも読もうかな。
朝ごはんの間くらいフランス語でラジオでも聞くかな。

それが47日間ずーっと続くのである。
これは、「うっかりやらない日があって結局6日目ぐらいで終わる」よりもずいぶんな進歩である。

毎日インスタに上げる、と宣言してしまったことで「今日はフランス語に触れたか触れていないか」というフィードバックが自動的になされるのである。


毎日何かを続ける本当の目的は、目標について毎日考えるようになること、ただそれだけいいんだろうな、とおもう。

エティエン君ともフランス語でやり取りをするようになった。かなり無茶なんだけど、まぁなんかなんとかなっている。

2019年3月18日月曜日

第348回 ジャグリングが役に立つとき

高校時代の友人と会った。
彼が今年結婚式を挙げるというので、そこでパフォーマンスをするのである。
昨日はその打ち合わせだった。

駅で待ち合わせして、式場を見て、説明を聞いてから一緒にお酒を飲みながら話す。

どういう風にお祝いしようかな、と考える。

同時に、自分がジャグリングをする人間でよかったな、とも思う。

ジャグリングが人の役に立ってくれる時は、やっぱり僕は嬉しい。


2019年3月17日日曜日

第347回 デイヴィッド・ケインさん

David Cain(デイヴィッド・ケイン)さんという、アメリカ人のジャグリング歴史家がいる。
彼は、古いジャグリング道具の収集もしている。
 彼の持っているクラブのコレクションの一部が、IJAのインスタグラムアカウントに載っていた。
 美しいよなあ、とおもった。

 彼は他にも色々と面白い道具のコレクションを持っていて、去年のイギリスのコンベンションで見せてもらった。 ケインさんのプレゼンテーションの仕方もまた面白いのだ。 ジャグリング道具といっても、工夫の凝らされた道具から、シンプルなおもちゃのようなものまで、実演しながら、ジョーク飛ばしながら、片端から見せてくれる。


2019年3月16日土曜日

第346回 届いたカードは悪くない

先日注文したカードが、もう届いた。
早いね。
完成品は、ちょっと想像と違った。

悪くないんだけど。

悪くない、というのは、よくない、ということである。

僕はフランス人じゃないので、いいときは素直に「あ、いいねー」という感想が漏れる人間である。
そうでないということは、やっぱり、よくない、ということなのだ。

2019年3月15日金曜日

第345回 手書き


昨日手書きのことについて書いたけれども、やっぱり僕はそういう「揺り戻し」を必要としている気がする。別に「パソコンの作業はんたーい!」と言いたいんではなくて、バランスを取らなきゃな、ということである。

十全に。

2019年3月14日木曜日

第344回 バランス

「ああ、今日は全然世界と触れ合っていないなあ」
と思うことがよくある。
天気がいいのに、屋内で1日過ごして、特にパソコンなんかやっていたりすると、やっぱり思うよね。

昨日は一日中Fuji君といろいろ検討していた。
カードを作ったり、バッジを作ったり。

でも一番好きなのは、自分の手でスケッチをたくさん描いている時だったりする。

僕がパソコンに向かってデータを作る間、Fuji君がPONTEくんを描く練習をしていた。

2019年3月13日水曜日

第343回 外国生まれの人と話すことば

フランス人と(インターネット上で)会話をする。
その時、よく英語を使う。
今はフランス語を勉強しており、簡単なことだと、割とわかるようになってきた。
それでも、あんまりフランス語で話す気にならない人、がいる。
それは、はじめに出会った時から英語で話していた人である。
ニノがそうだ。
もっとも、ニノにフランス語で話しかけると、とても嬉しそうにするのは知っているんだけどね。

他にも、イタリア留学中に出会ったがために、イタリア語でしか話さない台湾人の友達もいる。

なんだか、恥ずかしいのである。
その人の普段使っている言葉を使うのが。
それは、僕が割に「テキトーに」外国語を習得していることと無関係ではない気がする。
究めてないから、なんか、明らかに向こうの方が有利で、僕の立場が弱くなっちゃうよなー、とか、思うのである。
そして何が悪いかというと、それを相手も感じとるだろうから、そうなった時、今までの対等な友人関係でいづらくなっちゃうんじゃないかなぁ、と思ったりするのだ。

ときどき、やっぱり西欧の人はいいなー、と思うのは、英語という世界のリンガ・フランカを使うにしても、同じインド・ヨーロッパ語族の言葉を使っていて、(あとはローマ字を使うところが多くて)すでに身体に染み付いた言葉の使い方に、僕らよりももう少し近いところで、英語を使うことができるんじゃないかなあ、と思う時です。
僕らが漢字でコミュニケーションをとる、のにも例えられる。(まぁ、同じインド・ヨーロッパ語族だってだけで、チェコ語とか、フィンランド語とか、イタリア語だって全然違うけどさ)



だからどうってんじゃないけども。

そして、日本語、という、英語とはかけ離れた言語を自在に使うことができる、ということに得意になる時だって多いので、まぁ、おあいこだな。

2019年3月12日火曜日

第342回 自分のしごと

仕事、というのは、「する」「こと」だ、ということを思う。

自分が何をして歩んでいきたいか、だよなぁ、と思ったりする。
そのことを、いつでも考えていたいよな、と思う。
その後に、お金のことだとか、もちろんくるのだけど、軸になるべきなのは、自分が何をして歩んでいきたいか、である。

そして、人の役に立てるのがいいな、と思う。
人の役に立つために、すること、が自分にとってなんであったらいいのか。
と、考える。

昨日、確定申告、終わる。
まだまだ色々とわからないことも多い。

2019年3月11日月曜日

第341回 手仕事について

手仕事、手書きの方はいいよなあ、と感じる感性があって、それはどういうところからくるのだろう、と考える。

そこには、「それを作ることを楽しんだ」という過程が見えるからではないだろうか。

2019年3月10日日曜日

第340回 写真

写真をきちんと撮れるようになりたいな、と折に触れて思うのだが、なんだか、時間が取れずにいる。

今日は少しだけ撮った。
別に特に意図は無し。

2019年3月9日土曜日

第339回 野毛という町について

川内有緒さんという方に誘われて、野毛に行ってきた。
と言っても、毎週のように野毛付近にいるのでそのこと自体は真新しくないのだが、初めて、野毛らしく飲んだ。

まず、ロザリオというイタリアンバルに行く。
着いてみると、アリオさんの他にも妹さんや、友人のアイさん、そして、野毛で大道芸フェスティバルを開き、その文化を広めたIKUO三橋さん(このインタビューが、すごく面白いです)もいらっしゃる。
ピッツァとワインをご馳走になって店を出ると、アイさんの解説を聴きながら少し周辺を散策し、一年中サーカス芸が見られるバー、うっふに入る。うっふは二回め。チェルシーさんというエアリアルの方が出演していた。

そして次に、隣にあるル・タン・ペルデュというお店に入る。
ベルギービールのレフを飲みながら、生のトリオジャズ演奏を聴く。

上記のインタビューで森さんが「技というのは手段にすぎなくて、根本的には心が豊かになるようなものを出していけたらいいな」ということをおっしゃる。


昨日は特に、ジャズの演奏で、心に染み渡る音が心地よくて、音楽というのは人が演奏をしているものだ、ということをはっきりと感じとって、ああ、こういうことが、つまり見ている人が幸せに、豊かになることだな、とおもった。

2019年3月8日金曜日

第338回 Coroを作る過程で、「デザインする」というのはどういうことだろう、となんども考えている

このCoroを作る過程で、「デザインする」というのはどういうことだろう、となんども考えている。
一つ暫定的に出た答えは「工夫をする」ということである。
この考えかたを、さらにこれからものを作る過程で、更新していきたい。
「フェティシズム」ということも、大事な要素として入ってくるだろう、と思っている。
美ではなく、フェティシズム。
そこに個人的な「スキスキ」があって、それが普遍的であるはずだ、という確信が大事なんじゃないかと思っている。

2019年3月7日木曜日

第337回 Juggle Pack日記 ネームタグ編

僕とFujiくんとで作っているJuggle Packの第一弾、Coro。
昨日は1日かけて、ネームタグの試作でした。
かなりいいところまできました。


2019年3月6日水曜日

第336回 本

昨日、本を持ってきました。

昨日、新居(もう一ヶ月くらい住んでいるので、あんまり新居と呼ぶような気分でもないですが)に本をたくさん持ってきました。
実家に帰ると、数百冊の本があります。
もう半分くらい売ったりあげたりしたのですが。
語学関連だけでも100冊はある。
その中から、どうしても持ってきたいない、と思う本だけ、20冊くらい持ってきました。
本があると落ち着きます。
帰り道、なんで本が好きなのだろう、と考えていました。

普段生活していると、僕は基本的に、「今、このとき」のことを考えています。

でも、本を読むと、それよりも大きなもののことを考えるようになる。

本にはその予感、がある。


第335回 ジャグラーはなぜお金をかけないのか

 エリックが、「マジシャンはお金をかける傾向にあるんだけど、ジャグラーはその逆で、全然お金をかけないんだよね。だからものを売るのは大変だと思うんだけど、頑張ってね」と言った。 なるほど、そうかあ、そういうこともあるのかぁ、と思った。 それはなんでだろうな。


2019年3月4日月曜日

第334回 身体とジャグリングと

身体を使ってジャグリングをしているんだな、となまなましく感じることって、実を言うとあまりないんじゃないか、と思った。
むしろジャグリングをしているときは、道具の方に意識がいっていて、あまり身体を意識していないような気がする。

これが、いかに道具を持っていても、意識の中心が身体にあるとき、それはダンスになったり、他のジャンルに区別されたりするのかもしれないな、と思った。

まぁ、名前はどう呼ばれようとなんでもいいのだが、そういう風に意識を使い分けられたら、素敵だな。

2019年3月3日日曜日

第333回 これからのジャグリング

clusterというアプリケーションを使って、会議をした。
「これからのジャグリング」というテーマで、西野さん、中西みみずくんと3人で話した。
はじめは、「そんな大上段に構えたところからスタートして、うまく話せるかなあ」と思っていたのだけど、しばらく話していると、未来の可能性について思いを馳せるのがおもしろくなってきた。
VRや3Dプリンターなどを使って可能になりそうなこと、(これらは「これからのジャグリング」と聞いてすぐに思いつくことだ)他にも、日本の人口が減っていること、高齢者人口が増えていることから鑑みるこれからのジャグリングの広まり方の仮説(VRジャグリングでインターネットを開始て世界中の人が競えるような仕組みができたら、年配者の参加も増えるんじゃないか、とか。Pokemon GOみたいに)など。

ソフトウェアのジャグルマスターによって新しいサイトスワップが開拓されていった、というようなことが、VRの浸透で起こるかもしれない、ということも。

今話すと少し冗談めいて聞こえるけど、これもやはり、20年前から今を見る視点で、今から20年後を見据えると、やっぱり、気づかないうちに大きく変わるんだろうな。
そして、僕らは、そういう風に変わったジャグリングに、すっかり順応してしまっているんだろうな。

2019年3月2日土曜日

第332回 フランス語でしたいこと

ふと、フランス語を、やるなら、やっぱり、てってーてきにやらないとねえ、と思った。

僕の英語がいかにまだまだか、ということを思い出して、英語でさえやることが山ほどあるんだから、もうひとつ新しい言語を、きちんと話せるようになろう、というのには、やはり普段よりも2つくらいギアをあげるようなことがないとなぁ、と思うのだ。

第331回 モーニング娘。なんか聞いた後に思うこと

鍋を何人かのジャグラーと、大学時代の友達とする。
その最中に、いろいろ懐かしい音楽を聞いたりしていた。

モーニング娘。を聞いてみたりもした。
特別好きだから聞いていた、というわけでもないのだが、その時代のことを思い出してなつかしくなる。

「なつかしい」ということは、好きだ、ということなのだろう。

なつかしい、というのは、「あの時代がよかった」という客観的なよさではなく、「自分にとって、もう戻ることが到底できないよい時」という形で思い出される時間のことだとおもう。

第330回 スティックのマニピュレーション

このあいだまさやんがスティックのマニピュレーションを練習していた。
お皿を回すのに、スティックを使う。
ディアボロでも、スティックを使う。

僕は、いつだったか習ったクラブの技を見せた。
面白いね、という話になって、しばらく、まさやんと僕とFujiくんとで練習した。

それをそのまま、たとえばディアボロを投げている間にその技をやる、というのではすこし味気ないような気もするが、何かがうまく噛み合ったら、お皿ならではの技、ディアボロでしかできない技、にもなるかもしれない、と思った。

他の分野の技を持ってくる、のは、シンプルで安易なようであるけれども、そこを手がかりに何か他の発展性がないか、考えてみるのは悪くないような気がした。