2018年6月29日金曜日

第121回 どれぐらい模倣にうんざりしているか、の話


「目が肥えている」という言い方があるよね。
これはポジティブに聞こえる。
たくさんいいものを見てきた人が、何が良いか、何が悪いのか、自分の中で基準を持っている、というような意味。

ある日、立ち仕事をしていたら、ふと、あ、それって、「模倣にどれだけうんざりしているか」、ということの指標でもあるな、と思った。

「同じようなものをたくさん見てきた」ということだ。

例えばここに、典型的な大道芸をやる人がいたとする。
その人の芸は、割に他の大道芸人もやるような「お決まり」のネタをやったとする。

それを「ああ、この人もか」と思ってしまうと、楽しめなくなる。
「きっと〇〇さんの真似をしているに違いない」とか、思うかもしれない。

一方でそれを初めて観るような人は、とても感動して帰って行くだろう。
ディアボロという道具を高く高く放り投げる。
思っても見なかったような高さまで上がって、あわやというところで、それを華麗にキャッチする。

観た人は、「今日はこんなすごい人を見たよ」と、友人家族に嬉しそうに話したりするだろう。

その偽りのない感動の中に、悪い部分って、果たしてあるのだろうか、と思う。
よくあるものと、珍しいものを判断できることって、必ずしもいいことなのか、とさえ思う。
一緒に大道芸を見るなら、間違いなく、「まだ何も見たことない人」と一緒に行った方が楽しいだろう。

「どれぐらい模倣にうんざりしているか」という風に「鑑識眼」を捉えると、また違った見方が現れる。

この間書いたような、「いいものばかりシェアされてくる」話とも繋がりがある。
いいものだけではないけど、悪いものも、とにかく何かをたくさん見ることには、「うんざりする」という副作用がついてくる。
それが悪いと言いたいわけではない。
あくまで、ただそういう言い方にも十分権利があるな、と思っただけ。

「目が肥える」というときに、「初めて」の純粋な驚きを、やたらに切り崩して行ってしまっているみたいな、そういう感じがする時がある。

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