2018年11月13日火曜日

第257回 メルマガ、配っています!

PONTEのメールマガジン、始まりました。

結構、力、入ってます。どうぞ、ふるってご登録ください。

よし、とりあえずできたぞ、と思って安心したのも束の間で、
なんだか、エラー報告が続出。
あらあら、大変申し訳ないです…
焦って色々と原因究明してみたものの、
全然知識もないので、いったいどこが悪いやら、わかりません。

とりあえず理由がわかるまで、
手動でぽちぽちアドレスを登録する戦法に切り替えることにし、
そのためのシステムを急ごしらえ。

昨日の夜中に、再び公開し直しました。

エラー発生時フォームならば、アドレスの間違いさえなければ、きちんと登録されます。

でもなんだかですね、こうやってひとりひとり自分で登録するのも、
なんだか読者と対話しているようで、なんだか…

とか、思たりもしますが、やっぱり大変なので、早いところ、直ればよいな。

ここは一念発起して、
JavaScriptの知識を急場で身につけるしかないのか…

2018年11月12日月曜日

第256回 ま、一年後くらいにおおよそ正しくなってればいっか

PONTEのメールマガジン、を始めます。
登録はこちら
毎週月曜日に届く予定です。
まずは今日の夜8時に、届けます。
以降は、時間を早めようかと思っています。
(登録の画面がまだ簡易的なものですが、徐々に整えていくつもりです。)

しかしこういうことひとつするのにも、僕は時間がかかってしまってしょうがない。
「さあ、やろう」と言ってから、はたしてこれでいいんだろうか、もっといい選択肢があるんじゃないか、と疑いのこころがいつまでたっても晴れません。

そのおかげで得することだってきっとあるのでしょうが、少なくとも今の僕はそれでおおいに困っていて、因ったことだ。

ま、一年後くらいに正しくなってればいっか、と思えたら、一番いいんですけどね。

そうは簡単には思えないものです。
やれやれ。

ひとまず、このメルマガを原動力に、また少しずつPONTEを動かしていきます。

2018年11月11日日曜日

第255回 受けてが想定されていること

書くことの面白さ。

何かに気づいて、「これは面白いなぁ」と感じる。
できるだけ正しく伝えられるように、工夫をこらして文章にする。
面白い冗談を思いついて、人に言って、笑ってくれて、「よしよし」と思う、その時の感じにすごく似ている。

どんなに面白いことも、うまく伝えないと、思った通りの可笑しさがまるで伝わらない。
そこには、自分なりの術が生まれてくる。

間の取り方とかね。

誰かしら受け手が想定されている時、文章を書く、という作業は、うまくいくことが多いものです。
冗談だって、すぐそこに笑ってくれそうな相手がいる時に、一番多く思いつくものです。
そして、実を言うと、これは商品づくりでも、他のサービス業でも、全部同じなんじゃないかと思う。
何かに自分で気が付いて、それをうまくデザインして他の人に届ける、ということだ。

明日から新しいことをするつもりでいます。
どう転がっていくかわからないんですが、とにかく受け手が想定されていることは、すっごくいいんだな。

2018年11月10日土曜日

第254回 PMだいごさんとの仕事

昨日も、毎週恒例、PM Jugglingのだいごさんとの仕事でした。

都内某所で集まって、数時間一緒に過ごします。
一応、決まった量の翻訳はこなす。
それ以外にも、「なんとなくだべる」時間というのが存在します。

その「だべる時間」が、僕は好きだし、実はそっちが本質だ、ということも言えるだろうな、と思う。

別に仕事をしていないことを正当化しているわけではなくて、というか、そういう「余白」も含んで、仕事というのは、何か包括的に、自分や自分の周りにある問題に向き合うことだ、と思っている。

本だって、本文が本質ではあるけれど、余白も含んで、ひとつの「よさ」をつくる、じゃないですか。「紙がもったいないから」と言ってそこを詰めてもしょうがない。
それと一緒なんじゃないかと思います。

2018年11月9日金曜日

第253回 福翁自伝

福澤諭吉、という人を僕はどうもしかめっつらしい、堅い人だったと勝手に思っていた節があったんだけど、どうもそうでもない、ということを、『福翁自伝』を読んでいる今、思っている。(青空文庫で、ただでどこでも読めます。)

まるでスティーブ・ジョブズのような、一度これと決めたら他を顧みずなんでもやってしまう人柄である。
しかも、なんというか、思っていたより、だいぶ乱暴で、粗野な人だった(笑)

こういう「知識として知ってはいたけど、実際には中身を読んだこともない本」というのが僕の中にはいっぱいある。
最近、そういう本をひとつひとつ、興味が湧いた順から(ここがポイントだ、義務みたいに読んでもしょうがない)kindleで読んでいく、ということをしている。

タイヘンに面白い。

2018年11月8日木曜日

第252回 誰かに渡す。

甘いココアを飲みながらこれを書いている。
昨日郵便受けに、こころから信頼している人から手紙が届いていました。
やはりこう、手紙が届く、というのはとても素敵な経験ですね。
より、その人の持っている気が届くような、そんな感じがします。

電子的にこうして文章を届けるのは、
ひとつの方法、拡散する方法としては正しい時もあると思います。
郵便で紙の雑誌を届ける、ということになると、
これは、あらかじめ宛先が分かっている人に向けて
何かを渡す、ということですね。

何かを渡す、というのは、いいよな。

そこには、必ず、より具体的な「誰か」がいるからだ。

2018年11月7日水曜日

第251回 ジャグリングと直接関係はないんだけど

急に、やっぱり、人が集まるようなところを、作りたいなあ、と思い始めた。

お互いに気持ちよく話できるような人たちが集まる、そういう場所を、作りたいなぁ。

2018年11月6日火曜日

第250回 青宙ノート君の転がっていかないディアボロについて

青宙ノート君(個人的な親交があるのであえてこう呼びたい)が、「転がっていかないいディアボロ」を作ろうといろいろ改良していた。(こちら

ディアボロが転がっていってしまうことは、ディアボロで何か見せよう、と思った時に問題点であることが多くて、それを、軸をカップ側から伸ばして、そこに円形のプレートを取り付ける、という形で、解決しようとている。

実際にそれをつくっちゃうノート君にすごく感心するのと、「問題を解決する」という方針で道具に改良を加えている、というところが、とてもいいなぁ、と思う。

第249回 銘打っておきながら

ジャグリングの郵便箱と銘打っておきながら、なかなかジャグリングの芯を捉えるようなことを書けない。
これはなんでかなぁ、としばらく考えてみたのですが、やっぱり、ジャグリングそのものについてを書くには、もう少し「素材を仕入れて」から書く、という工程が必要だから、みたいです。

さて、どうしよう。

2018年11月4日日曜日

第248回 「失敗をしないことを目指して育てる」という態度と、 「失敗をしたときの対処が上手くなるように育てる」という態度

さて、こちらが今日の分です。

※※※

昨日、失敗をすることについて考えていた。
いたずらをするこどもを見て、そのことを思ったのだ。
そのこどもをしかる親を見て、思った。

そのことを、ジャグリングにも引き寄せて考えた。

失敗についてどういう態度で接するか。
おおきく分けて、二つの接し方がある。

「失敗をしないことを目指して育てる」という態度と、
「失敗をしたときの対処が上手くなるように育てる」という態度だ。

後者は、「失敗に寛容である」というのではない。
失敗(と少なくとも見なされること)は不可避である、ということを受け入れて、むしろそのことをどう織り込んで行くのか、と考えていく、ということなのだ。


(続く、か、これをもとにいつの日か長めのものを、書く。)

第247回 どうしようかと思っていることについて

これは、正直に申せば、今日、書いています。
昨日、書けなかった分を書いている。

ほんとうは、ここをやめて、あるいは別のもっとやりやすい形にして、
週に一回、もっと気合いの入ったエッセイを
きちんとジャグリングに関連づけて書いてやろうか、と思っている。

毎日何かを書く、というのも捨てがたいのだが。

2018年11月3日土曜日

第246回 Awaji Art Circusのレポートを書いたことを報告しようと思ったらなんだかこんな文章が出来上がってしまいました。

先月半ば、関西の淡路島に3日間だけ行って、Awaji Art Circus というイベントを追った。そのことについては、以下の記事で読める。

ジャグリングの郵便箱 淡路島編
1日目
2日目
3日目

その間のことを、英語で書いて、アメリカのサーカス雑誌Circus Talkに寄稿しました。(こちら
というか、これを書くために行ってたんですよね。
上記の、ブログに載せた日記は、ただの副産物。


自分の書いたものが形を整えられて綺麗に公に出るのは、誇らしい経験です。
英語で、一応それなりの記事を書き上げたことも誇らしい。

もちろん、こんな程度の長さの記事を書いて喜んでいるのは「マダマダ」だ、ということは承知しているんです。
本当にジャーナリズムで食っている人は、これくらいのものを見たって、「なんだい、これくらいでいい気になって」と思うだろう。
英語だって、なんだか、不恰好だし。
これを毎週、いや、3日にいっぺんぐらい書いていて、しかも巧みな英語を使って表現できているなら、あるいはもう少し誇りに思ってもいいのかもしれないけどね。

しかし少なくとも、今この時点ではこれはひとつのちょっとしたハードルだった、ということは言えます。
それに、嘘はない。

ひとつ越えたので、次はもっと大きいハードルに挑戦してやろうか、という、意欲も湧いている。
意欲と言うよりも、責任感、緊張感、に近い。
「これぐらいのことはできるのだから、もっと社会的に見て「いいもの」を多く作れるはずだ」という。

そして、こういうハードルは、「次のハードルに挑み続ける」ことで、はじめて、「生きて行く中でなすべきこと」としての資格を与えられるのだ、とも思う。

どういうことか。
つまり、「具体的な大きなハードルを越える」ことは、人生が仮に70年続くとした時、持続的な生きるモチベーションではないから。
「お金を儲ける」だろうが、「親に孝行をする」だろうが。

いや、それ自体は、とても素晴らしいことです。
でも、それは、より大きな上部の「確固たる方針」の枝葉として伸びているものでないといけない。
なぜならだいたいの「いいこと」はよく観察すると、「局所最適」だからです。
特定の歳だったり、特定の立場、特定の政治的状況にいる時だけ有効な目標だから。
お金を稼ぐことだって、もし「貨幣経済」への依存を弱める方向に自分を持って行きたければ、必ずしも是ではない、と本気で思う。屁理屈で言ってるんじゃなくて。
そういう「局所」に「人生にとっての是」を設定してしまってはいけない、と最近は自分に言い聞かせるようにしています。
これからどう転ぶかわからない人生のスパンすべてに敷衍することのできる、なるべく力強く、揺らぎのないテーゼを持ちたい。

「結局大事なのはお金ではなくて、元気に生きるのが幸せだから、それを目指す」
でもダメなのだ。
もし自分が不可抗力で車に轢かれたりだとか、癌になってしまったりだとか、「どう頑張っても元気でいられない」状態に陥ったらどうするのだ。
そんな時でも、どんな時でも、有効に働くテーゼがいい。

で、このところずっと考えて、ひとつの答えが出た。
ふふふ。

いずれにせよ、この記事を頼まれたのは、自分に挑戦するきっかけにもなったから、幸福なことだったな。
全然お金にはならなかったんですけどね。

2018年11月2日金曜日

第245回 だいじなことを話した日。

いろいろなことは、たとえばジャグリングは、ジャグリングだけで存在できるものではない、と思う。

ジャグリングのことについて考える時、そこには、単純に考えても、「どこで」「何を」「どんな格好で」ジャグリングをするのか、選ぶことができる。

そして、その選択には、その人自身の「生きる姿勢」だって表れてしまうんだ。

そんなことを考えていた。