2018年6月30日土曜日

第122回 「トリック」に惹かれなくなって来たことについて

10年前に、ジャグリングがまだまだ全然できなかった頃、新しい「トリック」を習得したり、新しい「トリック」を考えたりすることにとても興味があった。

最近はそうでもない。

技術を十何年経っても常に追い求め続ける人を見て、すごいなぁ、と本気で感心している。
同時に、なにか最近、「新しいトリック」というものにいよいよ今ひとつ熱くなれない自分がいる。
「トリック」の中の細かい違いよりも、どういう人がやっているのか、という部分が気になってしまう。
うまくなる、と一口に言っても、やっぱり「うまい」という基準そのものが、なかなか単純ではないなあ、とも思う。
「観ていて気持ちいいもの」は、演じる方の気持ちの持ちようとか、見る人と演じる人の関係などで変わってくる。

Bboy Cloud という人を横ハピのケント君に教えてもらった。
この人は、あくまでインスタグラムから受ける印象なんだけど、ヒーローになろうとしている、というより、ただ周りの人を喜ばせる、笑わせる、そういう気持ちが強い人なんじゃないかと思った。
それで大勢の人から支持を得ている。
そのことを、僕はすごく魅力的だなぁ、思った。
もちろんごりごりパワームーブを爽快に決めてくるBboyも見ていて気持ちいい。でも実際のところどんな人なのかは知らないけど、Cloudみたいな印象を与える人というのは、とても優しくていいな、と思う。
ダンスをやっていない時の自分とダンスをやっている時の自分が、すごく上手く混じり合っている、みたいで。
ディアボロのエティエンもそういうところがある。
まぁなんか、テキトーに行こうぜ、みたいな空気を持っていて、憧れる。

場所に応じて、求められるものというか、こんな部分を見せようかな、と臨機応変に自分が見せる部分を変えられる人は、とても素敵だよな。

2018年6月29日金曜日

第121回 どれぐらい模倣にうんざりしているか、の話


「目が肥えている」という言い方があるよね。
これはポジティブに聞こえる。
たくさんいいものを見てきた人が、何が良いか、何が悪いのか、自分の中で基準を持っている、というような意味。

ある日、立ち仕事をしていたら、ふと、あ、それって、「模倣にどれだけうんざりしているか」、ということの指標でもあるな、と思った。

「同じようなものをたくさん見てきた」ということだ。

例えばここに、典型的な大道芸をやる人がいたとする。
その人の芸は、割に他の大道芸人もやるような「お決まり」のネタをやったとする。

それを「ああ、この人もか」と思ってしまうと、楽しめなくなる。
「きっと〇〇さんの真似をしているに違いない」とか、思うかもしれない。

一方でそれを初めて観るような人は、とても感動して帰って行くだろう。
ディアボロという道具を高く高く放り投げる。
思っても見なかったような高さまで上がって、あわやというところで、それを華麗にキャッチする。

観た人は、「今日はこんなすごい人を見たよ」と、友人家族に嬉しそうに話したりするだろう。

その偽りのない感動の中に、悪い部分って、果たしてあるのだろうか、と思う。
よくあるものと、珍しいものを判断できることって、必ずしもいいことなのか、とさえ思う。
一緒に大道芸を見るなら、間違いなく、「まだ何も見たことない人」と一緒に行った方が楽しいだろう。

「どれぐらい模倣にうんざりしているか」という風に「鑑識眼」を捉えると、また違った見方が現れる。

この間書いたような、「いいものばかりシェアされてくる」話とも繋がりがある。
いいものだけではないけど、悪いものも、とにかく何かをたくさん見ることには、「うんざりする」という副作用がついてくる。
それが悪いと言いたいわけではない。
あくまで、ただそういう言い方にも十分権利があるな、と思っただけ。

「目が肥える」というときに、「初めて」の純粋な驚きを、やたらに切り崩して行ってしまっているみたいな、そういう感じがする時がある。

2018年6月28日木曜日

第120回 改めてボールジャグリング入門を読んで

最近、『ボールジャグリング入門』を読む機会がありました。
ジャグリングを教えるようになって、その時参加者の方が持ってきていました。

改めて読み返してみると、基本的なことが網羅されていて非常によくできた本ですね。
そして、この本片手に、必死になって技を覚えていたことを思い出しました。

その当時は、本当にジャグリングの「技」という概念がとてもわくわくするものだったことも思い出しました。

5ボールが、「ジャグラーの試金石だ」という記述も、今の平均的なジャグリングの技術レベルからすれば少し時代を感じるようなものにも思えますが、やっぱりあの頃は「きっと5個もボールが投げられたら、さぞ気分がいいだろうなぁ」と思っていました。

実際初めて投げることができたときのことも、12年前ですが、やっぱり覚えています。
それはそれは気の遠くなるようなことだったことも、やっぱりそこはかとなく覚えている。


2018年6月27日水曜日

第119回 ある程度まとまった時間で

今日は昼から4時間ずっと、演技について考えたり、ボールのチュートリアルビデオを作ったりしていました。

ようやく形になってきた。

そして仕事へ。

ある程度まとまった時間でやらないと進まない物事っていうのは確かにあるなぁ、と思う。

2018年6月26日火曜日

第118回 ツマラナイことの連続

カテリーナ・カンプラーニさんという、人のよさそうなギリシャ女性のデザイナーがいる。
作品のいくつかを、映像で見た。
太すぎるナイフや、二つが取っ手で鎖のように繋がれてしまったマグカップ。
柄の部分と先の部分がチェーンで繋がれているフォークなど、「使いづらい」形状を考えて、デザインする"The Uncomfortable"プロジェクトを展開している。

彼女はこれを「私の作る道具を見るとみなさん、怒るんですが、役に立たないこれらの道具は、教育的な役割を果たしているんです」という。
なるほどね。

こういうことをジャグリング道具でも実験したいな、と思った。

だからとりあえず忘れないために、という意味も込めて、動画をシェアした。

ジャグリングでこれができたら相当面白いだろうな、と思った。
いろんな人から評価されたりするだろうな、と夢想した。
「面白そうなこと」って、思いつこうと思えばバンバン思いつける。

けど、バンバン実現できるかと言ったら、そうでもない。



話変わって、先日まさやんに口頭インタビューをした。
まさやんは、皿回しで今度IJAコンペティションに出る。

どういう風に今のスタイルになったのかを聞くと、
「『皿回し』で、他の人ができないことをやってやろう、と思った」
と言っていた。

実際、まさやんはいま、4枚をスティックの上で投げたりしている。
皿回しジャグリングの境地を開拓し続ける、トップの存在だ。

思いついたことを言葉で言ったり、絵に描いてみるのは簡単だ。
なんだか夢が広がって、わくわくする。

だが現実にそれを形にする過程は、ツマラナイことの連続だ。
練習をするにしたって、まず練習場所を確保する。
どうやったらできるのか、考える。
「全然できない」という状態が何日も、何ヶ月も、続く。
その間も、「それでも俺はこれをやりたいんだ」と自分に思わせないといけない。

一つの思いつきを実践するのに、何年もかかることだって珍しくない。

まさやんが今にたどり着くために、どれだけ黙々と、地道に練習を重ねてきたか知っているから、余計にそう思う。

2018年6月25日月曜日

第117回 ジャグリングを人に教えること

人にジャグリングを教えることについて書いてみようと思う。
なぜなら最近人にジャグリングを教えているからだ。

コワーキングスペースに行って仕事をすることがあるのだけど、そこのかたがたが、ジャグリングに興味を持ってくれている。それで、ジャグリングを一から教える。

ジャグリングを教えたことは何度もある。
シンガポールで教えたこともある。
まず何よりも興味を持ってくれるのが嬉しい。
熱中している姿を見ると幸せな気分になる。

初歩なら教えられる、という自分自身に自信が持ててくる。
だいたいどんなことを聞かれても、「それは、こうすればよくなるかもしれないですね」とか、「こういうのもこの先にあります」とか、経験から、さっと言える。

自分の経験でものを語って、それが感心して受け入れられる、というのは、やはり気持ちがいい。
聞く方だって、付け焼き刃ではない話を聞けば、「この人はきっと色々と知っているんだ」と、何かを感じるだろう。

だが、僕は何か教えられることがあったとしても、普段あまり積極的に人には教えようとしない。聞かれれば嬉々としてなんでも答える(答えようとする)のだけど。

恥ずかしさがあるからかもしれない。
自分から進んで教えに行ったら、なんだ、偉そうにしちゃって、みたいに、俯瞰して自分を見てしまうからかもしれない。

そもそも自分自身が、昔から、あまり人から何かを教わりたがらない、人のところへ行って教えを請うのが苦手な人間だった気がする。
自分で独力で考えて、習得したいなぁ、と思ってしまうことの方が多い。
どうも「教えてください」と言いに行くのが下手である。

それで、人のところに自分でひょこひょこ行って余計な口出ししちゃあ、悪く思われるかな、とか、心配になってしまうのだ。

けども最近、人に教えるのって、面白いな、愉快だな、と思っている。

そうやって教えに行って、自分は、もっと人からいろんなことを教わろう、と前向きな気持ちになればいいのかもしれない。

2018年6月24日日曜日

第116回 なんか飽き飽きしちゃう時

フェイスブックとかツイッターとか、インスタグラムとか。
SNSに関わっていて、ジャグラー、ダンサーの知り合いが多いと、否が応でも「すごい人たちの動画」が回ってくる。
そういうのが回ってくると、やはり気になって、ちょこっと見てしまう。

ただそういう入力が多いと、時々うんざりしてしまう。
見てしまう自分が悪いんだけど。

僕はなんだか「すごい」ものをずっと見ていると、「すごい」ものを賞賛する態度が世に溢れている、ということを思って、「そればっかりじゃなぁ」という気分になってくる。

TEDの講演とかも、よく見るし、感心する。
でも3本、4本と立て続けに見て、ふと「優れた意見ばっかり見てしまった」とか思う。

「素晴らしいもの」が無料で、簡単に見られたり、聞けたり、読めてしまう、というその事実に、何かもどかしいものを感じる。一抹の罪悪感、と言い換えてもいいような気がする。湯水を無駄に使っているような気分に、あるいは近いのかもしれない。
栄養ドリンクばっかり飲んでいて、まともな食事をしていない気分、とかにも近いかもしれない。

汗水垂らして運動して、その後に飲む蛇口から出る一口の水がうまい、みたいな、そういう感覚もいいよな、と思う時がある。

やたらに、ではなく、緊張感を持って見たいよな、と思ったりする。

2018年6月23日土曜日

第115回 W杯とメガネ

ワールドカップを見ない人間です。

普段からスポーツを見ないし、あまりスポーツに興味を持たない。
別に敵意を持っているわけでは全くないです。
たまたまやっていれば見ちゃう、くらいです。
ただこの時期にワールドカップの結果に興味を示さないと、なんだか蚊帳の外の気分です。

球技が昔から苦手で、ジャグリングをやっている今も、遠投は大の苦手です。
ゴミ箱にものを投げ入れても、10発中9発は外れます。
目の前にあるゴミ箱に入れることですら失敗します。(たぶん人によってはその下手さを見て驚愕すると思います)

ジャグリングで鍛えられる「もの」に対する感覚と、普段の生活に必要な感覚、球技で必要な感覚は全然違うよなぁ、と思います。

あと僕はあまり目が良くない。
裸眼だと、30cm以上先にある字は一切読めないくらい悪いです。とても強いコンタクトレンズを入れているので、遠近感が人とややずれている、と感じる時があります。

たまに、裸眼で生活できたらどんなにいいだろう、と夢想することがあります。
小学校4年生からずっとメガネをかけて生活してきました。
今ではメガネやコンタクトがないと生活が(おそらく)成り立たないので、もし地震でもきたら、まずはメガネを持っていないとな、と思ってはいるのですが、実際は持ち歩いていません。
多分、僕だけではなく、多くの人が、本当に帰宅できなくなった時は、メガネが大事、ということって多いんじゃないかと思うんだけど、どうなのだろう。

2018年6月22日金曜日

第114回 ジャグラーに体づくりが必要かって

僕は筋肉がわりにある方なのだけど、「やっぱりジャグリングすると筋肉つくんだね」と言われる。

しかしそうではない。

僕は、ジャグリングで今自分に付いているような筋肉がつくとは思えない。

ジャグリングをしていても、「なんか運動不足だな」と感じることはいくらでもある。

むしろジャグリングは、身体が鍛えられていなくてもできる。
もちろんジャグリングをし続けた結果特定の筋肉がつくことはあるけど、多くの場合、別にジャグリングをしていて全身ムキムキ、ということにはならない。(でもジャグリングのために筋トレをする人は、いる。)

じゃあ僕の筋肉はなんなのか、というと。


なんなんでしょうね。
少なくとも自発的に家で筋トレをしたりしたことは一度もない。
重い荷物ばかり持っているから、というのが今のところの僕の有力な仮説である。
荷物の選別が下手くそなので、(実に)いつでも「念のため」の本だとか書類だとかパソコンだとかなんやかやがリュックに入っている。
それで、5、6キロはある荷物をいつでも担いでいるので、特に腕から肩にかけての筋肉がつく。

中学、高校生の頃に少林寺拳法をやっていたので、その頃基礎的に付いた筋肉が未だ保たれている、というのも一つの仮説である。
一度筋肉がつくと、それを使ってできることが楽しいものだから、生活の中で無意識に何か筋肉を使うことをしていて(荷物持つとかね)その筋肉が、意図せずとも脈々と後年までも鍛え続けられる、という仮説である。


でもとにかく、ジャグラーには、必ずしも筋肉作りって必要ないんだよな、という話でした。

2018年6月21日木曜日

第113回 いろとりどりのセンタク、を、見た

昨日の続きです。

初めて獨協大学にin

獨協大学のジャグリングサークル「カクタス」の公演を見に行って来ました。



入り口では、爽やかけん玉お兄さんがお出迎え。

といっても、普通の公演とは少し趣を異にしていて、まず入り口から劇場にかけて、壁にたくさんの写真が貼ってあります。



会場になっている劇場の中にも貼ってあります。


これらの写真は、主にカクタスOBの笹川峻征さんが撮影したものだそう。
(笹川さんのポートフォリオ

この写真も。ハッとします。

会場へは、開演一時間前から入れるようになっていて、写真を眺めて過ごすこともできるようでした。時間になると、舞台でジャグリングが行われます。

舞台には、上から写真が吊るしてありました。

ボールを使って、複数人でリズムよくパターンで投げたり、デュオでは、ゆったりとした質感のジャグリング。ところどころソロのジャグリングパートも入ります。
時間は30分ほどで、あっという間でした。

写真と、思い出、そして、数ある選択肢の中から選ばれた一つの行為、というような、そういう重ね合わせが見えました。センチメンタル。

終演後、今回この公演のことを教えてくれた、そしてキャストの一人でもあった佐々木隼人さんと、公演メンバーの方々とお話。
この公演は2、3、4年生が入り混じって作り、その中にOBである佐々木さんも入ったそう。

佐々木さんは、「ジャグリングをしない方にも見て欲しい」と語っていました。

本日も公演、あります。
お時間ある方は、ぜひ。

カクタスの公式ツイッターでも情報がチェックできます。https://twitter.com/jugg_cactus_dok

2018年6月20日水曜日

第112回 いろとりどりのセンタク




今日はこれを見に、はるばる獨協大学まで来ました。
今回のキャストでもある、獨協大学のジャグリングサークル「カクタス」の佐々木隼人さんに誘っていただきました。
ただいま近所のドトールで待機中。
楽しみです。

明日6月21日(木)も公演、やるそうですよ。

2018年6月19日火曜日

第111回 ジャグリングをする前の「イメージ」

関西の方にも友人がおりますが、とりあえずは無事だったようです。
大阪で被災された方、お大事になさってください。

ジャグリングをする前の「イメージ」について。

こういうジャグリングをしよう、と思う時、それは頭の中でどんな形で存在しているんだろう。

具体的に、ボールをこういう軌道で投げて、ここでキャッチして、と明文化できる形で思い浮かぶこともある。
映像で、なんか、こんな感じ(それも比喩である時もあるかも。鳩が飛び立つ時みたいな感じ、とか?)と思い描いたものを、ジャグラブルな形に落とし込んでいく、というケースもあるかもしれない。
なんかこう、今はこうやって体を動かしたい、という気分からジャグリングを立ち上げていくケースもあるかもしれない。

まだウェスのインタビューを邦訳していて、こういうことを思った。
そのうち、邦訳はどこかで発表できたらと思っている。
すごくいい記事なのだ。
http://www.circuscentrum.be/en/artikels/i-try-to-be-in-service-of-juggling-juggling-guru-wes-peden/

2018年6月18日月曜日

第110回 でも実際に感じる時には、とても素敵な感覚です。



NJF(オランダジャグリングコンベンション)のビデオです。
この、ピティ・ペタ・ホーフェンショウというのがすごく好きです。

ウェスのインタビューを今完全な趣味で和訳している。気になることがあったので、ウェスのIJA2004のジュニアの演技を見ていた。10個くらいの動画を経由してここにたどり着いた。この動画で、最後ルークがショーが終わって話しているところで、なんだか胸が熱くなってしまった。どうも、ヨーロッパのコンベンションのことを色々と思い出してしまったのだとおもう。

フェスティバルに行く前って、あれもしよう、これもしようと思ってしまうものだ(インタビューしよう、とかもそうだ)。でもいざ現地にいると、その時起こっていることの流れの中に、身を浸したくなってしまう。コンベンションの最中は、それまでの自分の人生の脈絡なんか、およそ忘れてしまっていたりする。
果たしてどちらが正しい自分なんだろう? と思ったりする。

こういう自分の感じ方も、だいぶ偏っているというか、全員が全員そういう風に感じるわけでは絶対ないとおもうのだけど、少なくとも、そういう、一介の日本人のなどの瑣末な考えを乗り越えて、覆いかぶさってくる大きな力が、海外のジャグリングフェスティバルにはある。

…うーん、こうやって言うと少し物騒だ。
でも実際に感じる時には、とても素敵な感覚です。

2018年6月17日日曜日

第109回 アソーレスについて

アソーレス、孤独の群島 ポルトガルの最果てへの旅



こんな本を読んでます。
やっぱり一冊ぐらいアソーレスに関する本を読んでおいたほうが面白いかな、と思い、借りてきました。

アソーレスは、なんども触れて来ましたが、EJCの開催地です。
僕は全然この地に対してのイメージがありません。
そもそも存在を知らなかった。

ジャグリングのフェスティバルでもなければ、別に行くこともなかったかな、と思います。ヨーロッパの人にとってははわりに有名な観光地のようですが、日本人の僕には、全く馴染みのない名前でした。そういう意味では、EJC、行きやすい国や地域でやってくれるのもいいが、もっとたくさん、名前も知らないような町や地域でやってくれても面白い。

2012年のEJC、ポーランドのルブリンは、僕にとっては少なくとも、全然名前も知らない、でもとても素敵な、なんだか「お得な発見」をしたように感じる場所でした。

アソーレスは自然に取り囲まれているそうです。
予定をたてる前は、ちょっと海にも出てみたいな、とか思っていましたが、いろいろな兼ね合いで、しっかり島を見るのは、ちょっと難しいかもしれない。ちょっともったいないけど、本当に気に入ったら、またいつか、ポルトガル旅行も兼ねて、行ってもいいかもしれない。(ポルトガルに行く時間も結局、ないのだ。)

話の筋とは関係ないんだけど、ジャグリングって、やっぱりすごく不思議だよなぁ、と思います。「ジャグリングが趣味です」って、どんな趣味なんだよ、と、思いますよ、なんだか。それで「世界中から人が集まる」というのも、何を目的に集まっているのか、はっきりしているようですごくあやふやな感じがする。

2018年6月16日土曜日

第108回 わーるど・じゃぐりんぐ・でい

今日は、ワールド・ジャグリング・デイでした。
と言って僕自身はどこかに出向いて特別なことをしたわけではなく、オーストラリアに住むジャグラーの芹川さんと電話をし、アメリカ人のジャグラーの友達に会って、(別にジャグリングの話はしませんでしたが)日本人のジャグラーの友達と会議をして終わりました。

ああ、でも、気がついたらジャグラーとばかり話していた。

日本でも世界でも、各地でジャグラーが集まっていたようで、SNSを通じて写真や動画がたくさん流れてきました。


芹川さんも、もう動画をYouTubeにあげていました。早い。
ちなみに。IJAが、世界中から、ワールド・ジャグリング・デイの様子を記録したビデオを募集していました。
https://www.juggle.org/programs/wjd/

きっと7月ごろに、総集編が出るのでしょう。

というわけで。

Happy belated world juggling day!

2018年6月15日金曜日

第107回 ゴーティエさん




IJAが毎月出している、トリック・オブ・ザ・マンス。
今月はゴーティエさんです。
彼は、本当に、動きにシグネチャーがはいっているよなぁ。

2018年6月14日木曜日

第106回 FDC2018(フィニッシュ・ディアボロ・コンベンション)

FDC2018

フィンランドといえば、あなたの頭には何が浮かびますか?
オーロラ。サンタクロース。かもめ食堂。
それか、アキ・カウリスマキでしょうか。
それとも、あの、黒い、まずいやつでしょうか。
僕にとってフィンランドは、サウナとディアボロの国です。

初めてフィンランドに行ったのは、6年前です。
ラウリさんという、それはそれはディアボロが大好きな人がいるのですが、その方に呼ばれて、フィンランドの田舎まで出かけて行きました。
行ったのはエラヤルヴィという村です。そう、村。ここはそれほど都会的とは言えないフィンランドの中でも、特に都会的と言えない場所です。
僕はその年、FDCという小さな小さなコンベンションに参加しました。

会場は、村の学校の体育館でした。
一通りのものは揃っていますが、全然立派なものではなくて、小さな、村サイズの体育館です。周りにも何もなくて、強いて言えば、あるのはスーパーと墓地ぐらいです。
それより先に歩いていくと、湖と森しかありません。あとは、1キロおきぐらいに家があります。

全部で3日間、その小さな体育館で練習をしたり、歩いて20分ぐらいかかる野原でゲームをしたり、あるいは歩いて30分ぐらいかかる村の劇場に行って、パフォーマンスを見たりします。やることは本当にそれだけです。

僕はこういうコンベンションが結構好きです。
フィンランドという土地柄もいいのかもしれません。
長いこと憧れもあったので、初めて行った時は感慨深かった。

さて、今年もラウリさんに誘っていただいてフィンランドに行くことになりました。
場所は相変わらずエラヤルヴィです。
ですが今回は、FDCよりも前に入国することになったので、ラウリさんと一緒に車でフィンランドの北部、ラップランドまで行く予定です。

サンタクロースの住む場所と言われる、ロヴァニエミにも行きます。

どんなところなんだろうな。

2018年6月13日水曜日

第105回 EJC2018

3つめのフェスティバル。

EJC2018

EJC2018 http://www.ejc2018.org

EJC(European Juggling Convention)は、一年に一度、ヨーロッパで開かれる、世界最大のジャグリングイベントです。ただし今年は開催が遠隔地のため、参加者は少ないかも。
ここ。

しかし、です。
例年通りゲストが豪華なのに変わりはありません。
ジェイ・ギリガン、エミール・ダール、エリック・ロンジュケルなど錚々たるメンバーがすでに参加を公表しています。(例年、ゲストは当日にならないと、わからなかったりする)

僕は最近、EJCだって、人の手が集まることで行われているんだよな、ということを考えます。そして、それを開催する人たちの「想い」のことを想像してみます。

高校生だった頃、(10年くらい前です)初めてナランハでEJC2006のDVDを見て、衝撃を受けたことを思い出します。自分もいつかは行ってみたいなぁ、とは思いましたが、実際に行く、ということは全然想像できなくて、それはもはや井上真央と結婚する、というぐらい不可能なことに思えていました。(いや、本当に。)

それが10年経った今、ほとんどEJCの常連みたいになって(今年で6回目)、そのほかの海外のジャグリングコンベンションにもちょくちょく顔を出すようになりました。

10年前は、なんだか、EJCというのは「夢の国」みたいに思えていました。
そして、2012年、「憧れ」から数年経って、実際に行ってみても、やっぱり「夢の国」みたいでした。当時はかなり興奮していました。今でも興奮はしますが、さすがにあの時の比ではないと思う。小学生の時の夏休みのような、すごく「気楽で楽しげなこと」でした。

少し感じ方が変わって来たのは去年からです。
EJCで、PONTEとして、出店をしてみました。

すこしだけ、「開催する方」に近づいたのでした。
その手続きで主催者とやりとりをしている中で、
「ぜひ、EJCのためになるようなことをしてね!」
と言われました。
その時、はあ、そうだよなぁ、EJCだって、人の手で開催されていて、続けるために大変な努力が払われているんだよな、と感じました。

今回のアソーレスのEJCのページの冒頭には、このように書いてあります。

The idea of hosting EJC in the Azores is a long-time desire from the pioneer Circus Arts Association 9’Circos: the first of it’s kind ever in the Archipelago. It’s vice-president, Frederico Melo, was elected Portugal’s representative in EJA and since then has been gathering support and making efforts to bring the Convention to the middle of the Atlantic Ocean: a dream come true in 2018, the 41st Edition of the European Juggling Convention.

EJCをアソーレスで開催することは、諸島で最初のサーカス団体「Circus Arts Association 9’Circos」の創始者にとって、長年の夢でした。団体主催であるFrederico Meloは、ヨーロッパジャグリング協会で、ポルトガルの代表として選ばれました。それ以来、この大西洋のど真ん中でEJCを行うために、様々な努力をし、各方面から協力を仰いできました。2018年、その夢が叶いました。第41回目の、EJCが、ここアソーレスで開催されます。

例年EJCの中で開かれる総会でも、いつもこのFrederico Meloさんは、「ぜひEJCをやりたいんだ」と言っていました。本当に、やりたかったんだろうなぁ。
向こうに行ったら、ぜひ話を聞いてみたい。

2018年6月12日火曜日

第104回 思惑通りにいかないもんだ

自分でも予期しなかったことが、どんどん現実になっていく、というのがある。

ジャグリングの場を作ろう、という、PM Jugglingのだいごさんに声をかけてもらって始まった企画が、紆余曲折をへて、また違った形に変化してきている。

なんだか最近は、「思惑」って何だろうなぁ、と考える。
思惑通りにいかないもんだ、というようなものでもなく、もはや、思惑通りではない、ということが普通であるような気さえしている。

キャッチ!の次はEJCなのだけど、このコンベンションのことについては、もう少し時間をかけて書きたいので、また次回、ということで。


2018年6月11日月曜日

第103回 イギリスのジャグリングフェスティバル 「CATCH! 2018」

お次はこちら。

Catch! Festival 2018


イギリスの、カンブリア(行政区分・カウンティの名前。州とか県とか訳されるが、実際はイギリス独特の区分)の中の、アップルビーで行われるフェスティバルです。

ちなみにこの「カンブリア(Cumbria)」は、カンブリア紀のカンブリア(Cambria)と関係あるのかなぁ、と思ったのですが、違うみたいです。
そちらの元になった「カンブリア」は、同じくイギリス連邦にありますが、その時代の岩石が最初に研究された場所である、ウェールズをラテン語で「カンブリア」というところから来ているらしいです。

横道にそれましたが、"Catch! Festival"です。
先日このイベントについて友人に話していたら、
ヨーロッパのサーカスフェスティバルはキャッチ!とかアップ!とか、
そんなんばっかりだね、と言われましたが、それも置いておいて。

Facebookで見つけたイベントの紹介を簡単に訳してみました。



A five day long juggling convention, circus festival and celebration of all things circus-y!
5日間のジャグリングコンベンション、サーカスフェスティバル、そしてサーカス的なもの全てのためのお祭りです!

To be held in the picturesque town of Appleby, 
in Cumbria, on the edge of the Lake District National Park and World Heritage Site.
景観麗しいアップルビーは、カンブリアにある町。
湖水地方の国立公園や、世界遺産にほど近い地域です。

Taking place July 23rd-27th 2018.
開催期間は2018723-27日。

All the fun things you expect at a juggling convention! Like:
-3 large 24hr practise halls
-indoor stage area
-workshops of all varieties
-shows every evening
-games
-competitions
-chill out spaces
-renegade shows late at night

ジャグリングコンベンションならではの、いろんなイベントが目白押し!
  • 3つの大きなジム
  • インドア・ステージエリア
  • ワークショップ
  • ショー(毎晩)
  • ゲーム
  • コンペティション
  • リラックススペース
  • レネゲードショー
As well as some extra fun things to be had, like:
-talks and seminars on aspects of circus, juggling culture and history
-specialist children's area and activities every day
-indoor glow and uv practise space every night
-cinema showing juggling and circus footage and popular films (children's films early morning)
-local food and stalls
-Lazy Juggler Board game area
-balloon zone!

他にもこんなイベントが盛りだくさん。
  • トーク、セミナーでは、サーカスやジャグリングのカルチャー、歴史について語り合います。
  • 子供のためのエリア、アクティビティもあります。
  • インドア・グロウエリア、UVプラクティススペースも毎晩使えます。
  • ジャグリングやサーカスのビデオを上映。(朝は子供向けの映画を上映。)
  • ローカルフードや、屋台もあります。
  • 疲れたジャグラーのための、ボードゲームエリア。
  • バルーン・ゾーン。
Tickets for this event will go on sale in January 2018 and will be £100. This price includes entrance to the full week event, all shows, workshops, talks and camping.

チケット販売は20181月から。100ポンドでスタートです。
このチケットには、すべての日程の全てのイベント、ショー、ワークショップ、トーク、
キャンプ場使用費が含まれます。

子供のための場所やイベントが充実していることからも伺えるように、
ファミリーフレンドリーだ、というところも売りのようです。

2018年6月10日日曜日

第102回 フランスのナショナルコンベンション、ABDD2018

今年の夏も、ヨーロッパに行きます。
今回は一ヶ月半の滞在予定。
コンベンションには今のところ4つ参加の予定。
順に紹介していきます。

フランスのナショナルコンベンション、ABDD2018

リヨンの近く、アンベリュー=アン=ビュジェイで開催されます。
今年で10回め。


エスパス1500という複合型施設で行われます。



公式ページより)

ジャグラーの渡邉尚さんに教えていただいて、
せっかくだし行こうかな、と思い、
当初の予定を少し早めて、フランスに向かうことにしました。
フランス発着の方が航空券がだいぶ安かったのもあり、結果的によかった。

オーガナイザーの中に、以前に紹介した、ジャグリングのビデオを作っているエロワさんもいるよう。

かなり大規模のフェスティバルだそうで、
大物ゲストも多数登場とのことです。

もちろん、テント泊。

ABDDってなんの略なのかなぁ、と思っていたら、
Au Bout des Doigts (オブデドワ = 指先)
だそうです。

そーか、ユビサキフェスタかぁ。

2018年6月9日土曜日

第101回 リスボンを見ることができるかどうかは分からない。

2018年6月18日に、ポルトガルを特集した、
雑誌『TRANSIT』のトークイベントが代官山TSUTAYAで行われる。
久しぶりにこういうの、行ってみようと思い、チケットを買った。

今度、世界最大のジャグリングの祭典EJCに参加のため、
アソーレス諸島(ポルトガル領)に行く。

そんなこともあって、「ポルトガル」というキーワードに惹かれた。
TRANSITの目次を見たら、アソーレスを紹介するページもあった。

今日はずっと一人で、
仕事したり、
練習をしたり、
また仕事をしたり、
飲み物を淹れて飲んだりした。

一人で過ごす時間って、寂しいけれども、
その寂しさこそが創作の原動力なんだなと思う。

2018年6月8日金曜日

第100回 ジャグラーが、ジャグラーとして 「これは面白いかたちだね」というもののかたち

先日無印良品で商品を触っていたら、
無印のものってどこか「触りたくなる」曲線を持っているよなあ、
と思った。

それでこれが、どうもジャグリングと関係がある気がしてきた。
(この感覚自体は以前からあったのだが、先日思い立って少し文章にしてみた。この記事は、そのメモの派生。)

「カッティングボード」
という、持ち手が極端に短い、
分厚い卓球のラケットみたいな形をした小さいまな板がある。
その触り心地がとてもよい。
少し重い。

そして、その触り心地であったり、重みであったり、材質であったり、匂いであったりを確かめるために、振ってみたり、ひっくり返してみたり、回してみたり、バランスをとってみたりする。

「うん、触り心地を味わう、というのは、とても楽しい行為だな」
と思った。

触って動かしてみること、というのは、
その「もの」についての一次情報を得ることなのだ。

これはジャグラーがやることに領域が近い。

同じかも、と一瞬思おうとしたが、
同じではないな、とは思う。

ジャグラーはどちらかというと、
いかに巧みにモノを操るか、ということに主眼を置く。
そのモノの質感だとかには、あんまり興味を示さない。

もちろん触っていて気持ちいい、だとか、
投げ心地がいい、とか思うときはあるけど、
それは主題ではない。

ただ、たとえばパフォーマーをしっかり観察したら、
その道具が触っていて気持ちいいと思っているかどうかは、
見ていてわかるんじゃないかなぁ、と思ったりもする。

「ものの質感を味わう」
ということをテーマに技巧的にモノを扱ったら、
それだけで一つの作品になりそうだな、と思う。

ただ一方で、ものの質感を扱ったアートって、
山ほどありそうだな、とも思う。

一番真っ先に思いついたのは、
「シンプルなかたち展」だった。
以前に六本木の森美術館に来た時に観に行った。

冒頭で、「滑らかな手のひらサイズの石をするすると手のひらで転がすだけの動画」
が出て来た。
当時も、「これはジャグリングだ!!」
と興奮した。

思えば、その動画で、「かたち」を味わう、
自分の中の官能的な感性が刺激されたのだと思う。

いち人間として、普遍的に感じたことのある
「なめらかさ」
を誇張して示されたことで、
「これは面白いなあ」
と思ったのだ。



さて、ジャグラーが感じる
「面白い道具」ってなんなんだろうなー、
ということを近頃考える。

ジャグラーが、ジャグラーとして
「これは面白いかたちだね」というもののかたちと、
普通の人が、
「これは面白いかたちだね」というもののかたちって、
結構違うんじゃないか、という気がするのだ。

ジャグラーは、そのものの
「扱いやすさ」
とか、もっと具体的にいうとたとえば
「引っ掛ける部分の多さ」とか、(ハンガーとかね)
そういうところに惹かれる節があるんじゃないか、という気がする。

2018年6月7日木曜日

第99回 脱線すべき時に、十全に脱線する

なんか、投稿数と日数が一致しないなぁ、と思っていたら、
どこからか二日分ずれていました。
さかのぼって、全部直しました。

というわけで、今日は99回目。
明日で一応100日間書いてきたことになります。

先日友人と話をしていて、(誰だったっけ)
「コボちゃんの作者は凄まじすぎる」
という話をしました。

一万日間以上も毎日描き続ける、というのは、
どう考えても普通じゃない精神状態じゃないか、と。
こんなインタビューもあった)

でも、こうして何かを続けて思うのは、
続けること自体は、慣れてくるとさして難しくもなくなってくる、ということです。
むしろ、その続けていること自体が
自分の生活の基準になってくる、という節があります。

最近は結構、「続ける」のっていいよな、と思っています。

そして続けるだけじゃなくて、
続けながらも、何かしら、進歩はしていたいよなぁ、という思いもあります。

ただ進歩を目指すのって、結構大変です。
だからこそ、進歩している人は尊敬されるのだろうなぁとも思いますが。

進歩と言っても、「どの方向に進歩するのか」
それを決めるのが一番難しいよなー、と思ったり、します。

ディアボロをするにしたって、
個数を増やそう、とか、この技の発展系を考えよう、
というのはわかりやすい進歩の形ですが、

「人にディアボロを見せるとしたら、
それは何が面白いのか、
ということを根本から考える」
というのは、まず方向性そのものがあやふやで、
自分一人でそれを練り上げなければならないとしたら、
それこそかなり大変なことです。

進歩の方向性が見えやすければ、
努力はしやすいです。
けれども、なんか、目標がわかりやすい中で
進歩をするのって、卑怯なんじゃないか、
とか思ったりすることもある。

でもでも。
じゃあ全部チャラにして、一から全部自分で考えよう、というのは、
全然うまくいかないことの方が多い気がします。

なので、一番いいのは、
「とりあえず、さしあたり一番わかりやすい道筋で修行をしながら、
その中で得た疑問や、自分にはそぐわない部分を見直して
脱線すべき時に、十全に脱線する」
みたいな態度じゃないかなあ、と、思ったりもするのです。

2018年6月6日水曜日

第98回 日々更新するんだったら、その日に思った好きなことを書こうじゃないか、と思った。

どうも。
ときどき、「『郵便箱』を読んでいる」という話を、
実際にお会いする人から
聞くようになってきました。
大変嬉しいです。

でも同時に、このブログの訪問者数を見ていると、
まぁ全然大したことはなくて、
それならいっそ、もうちょっと自分のためにやろうかなぁ、
とか思い始めました。

というわけで書き方を変えてみようと思う。

もう少し、「ジャグリング」という話題に絞られない書き方、というか、
あと、もう少し連続性のある書き方をしたい。
以前書いたことを、引き継いで書いていく、
というやり方をとってみます。

ありていにいえば、日記みたいな形にしたい。
日々の思索ノート、といってもいいかもしれない。

もちろんジャグリングについて触れてはいくつもりです。
でも、あんまり関係ない話題にも、ときどきなっちゃうかも。

でも僕はジャグリングのことを常に考えているわけでもないので、
無理にジャグリングの話題をひねり出すよりも、
(とはいえそういうのも修行として「アリ」かな、と思わないこともないですけど)
自然に、考えていることをそのまま記していく場にしようかと思います。

それで結果的にジャグリングのことが触れられていれば、
ああ、よかった、今日はジャグリングのことが書けたな、よしよし、
と安堵する。
そんなふうにしていこうと思います。

実は今、ジャグリング旅行記をボツボツ書きためていって、
それを軸に楽しげな本でも出したいな、とも思っていまして。

なので、100回を超えたら、
ここを、毎日旅行記が読める場所にしようかな、
と思っていました。
そう、そんなことを、アルバイトをしながら、考えていたんです。
(そういう時僕は、おしりのポケットに入れてある
小さなノートを取り出して、メモします。
いつ何時アイデアを思いつくかわからないので、
ボールペンも常に右ポケットにさしてある。
でもすぐそのボールペンをどこかに置き忘れたり、
筆箱に突っ込んじゃったりするので、
肝心な時にないときも多い。
困ったもんです)

でも流石に毎日はきついよなー、と思って、
(僕はそういう「ちょっとキツめの決意をした自分」は
信じないようにしよう、といつからか思っています)

毎日のことを、自分でも記憶しておくための場所にでもしようかなぁ、
と、今日、昔の「ほぼ日」を読んでいて、唐突に決意しました。
(わかる人には、きっと「ほぼ日」の影響を受けていることはバレバレで、
ちょっと恥ずかしいんですけど)

というわけで、
この「ジャグリングの郵便箱」は、より
「編集長の日記」みたいなものになっていきますが、
相変わらずジャグリングのことは書き続けていく所存です。
どうぞよろしく。

2018年6月5日火曜日

第97回 ブラジル、行きたいな。



もう、夏ですね。
暑くなってきました。
夏というと、こんな風にジャグリングを楽しみたいな、と思います。

ブラジル、行きたいな。

2018年6月4日月曜日

第96回 イスラエルのサギ・ブラハ



今日はとってもシェアしたいことがあります。

彼の名は、サギ・ブラハ
イスラエル出身の若手クラブジャグラーです。

フェイスブックを眺めていたら、この動画が流れてきました。
5月の11日から15日にかけてスイスで行われた、「インターナショナル・サーカスフェスティバル・ヤングステージ」での演技の映像です。

この演技は2年ほど前からずっと披露しています。
いまだにこの演技をみると、あたたかい気持ちになります。

なぜでしょう。

第一に彼の人柄というか、みんなに愛されるサギの「人の良さ」が、演技にも出ているからかもしれません。

それから、「曲のよさ」もあると思います。
本人を褒めていることにならない気もしますが、曲を選んで、それにあった演技を構成する、ということの中には、すでにその人の中身が表れている気がします。

気がつくとこの曲を時々口ずさんでいたりします。

ところで今調べたら、彼は1999年生まれなんですね。
18歳か、19歳か。

ヤングだ。

2018年6月3日日曜日

第93回 ヨーロッパの旅のこと

ついにヨーロッパ行きのチケットをとる。
色々と計画を立てる。

今回は、旅のことをなるべく具体的に記したいと思っていて、その分、しっかり向こうで考えをまとめる時間も取らないとな、と少し慎重になっている。

そして、「ここに行くんだけど、みなさん、何か情報ありますか」とフェイスブックで呼びかけると、色々な人が声をかけてくれて、ああ、ジャグリングの世界で各地を回ってきたけれど、こういう時に頼もしいな、と思う。

ジャグリングを今続けている一番のモチベーションは何か、と言ったら、依然、「それを通じて旅ができること」ではないか、と思っている。
もちろんジャグリングそのものも楽しいし、特に最近は、ディアボロで自分の「納得のいく動き」を追求するのが無性に楽しかったりする。

でも、そこに「人」という海のような深さが加わることで、ああ、技がどうだ、個数がどうだ、というのは些細なもんだよな、と思ったりする。
同時に、個人と本気で語れるのは、そういう技がどうだ、個数がどうだ、という話でもあったりしますが。

第92回 じゃぐる

じゃぐる、という言葉をかみしめてみている。
今日は一日中ジャグっていた、とかね。

ジャグる。

なんとなく「ジャグる」という言葉には、それに付随するカルチャーがあるような気がするんだよね。

2018年6月1日金曜日

第91回 ギア east version を見に行きました。

ギア』という公演を知っていますか?

ストーリーに合わせて、マイム、ジャグリング、ブレイクダンス、マジック、ドールが見られる90分のショーで、専用劇場があります。
ディテールも本格的に作り込んであって、まるでディズニーランドのアトラクションのような空間。もともとは京都で2012年から始まった公演ですが、昨年の12月から、『ギア・イーストバージョン』と称して、同内容を千葉でもやっています。

5月31日『ギア・イーストバージョン』を初めて観に行ってきました。
劇場入り口。

今日のキャスト。ジャグラーは、森田智博さんでした。

京都の方を以前に見たことがあって(3年前くらいだったかな)よくぞこんな町中で、ここまで精巧な専用劇場など作れたなぁ、と思ったものですが、そのクオリティが、ここでも。

この写真は終演後。床に散らばるものが何かは、観てのお楽しみ。

『ギア』の名のごとく、ガチャガチャと動く機械が満載の、「元おもちゃ工場」が舞台。
スチームパンクっぽい雰囲気がたまらない人もいるのかも。
僕は個人的に、「レバーで何かを動かす」ということにちょっとした憧れがあるので(多分昔ゲームボーイでやっていたドンキーコングのゲームの影響だと思う)舞台真ん中の「ギア床」を稼働させるシーンで、無性に嬉しくなってしまいます。「レバーが取れる」というコテコテの演出も、なんだかそそります。一度レバーが取れて「ア〜〜ッ!(目をひんむく)」というのをやってみたいと常々思っているので、もし取れそうなレバーが近所にある、という方がいたら青木までご一報ください。

さて肝心のパフォーマンスですが、こちらも、日本中から実力のある人たちが集まっていて、日本で観られる中では、実際、トップレベルのパフォーマンスです。コンスタントにこの質のものを観せられるというのは、裏で支える人、パフォーマーの努力、相当なものだろうなぁ、ということが察せられて、なんだかそのことに感動してしまいました。(いや、本当に)
僕が観た時はブレイクダンスがHIDEさん(しょぎょーむじょーブラザーズ)、マイムが金子しんぺいさん、マジックが紙麿呂さん、ドールはでんぱ組の藤咲彩音さんでした。
キャスト全員の雰囲気が明るくて、(そしてこういう雰囲気を、大舞台から感じる、というのはいつでもあることではないのです)とてもいい気分でした。

内容は、大筋は京都と同じですが、ちょっとした違いもあったようです。(だいぶ前なのであんまり覚えていなかった)また出演者によっても雰囲気がだいぶ違うので、一度観たことがあっても、別の日にくれば、別の楽しみがあります。
そもそも例えばジャグリングならば、扱う道具そのものが違ったりもしますしね。

料金、購入方法、劇場の場所など詳しくはこちらをどうぞ。