2018年11月24日土曜日

第268回 盛岡 ダンスとジャグリングのスタジオ tasse。

盛岡にある、Dance Juggling Studio tasse というところへ、公演を観に行ってきました。それに関するひとくち日記です。
 tasseは、照明、内装にもひとつひとつこだわっている、とても素敵なスタジオでした。
 ジャグラー・山村佑理くん(久しぶりに会った)(上写真右から二番目)と坂上健さん(初めて会った)(上写真一番右)というダンサーのデュオによるインプロは、ユーモア溢れるもので観ていて掛け値無しに楽しかったです。もちろん、見せる部分では、ぴしっ、ぴしっ、と見せてきます。そのバランス感覚が、さすが。スタジオそのものの居心地のよさと、技術が確かな二人がつくりだす、いわばしっかりとした土台の上に立つおもしろ建築を見ているような可笑しみが、見ていてとても気分のいいものでした。
 そして、tasseの物販コーナーに、PONTEも置いていただけることになりました。11月30日より販売開始とのこと。
公演は月曜日までやっています。お近くの方は、ぜひ。

詳しくはこちら

2018年11月23日金曜日

チケットの中身解説 (ジャグリングの郵便箱 第267回)

EJCのチケットに関する説明の概訳です。(原文はこちら)



>>>

チケットには以下が含まれています!

世界最大のコンベンションへのエントリー、ガラショーのチケット、スペシャルステージのチケット、オープンステージ、レネゲードショー、ユースショー、ワークショップ、エクストリーム・一輪車コンペティション、ウェスタンスキル(ラッソー、ガンスピニングなど)コンペティションなど。
そしてもちろん、ニューアーク・ショーグラウンドの、キャンプサイトも使えます!

第二回ヨーロピアン・ジャグリング・コンベンションのチケットは、もうすぐ購入可能になります。
2018年11月末に、まずは2週間のセールを実施します。ブラック・フライデーと同時開催!
きっちりスケジュール帳に書き込んで、チケットを格安で手に入れてください!
ヨーロッパ在住の方は、ユーロ払いでも買えます。

一度でもEJCに来たことがある方は、EJCは決してお金が有り余っているイベントではないことをご存知でしょう。
ボランティアによる素晴らしいチームが運営を担い、チケットに払われたお金や、会場内のバーやお店、グッズに払われたお金が、直接イベントを形作ることになります。
過去のEJCでは、経済的な問題を抱えたこともありました。そのようなことのないよう、このイベントをサポートしてもらえたら、と思っています。
もし、少しでも多くチケット代を払えるのであれば、ぜひサポーターチケットをお求めください。ささやかな感謝の気持ちとして、会場でトークンをお渡しします!(訳者註:飲食ができたりする券か何かのことかと思われる)一方で、EJCのチケット代を払うのが困難な方がいることも承知しています。そのため、最初と、二番目のフェーズでは、割引料金を用意しています。必要があれば、割引券を買ってください。

もし、二回に分けてチケット代を払いたい方がいたら、prereg.ejc2019@gmail.comへ、SallyとPJ宛のメッセージを送ってください。その際の金額は、連絡をした時点によります。

ワンデーチケット
ワンデーチケットは、その日の深夜0時から次翌日の昼12時まで有効です。
全てのEJCエリアへの入場、イベント、そしてキャンプ場の使用量が含まれます。
ワンデーチケットは、一律40ポンドです。割引はありません。

2018年11月22日木曜日

EJC2019 チケットについて (ジャグリングの郵便箱 第266回)

 世界最大のジャグリングコンベンション、EJC2019のチケットが、いよいよ11月23日から売り出されます(こちら)!
といっても、これはイギリスでの時間だと思われます。
 日本から見ると、少し遅れて発売されるかも。
 ジャグリングの郵便箱では、しばらくEJCについて具体的な情報を日本語で発信していきます。参考にするもよし、自分で英語のソースにアクセスするもよし。

 チケットの値段の見方がわからない、という質問をたまに受けるので、まずはそのことについて書きます。前提として、チケットは3段階で高くなっていきます。
 さきほどの表の一番左上、これが一番はじめのフェーズ、つまり11月23日から12月7日までの値段です。

 一番上の値段、Adult - 18+ Standard というのが、標準の値段です。125ポンド。そして真ん中、Adult Supporter Ticket が、10ポンド高く、135ポンド。内容は変わりません。「サポートありがとうございます!」というような文面は届くと思いますが、具体的に何かプレゼントがあったりするわけではありません。なぜか。それは、一番安いチケットに秘密があります。

 一番下のAdult Concession Ticketは、割引料金です。115ポンド。
 先程のチケットの10ポンドが、こちらを補填しているような仕組みになっているのです。つまり、余裕のある人が、少しでも参加費を抑えたい人のために役立つことができる、ということです。役立つことそのものが報酬であり、具体的な特典などもいらない、というあたりが、これぞ、EJCの精神。うむ。

 ちなみに現在、イギリスの1ポンドは144円ほど。つまり標準のチケット125ポンドが、約18000円です。

(続く)

2018年11月21日水曜日

第265回 YouTube Premium があまりによくて、生活が変わりそうだ。

YouTube Premiumに登録してみたんですが、とてもよい。

 まず筆頭に挙げられるのは、広告を見なくて済むこと。一昔前までは広告なんかなく、そして今では広告を見るのがなんだか当たり前です。Premiumに登録してしばらく広告なしで過ごすと、やはりそれもなんだか当たり前になっていきます。でも、なんだか、今までどれだけ広告を見てきたんだろう、ということにふと思いをはせると、なんだかすごく恵まれている気分になる。

 そして、iPhoneのYouTube Musicというアプリでオフラインに音楽を好きなだけダウンロードできて、それもいい。

 Off Line mixtapeというものを使って驚いたんですが、今まで自分が見てきたビデオに使われている音楽を引っ張ってきてくれるんですね。で、ジャグリングビデオに使われている音楽が多数出てきて、しかもそれらが絶妙に懐かしくて、思わず笑ってしまいました。

 それとやはり動画が好きなだけダウンロードできるのもいい。特に最近、家にインターネット環境がないので、コワーキングスペースに来た時に厳選してダウンロードして、それを時間ができた時に見る、という使い方ができる。最近ブレイクダンスの技もちょこちょこと練習していたりするのですが、チュートリアル動画も、気になったらとりあえずその場ですぐダウンロードできるのが嬉しい。練習の時もスムーズに見られる。

 広告がないとか、ダウンロードにかかる手間が少ないとか、ほんのちょっとのことなのですが、生活のある部分を一挙に変えてしまいそうです。

2018年11月20日火曜日

第264回 morioka hong kong

 明々後日、山村佑理くんと、ダンサーの坂上健さんが出る公演『草創シェイク』を見に、盛岡に行く。

 今回は新幹線を使う。新幹線に乗るのは久しぶりだ。ここ数年、ずっと夜行バスばかり使っている。今回に限っては連休前だということもあって、夜行バスの値段が異常なくらい高かったので、諦めて新幹線に乗ることにしたのだ。しょうがないよな。

 滅多に乗らないけれど、新幹線はとても好きだ。車内のテーブルで好きなことができる、というのがいい。しかも、走る電車に乗ってしまっている以上、他のところに行くだとか、ひいてはそれほど身体の自由さえもない、そういう状況がとてもいい。

 僕は、「他のことができる可能性があんまりない」ところを好む。たとえば空港で待っていることがすごく好きだ。何年か前に香港に行った時も、朝の空港で6時間くらい待たなければならなかった。その時間で日本から持ってきた新書をじっくり読んでいる時間、あれは幸せだった。

 そして、香港まで飛んで僕は何をしたのかといえば、全然プランも立てずに行ったものだから、3泊4日(だったと思う)、有名なビクトリア・ピークも見ず、ただ安いフェリーに何回か乗ったりして、あとはスタバに入って、何時間も人の往来を眺めてみたり、黙々と考え事をしたり、街を体力の続く限り歩き回ったりして過ごした。

 唯一、ジャグリングの集会があることは知っていたから、そこには顔を出した。そこで出会ったドイツ人のヘナは今でも友達で、今年の夏にもアゾレス諸島で会って、ヘナの彼女と一緒にドライブをした。

 アゾレス諸島でも、結局たいしてお金もないので、ドライブをした以外は、なんだか宿に泊まっていた人と一緒に安いご飯を作ったり、街をもくもくと歩く以外のことはしなかった。

2018年11月19日月曜日

第263回 PIPの活動

今日は小学校でパフォーマンスをしてきた。

友人の優和(ゆうわ)君が主催する団体だ。主に障害者施設を回って、パフォーマンスを見せたり、ワークショップをやったりする。

Power in da Performance
Power in da Performanceは60人以上の様々なジャンルのパフォーマーが集まる福祉施設パフォーマンス団体
www.power-in-da-performance.com
規模も大きく、とてもいい団体です。

そして、全然関係ないけど、今日から荷物を減らす実験をしている。

ショルダーバッグに必要なものをつめて、あと、もし何か必要ならば適宜リュックで持ち歩くことにした。

本当は、なんだか荷物がもさもさしてしまって嫌だなぁ、と思っていたけど、やたらに重い荷物を持っているよりもはるかに楽だし、なによりすぐに取り出したいものをすぐに取り出せる、というのは幸せなことなんですねえ。

2018年11月18日日曜日

第262回 ジャグリングができる状態

今お腹がいたい。
お腹がいたいのは、正常だということだと思う。
それだけ身体が、何かに抵抗する力、異変を察知する力を持っているということだからだ。
でもお腹がいたいときにジャグリングって、できないですよね。
ジャグリングができるというのは、あくまである程度苦痛が少ない状態だからこそ可能なことなんだよな。
考える、ということだって、やはりある程度健康な状態であるからこそ、じっくりと取り組めることだ。

で、何が言いたいのか。
たぶん僕はお腹の痛さをこうやって紛らわそうとしているんだ、うん。

2018年11月17日土曜日

第261回 場所 noteに移ってきて

この文章は、あと4駅で降りなければならない、という状況で書いている。書く場所、っていうのは、見過ごしがちだけど、大事だよな。それは、どこでキーボードを打つか、ということでもあるし、どの場所に発表するのか、という意味合いでもある。

たとえば今僕は、noteで文章を書いていることで、今までとは違う立場に置かれていると意識している。ホームに流れてくる文章を目にして、そうか、自分もここに文章を投稿するんだ、ということを身体のどこかで意識しつつ文章が構成されていく。自然と「noteっぽい文章」になっていくことを避けねば、というようなかすかな反抗心も、心の隅に感じる。

そして、今、どの場所で、このキーボードを打っているか、ということだ。

桜木町にもうすぐ着く。

そういう状況を想像してみて欲しいのだけど、どんな文章の書き手も、必ず

ああ、着いてしまった。

2018年11月16日金曜日

第260回 VRけん玉

(以下の文章および〜第290回までは、noteに載せていたものの転載です。)

 ジャグリング雑誌の編集長をしています。そのことを念頭に置きつつ、毎日ひとつ、文章を書いています。2018年3月1日から今までの文章はこちら(ジャグリングの郵便箱)にまとめています。

 昨日、VRけん玉を体験しました。マウントディスプレイをかぶってコントローラーを持ち、映像の世界の中でけん玉をやると、実物を使ってもできるようになってしまうという「けん玉できた!VR」というソフト。開発者のけん玉師ジンさんは、物腰柔らかな方。僕が一番感心したのはそこだったりしたのですが、いやいや、VRけん玉、非常に面白かったです。

 VRを初めて体験したのは、2年前です。立って自由に動けるブースの中で、しっかり動いて体験しました。スターウォーズの主人公になりきって、ちょっとこれは凄まじいな、と鳥肌が立った。その後、Oculus Goも体験しました。

 そのどれも確かに画期的ではあったし、「いやあ、これはちょっと恐ろしいことになったよ」とか友人に語っていたりしたのですが、しかし、VRけん玉は、次元がひとつ違いました。VRで実際に能力を身につける、ということが可能なのだということを身を以て体験したからです。

まさに、あのシーンです。マトリックスでネオがすさまじいスピードで学習をし、「はあっ」と息をつき、一言。

「カンフーをマスターした」
これですね。このシーンです。

https://www.youtube.com/watch?v=6vMO3XmNXe4

18日に東京で体験ができるようなので、都合の合う方はぜひ。

(↓ツイッター、けん玉師ジンさんのアカウントより)

2018年11月15日木曜日

第259回 風の日おめでとう

昨日は、風が吹き荒れる中、PONTEのTシャツを撮影しに行きました。

朝起きてみたら、空がこれ以上ないほど晴れていたので、急遽「集まろう」と桜木町に集合。

横濱ハッピーターンのFujiくんの協力により、ようやく「きちんとした」写真が撮れました。

びらびらと舞うTシャツ。
必死で下から引っ張ってみたり、タイミングよく離してみたりする編集長。

もうすぐ、PONTEのサイトで、Tシャツのページを新しく公開します。


2018年11月14日水曜日

第258回 Bleue by Nino Wassmer



ニノです。
フランスの、アカデミー・フラテリーニという名門のサーカス学校で学び、今はパフォーマーとして活躍している。
ニノは、ディアボロといかに動くか、ということをずっと追求している人です。
とくにこの動画、前半においてかなり有機的に、動いています。
ニノは、会うたびに、進化しています。

ディアボロでは『向き』が、大きく問題になってきます。
回っているディアボロの向きを自在に変えるのは難しいので、往往にしてやることが平面的になってしまうことが多いです。

それを解決するひとつの方法論として、ニノが今取り組んでいることは、とても有効だと思う。

あとは、失敗したときに、どうするか。
ディアボロは、回している状態から地面に落としてしまったときに、もとの状態にすぐ復帰するのが難しい道具です。
息を途切れさせずに、演技を続けるにはどうするか。

さて、あなたならどうしますか?

2018年11月13日火曜日

第257回 メルマガ、配っています!

PONTEのメールマガジン、始まりました。

結構、力、入ってます。どうぞ、ふるってご登録ください。

よし、とりあえずできたぞ、と思って安心したのも束の間で、
なんだか、エラー報告が続出。
あらあら、大変申し訳ないです…
焦って色々と原因究明してみたものの、
全然知識もないので、いったいどこが悪いやら、わかりません。

とりあえず理由がわかるまで、
手動でぽちぽちアドレスを登録する戦法に切り替えることにし、
そのためのシステムを急ごしらえ。

昨日の夜中に、再び公開し直しました。

エラー発生時フォームならば、アドレスの間違いさえなければ、きちんと登録されます。

でもなんだかですね、こうやってひとりひとり自分で登録するのも、
なんだか読者と対話しているようで、なんだか…

とか、思たりもしますが、やっぱり大変なので、早いところ、直ればよいな。

ここは一念発起して、
JavaScriptの知識を急場で身につけるしかないのか…

2018年11月12日月曜日

第256回 ま、一年後くらいにおおよそ正しくなってればいっか

PONTEのメールマガジン、を始めます。
登録はこちら
毎週月曜日に届く予定です。
まずは今日の夜8時に、届けます。
以降は、時間を早めようかと思っています。
(登録の画面がまだ簡易的なものですが、徐々に整えていくつもりです。)

しかしこういうことひとつするのにも、僕は時間がかかってしまってしょうがない。
「さあ、やろう」と言ってから、はたしてこれでいいんだろうか、もっといい選択肢があるんじゃないか、と疑いのこころがいつまでたっても晴れません。

そのおかげで得することだってきっとあるのでしょうが、少なくとも今の僕はそれでおおいに困っていて、因ったことだ。

ま、一年後くらいに正しくなってればいっか、と思えたら、一番いいんですけどね。

そうは簡単には思えないものです。
やれやれ。

ひとまず、このメルマガを原動力に、また少しずつPONTEを動かしていきます。

2018年11月11日日曜日

第255回 受けてが想定されていること

書くことの面白さ。

何かに気づいて、「これは面白いなぁ」と感じる。
できるだけ正しく伝えられるように、工夫をこらして文章にする。
面白い冗談を思いついて、人に言って、笑ってくれて、「よしよし」と思う、その時の感じにすごく似ている。

どんなに面白いことも、うまく伝えないと、思った通りの可笑しさがまるで伝わらない。
そこには、自分なりの術が生まれてくる。

間の取り方とかね。

誰かしら受け手が想定されている時、文章を書く、という作業は、うまくいくことが多いものです。
冗談だって、すぐそこに笑ってくれそうな相手がいる時に、一番多く思いつくものです。
そして、実を言うと、これは商品づくりでも、他のサービス業でも、全部同じなんじゃないかと思う。
何かに自分で気が付いて、それをうまくデザインして他の人に届ける、ということだ。

明日から新しいことをするつもりでいます。
どう転がっていくかわからないんですが、とにかく受け手が想定されていることは、すっごくいいんだな。

2018年11月10日土曜日

第254回 PMだいごさんとの仕事

昨日も、毎週恒例、PM Jugglingのだいごさんとの仕事でした。

都内某所で集まって、数時間一緒に過ごします。
一応、決まった量の翻訳はこなす。
それ以外にも、「なんとなくだべる」時間というのが存在します。

その「だべる時間」が、僕は好きだし、実はそっちが本質だ、ということも言えるだろうな、と思う。

別に仕事をしていないことを正当化しているわけではなくて、というか、そういう「余白」も含んで、仕事というのは、何か包括的に、自分や自分の周りにある問題に向き合うことだ、と思っている。

本だって、本文が本質ではあるけれど、余白も含んで、ひとつの「よさ」をつくる、じゃないですか。「紙がもったいないから」と言ってそこを詰めてもしょうがない。
それと一緒なんじゃないかと思います。

2018年11月9日金曜日

第253回 福翁自伝

福澤諭吉、という人を僕はどうもしかめっつらしい、堅い人だったと勝手に思っていた節があったんだけど、どうもそうでもない、ということを、『福翁自伝』を読んでいる今、思っている。(青空文庫で、ただでどこでも読めます。)

まるでスティーブ・ジョブズのような、一度これと決めたら他を顧みずなんでもやってしまう人柄である。
しかも、なんというか、思っていたより、だいぶ乱暴で、粗野な人だった(笑)

こういう「知識として知ってはいたけど、実際には中身を読んだこともない本」というのが僕の中にはいっぱいある。
最近、そういう本をひとつひとつ、興味が湧いた順から(ここがポイントだ、義務みたいに読んでもしょうがない)kindleで読んでいく、ということをしている。

タイヘンに面白い。

2018年11月8日木曜日

第252回 誰かに渡す。

甘いココアを飲みながらこれを書いている。
昨日郵便受けに、こころから信頼している人から手紙が届いていました。
やはりこう、手紙が届く、というのはとても素敵な経験ですね。
より、その人の持っている気が届くような、そんな感じがします。

電子的にこうして文章を届けるのは、
ひとつの方法、拡散する方法としては正しい時もあると思います。
郵便で紙の雑誌を届ける、ということになると、
これは、あらかじめ宛先が分かっている人に向けて
何かを渡す、ということですね。

何かを渡す、というのは、いいよな。

そこには、必ず、より具体的な「誰か」がいるからだ。

2018年11月7日水曜日

第251回 ジャグリングと直接関係はないんだけど

急に、やっぱり、人が集まるようなところを、作りたいなあ、と思い始めた。

お互いに気持ちよく話できるような人たちが集まる、そういう場所を、作りたいなぁ。

2018年11月6日火曜日

第250回 青宙ノート君の転がっていかないディアボロについて

青宙ノート君(個人的な親交があるのであえてこう呼びたい)が、「転がっていかないいディアボロ」を作ろうといろいろ改良していた。(こちら

ディアボロが転がっていってしまうことは、ディアボロで何か見せよう、と思った時に問題点であることが多くて、それを、軸をカップ側から伸ばして、そこに円形のプレートを取り付ける、という形で、解決しようとている。

実際にそれをつくっちゃうノート君にすごく感心するのと、「問題を解決する」という方針で道具に改良を加えている、というところが、とてもいいなぁ、と思う。

第249回 銘打っておきながら

ジャグリングの郵便箱と銘打っておきながら、なかなかジャグリングの芯を捉えるようなことを書けない。
これはなんでかなぁ、としばらく考えてみたのですが、やっぱり、ジャグリングそのものについてを書くには、もう少し「素材を仕入れて」から書く、という工程が必要だから、みたいです。

さて、どうしよう。

2018年11月4日日曜日

第248回 「失敗をしないことを目指して育てる」という態度と、 「失敗をしたときの対処が上手くなるように育てる」という態度

さて、こちらが今日の分です。

※※※

昨日、失敗をすることについて考えていた。
いたずらをするこどもを見て、そのことを思ったのだ。
そのこどもをしかる親を見て、思った。

そのことを、ジャグリングにも引き寄せて考えた。

失敗についてどういう態度で接するか。
おおきく分けて、二つの接し方がある。

「失敗をしないことを目指して育てる」という態度と、
「失敗をしたときの対処が上手くなるように育てる」という態度だ。

後者は、「失敗に寛容である」というのではない。
失敗(と少なくとも見なされること)は不可避である、ということを受け入れて、むしろそのことをどう織り込んで行くのか、と考えていく、ということなのだ。


(続く、か、これをもとにいつの日か長めのものを、書く。)

第247回 どうしようかと思っていることについて

これは、正直に申せば、今日、書いています。
昨日、書けなかった分を書いている。

ほんとうは、ここをやめて、あるいは別のもっとやりやすい形にして、
週に一回、もっと気合いの入ったエッセイを
きちんとジャグリングに関連づけて書いてやろうか、と思っている。

毎日何かを書く、というのも捨てがたいのだが。

2018年11月3日土曜日

第246回 Awaji Art Circusのレポートを書いたことを報告しようと思ったらなんだかこんな文章が出来上がってしまいました。

先月半ば、関西の淡路島に3日間だけ行って、Awaji Art Circus というイベントを追った。そのことについては、以下の記事で読める。

ジャグリングの郵便箱 淡路島編
1日目
2日目
3日目

その間のことを、英語で書いて、アメリカのサーカス雑誌Circus Talkに寄稿しました。(こちら
というか、これを書くために行ってたんですよね。
上記の、ブログに載せた日記は、ただの副産物。


自分の書いたものが形を整えられて綺麗に公に出るのは、誇らしい経験です。
英語で、一応それなりの記事を書き上げたことも誇らしい。

もちろん、こんな程度の長さの記事を書いて喜んでいるのは「マダマダ」だ、ということは承知しているんです。
本当にジャーナリズムで食っている人は、これくらいのものを見たって、「なんだい、これくらいでいい気になって」と思うだろう。
英語だって、なんだか、不恰好だし。
これを毎週、いや、3日にいっぺんぐらい書いていて、しかも巧みな英語を使って表現できているなら、あるいはもう少し誇りに思ってもいいのかもしれないけどね。

しかし少なくとも、今この時点ではこれはひとつのちょっとしたハードルだった、ということは言えます。
それに、嘘はない。

ひとつ越えたので、次はもっと大きいハードルに挑戦してやろうか、という、意欲も湧いている。
意欲と言うよりも、責任感、緊張感、に近い。
「これぐらいのことはできるのだから、もっと社会的に見て「いいもの」を多く作れるはずだ」という。

そして、こういうハードルは、「次のハードルに挑み続ける」ことで、はじめて、「生きて行く中でなすべきこと」としての資格を与えられるのだ、とも思う。

どういうことか。
つまり、「具体的な大きなハードルを越える」ことは、人生が仮に70年続くとした時、持続的な生きるモチベーションではないから。
「お金を儲ける」だろうが、「親に孝行をする」だろうが。

いや、それ自体は、とても素晴らしいことです。
でも、それは、より大きな上部の「確固たる方針」の枝葉として伸びているものでないといけない。
なぜならだいたいの「いいこと」はよく観察すると、「局所最適」だからです。
特定の歳だったり、特定の立場、特定の政治的状況にいる時だけ有効な目標だから。
お金を稼ぐことだって、もし「貨幣経済」への依存を弱める方向に自分を持って行きたければ、必ずしも是ではない、と本気で思う。屁理屈で言ってるんじゃなくて。
そういう「局所」に「人生にとっての是」を設定してしまってはいけない、と最近は自分に言い聞かせるようにしています。
これからどう転ぶかわからない人生のスパンすべてに敷衍することのできる、なるべく力強く、揺らぎのないテーゼを持ちたい。

「結局大事なのはお金ではなくて、元気に生きるのが幸せだから、それを目指す」
でもダメなのだ。
もし自分が不可抗力で車に轢かれたりだとか、癌になってしまったりだとか、「どう頑張っても元気でいられない」状態に陥ったらどうするのだ。
そんな時でも、どんな時でも、有効に働くテーゼがいい。

で、このところずっと考えて、ひとつの答えが出た。
ふふふ。

いずれにせよ、この記事を頼まれたのは、自分に挑戦するきっかけにもなったから、幸福なことだったな。
全然お金にはならなかったんですけどね。

2018年11月2日金曜日

第245回 だいじなことを話した日。

いろいろなことは、たとえばジャグリングは、ジャグリングだけで存在できるものではない、と思う。

ジャグリングのことについて考える時、そこには、単純に考えても、「どこで」「何を」「どんな格好で」ジャグリングをするのか、選ぶことができる。

そして、その選択には、その人自身の「生きる姿勢」だって表れてしまうんだ。

そんなことを考えていた。