始まる前の会場は、まるでシルク・ドゥ・ソレイユや、ディズニーランドのアトラクションのような雰囲気。(きっと影響を受けていると思う)
舞台装置、衣装は、ベトナムの農民生活をモチーフにしたもの。
そして稲穂がたくさん出てくる。
そう、90分間の一貫したテーマが、「コメ」なのだ。
ダンスとアクロバット、そして生演奏の音楽。
時折ちょっとした芝居が入る。
とくに後半は、畳み掛けるようにガシガシと踊る。
観客と一体になって、バシンバシンとシンプルなパーカッションのリズムを奏でる。
入り口で、くつべら二本をくっつけたようなバチを配られているので、それを一緒になって叩く。
別に何を言われるでもなく、観客は自然と演者に乗せられて、それをペケペケ叩きます。
なんだかおかしくて、一人でバチを叩きながら笑ってしまった。
バチを持たされただけで、何も言われなくてもぺちぺち鳴らしちゃう、というのは、とっても愉快じゃーないですか?
子供も大人も一緒で、しかもそのパートが終わった後、当然のような顔して、そのバチでチャッチャッチャッチャ、と拍手をするのだ。
その場の暗黙のルールを、誰にも言われず、その場にいる全員が共有した時、というのはとても気持ちがいいよな。
それが、別に強制されたものではなく、なんとなく、自然にやってしまう、というのが、一番いい。
終演後も演者達が外で「へ〜〜い」とか言いながら、わいわい楽しそうにしていて、とてもいい気分だった。
※ ※ ※
自国の「伝統」を演技に盛り込む、ということは、白々しくなっちゃったり、嘘っぽく見えるリスクをともなう。
この公演に関しては、僕は、踊っている時でも、演技をしている時でもなく、彼らがベトナム語で会話をしている時に、一番、「異国」、つまり彼らにとっての「自国」を感じた。
「自分に関係のある文化」って、一番は「ことば」なのかもしれない、と思った。
日本なら、着物でも、神社でも、ゲイシャでも、フジヤマでも、和食でもなく。
ことば、っていうのが。
「ことば」こそが、(それは、でもある人にとっては日本語ではないかもしれないし、それにしても、自分が喋る言語、ということが)自分が自然に背負って来た、そして実際的な経験とともに関わって来た大きな文化じゃないか、と思った。
実を言うと、観ながら、一番心を動かされたのは、アクロバットでも照明演出でも衣装でもなく、ベトナム語の響きだったのだ。
演技中、特に後半、演者たちはわりに自然体でベトナム語を喋りまくる。
その時のベトナム語の響きがたまらなくよくて、感動してしまった。
ああ、ベトナム語習いたいなあ、と思った。
そしてこのことは、今日読み終わった、『台湾生まれ 日本語育ち』というこのとても面白い本とも、実はかなり関係がある。
少し紛らわしい看板。AO SHOW は、今回KAATではやらない。
別の小田原や横須賀、大和の劇場でやる。
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