2019年3月20日水曜日

第349回 さて、このところのフランス語勉強事情である。

さて、このところのフランス語勉強事情である。

去年の1月に「今年はフランス語の年にするぞ」と意気込んだ。
…のはいいものの、全然まともに勉強することなく、あっという間に一年が終わった。

「年の初めだからと言って何かを特別に決意するのはやめよう」と心に固く決意した。

そのまま季節は春になり、花粉が鼻を刺激し始めた頃、「ああ、なんか、今ならフランス語ちょっと話せそうだな」と唐突に感じ、その熱(か錯覚か)が冷めないうちに100日間毎日フランス語で何か喋ってインスタグラムに投稿しよう、と決めた。

これは、なかなか「効く」やり方だと47日目になる今日、思う。

一日10分や30分フランス語のビデオを撮るのに費やしたところで、フランス語が上手くなるわけではない。

だがとにかく毎日何かしなきゃな、というふうに思う。
それが他のことを誘発してくれる。

少しだけ文法書でも読もうかな。
朝ごはんの間くらいフランス語でラジオでも聞くかな。

それが47日間ずーっと続くのである。
これは、「うっかりやらない日があって結局6日目ぐらいで終わる」よりもずいぶんな進歩である。

毎日インスタに上げる、と宣言してしまったことで「今日はフランス語に触れたか触れていないか」というフィードバックが自動的になされるのである。


毎日何かを続ける本当の目的は、目標について毎日考えるようになること、ただそれだけいいんだろうな、とおもう。

エティエン君ともフランス語でやり取りをするようになった。かなり無茶なんだけど、まぁなんかなんとかなっている。

2019年3月18日月曜日

第348回 ジャグリングが役に立つとき

高校時代の友人と会った。
彼が今年結婚式を挙げるというので、そこでパフォーマンスをするのである。
昨日はその打ち合わせだった。

駅で待ち合わせして、式場を見て、説明を聞いてから一緒にお酒を飲みながら話す。

どういう風にお祝いしようかな、と考える。

同時に、自分がジャグリングをする人間でよかったな、とも思う。

ジャグリングが人の役に立ってくれる時は、やっぱり僕は嬉しい。


2019年3月17日日曜日

第347回 デイヴィッド・ケインさん

David Cain(デイヴィッド・ケイン)さんという、アメリカ人のジャグリング歴史家がいる。
彼は、古いジャグリング道具の収集もしている。
 彼の持っているクラブのコレクションの一部が、IJAのインスタグラムアカウントに載っていた。
 美しいよなあ、とおもった。

 彼は他にも色々と面白い道具のコレクションを持っていて、去年のイギリスのコンベンションで見せてもらった。 ケインさんのプレゼンテーションの仕方もまた面白いのだ。 ジャグリング道具といっても、工夫の凝らされた道具から、シンプルなおもちゃのようなものまで、実演しながら、ジョーク飛ばしながら、片端から見せてくれる。


2019年3月16日土曜日

第346回 届いたカードは悪くない

先日注文したカードが、もう届いた。
早いね。
完成品は、ちょっと想像と違った。

悪くないんだけど。

悪くない、というのは、よくない、ということである。

僕はフランス人じゃないので、いいときは素直に「あ、いいねー」という感想が漏れる人間である。
そうでないということは、やっぱり、よくない、ということなのだ。

2019年3月15日金曜日

第345回 手書き


昨日手書きのことについて書いたけれども、やっぱり僕はそういう「揺り戻し」を必要としている気がする。別に「パソコンの作業はんたーい!」と言いたいんではなくて、バランスを取らなきゃな、ということである。

十全に。

2019年3月14日木曜日

第344回 バランス

「ああ、今日は全然世界と触れ合っていないなあ」
と思うことがよくある。
天気がいいのに、屋内で1日過ごして、特にパソコンなんかやっていたりすると、やっぱり思うよね。

昨日は一日中Fuji君といろいろ検討していた。
カードを作ったり、バッジを作ったり。

でも一番好きなのは、自分の手でスケッチをたくさん描いている時だったりする。

僕がパソコンに向かってデータを作る間、Fuji君がPONTEくんを描く練習をしていた。

2019年3月13日水曜日

第343回 外国生まれの人と話すことば

フランス人と(インターネット上で)会話をする。
その時、よく英語を使う。
今はフランス語を勉強しており、簡単なことだと、割とわかるようになってきた。
それでも、あんまりフランス語で話す気にならない人、がいる。
それは、はじめに出会った時から英語で話していた人である。
ニノがそうだ。
もっとも、ニノにフランス語で話しかけると、とても嬉しそうにするのは知っているんだけどね。

他にも、イタリア留学中に出会ったがために、イタリア語でしか話さない台湾人の友達もいる。

なんだか、恥ずかしいのである。
その人の普段使っている言葉を使うのが。
それは、僕が割に「テキトーに」外国語を習得していることと無関係ではない気がする。
究めてないから、なんか、明らかに向こうの方が有利で、僕の立場が弱くなっちゃうよなー、とか、思うのである。
そして何が悪いかというと、それを相手も感じとるだろうから、そうなった時、今までの対等な友人関係でいづらくなっちゃうんじゃないかなぁ、と思ったりするのだ。

ときどき、やっぱり西欧の人はいいなー、と思うのは、英語という世界のリンガ・フランカを使うにしても、同じインド・ヨーロッパ語族の言葉を使っていて、(あとはローマ字を使うところが多くて)すでに身体に染み付いた言葉の使い方に、僕らよりももう少し近いところで、英語を使うことができるんじゃないかなあ、と思う時です。
僕らが漢字でコミュニケーションをとる、のにも例えられる。(まぁ、同じインド・ヨーロッパ語族だってだけで、チェコ語とか、フィンランド語とか、イタリア語だって全然違うけどさ)



だからどうってんじゃないけども。

そして、日本語、という、英語とはかけ離れた言語を自在に使うことができる、ということに得意になる時だって多いので、まぁ、おあいこだな。