2018年12月23日日曜日

第275回 多くの「生きている」。

今日は、いつもより早く起きて、朝の公園で練習をしてきました。朝の公園には、動物がいつもより多くいます。鳩もカラスもスズメもいる。猫もとぼとぼ歩いていたりする。犬もいくらかいる。リフティングを練習する30代くらいの人もいる。そして、ラジオ体操をしにきた、おじいさんおばあさんがいる。後ろ向きに延々と歩いているおじいさんもいる。こういうことって、毎週、毎日、毎朝のように起きている。僕はそれらのことを、だいたい知らない。99%のことを(いや、99.9999999999%のことを)知らない。
もっと言うと、自分はそれを知らない、ということを、知らない。

というのもつまり、今この瞬間にも、たとえば愛媛の今治市にいる16万8358人のひとりでさえも、何をしているのか僕は一切知らないということであり、アマゾン川のあたりが今現在どういう明るさなのかを知らないということであり、今僕が西武高田馬場駅構内のスターバックスのカウンター席で、フランス語設定のWikipediaのページを見ていたということをあなたが知らない、ということである。

僕は、東京駅に来た。朝の9時前でも、とんでもない量の人がいる。この人たちが、暗い部屋、明るい部屋、狭い部屋、広い部屋、いい気分、憂鬱な気分で、朝、起きてきて、各々、家でそれなりのしたくをしてきて、シャワーを浴びたり、化粧をしたり、髪をとかしたり、ただTシャツとパーカーをかぶったり、家族を起こさないようにそろっと出てきたり、一人でバタバタと慌ただしく出てきたり、二人で仲良く出てきたりして、今ここに、僕が見ることができるところにいる。
世界にはこんなにも生きている者たちがいるんだなぁ、と感心しちゃうよな。

しかし、それでだよ、今見えている人の何億倍の、「生きている」を、僕はやっぱり、なんにも知らずに、知らないことさえ知らずに、生きている。

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