2018年10月17日水曜日

第230回 昨日の外国語ツイートまとめ(「ジャグラーと話すための外国語」シリーズ)

最近外国のジャグラーと話す機会が多い。
これは特に欧米の人と話すと問題になるんだけど、「どうして日本人は政治の話になると黙ってしまうのか」と言われる。

そもそも僕は日本人同士で、政治の話ってするだろうか?
しないんだよな。
一番直近で友達と政治の話をした時なんて思い出せない。

翻って、僕の周りのヨーロッパの人、アメリカの人と喋ると、その意見の傾向はどうあれ、ひととおり政治状況について語る言葉を持っている。
というか、流れで、そういう話になることが割に多い。

他にも、歴史の話にだってなるし、国の若者の考え方の話にもなるし、実にいろんなことを英語で(もしくはイタリア語で、あるいは場合によっては致し方なく、至極拙い中国語で)語ってきた。

そういう立場の人間としても、僕は曲がりなりにも外国人と話す機会がかなり多いわけだから、もっといろんなことを勉強して、もっと考え方を豊かにして、少なくとも自分の周りに起こっていること、というのを、俯瞰して見た、その状況を日本語ではない言葉でも伝えられるようになりたいな、と思う。

それは、現実的に、僕の「責任」であるように思う。
昨日は、1871年の岩倉使節団を描いた看板を見たエミールに「これはどういうことなのか/これより以前の時代の日本はどういう状況だったのか/将軍とは何か/天皇との関係はなんなのか」
色々聞かれた。

まぁ、一応勉強はしたし、なんとか流れくらいは覚えているから、それを思いつくままに英語で説明する。
(こういう時に、年号、ってもんを覚えているのがすごく便利だ。彼らが知っているのと同じ時の流れの中に、事実を配置できるからだ)

ここ何年か英語を「話す」生活をしている。
すると、「英語で話す内容の定型パターン」というのが見えてくる。
その定型パターンを学ぶことは第一段階としてある。
たとえばアメリカ人と話をする時に、今ならば「トランプ大統領」という人間をネタにしたジョークを言いがちだ、とか。

それで、そういう話題になった時に、どーも「こういう場合にはこういうこと言うのがまぁリベラルな人間だわな」みたいな感じで、「よく言われること」をそのまま言ってしまうことがある。
それで、「英語で何か言えた気になって」しまうことがある。

最近だとLGBTの話題なんかもそうだよね。
実際自分はどういう風に思っているのか、ということを、「ニュアンス」を超えて、相手に響くレベルでうまく言えない、というケースはすごく多いのだ。

ではなぜそれが難しいのか。
それは、日本語でそのことについてあまり深く話すことが少ないからだ、と思う。
(これは一般的傾向ではなく、少なくとも自分が、ということ。)

そりゃあ現代の若者として、とおりいっぺん、LGBTについてどう思うか、政治状況についてどう思うか、もちろん考えちゃいる。
けどそれを「語り合う」ということはしていない。
もしかすると、それは今のところ、日本の若者全体で見ても、傾向として、欧米に比べたら、話されていないことかもしれない。

で別に、これはもちろん「欧米の人ってなあ、ちゃんと意見を持っていていいよな、それに比べて日本は…」なーんてふうに言いたいんじゃないのだ。
僕が言いたいのは、まず「日常で話される話題」というのは、国によって随分違うんだ、ということ。
だからそれぞれ話題ごとに、得手、不得手がある。当たり前である。(要するにそれは習慣の問題なのだ)

それよりも、そういう状況の中で、自分はどういう立場にいたいのか、それを見極めるのが、大事だよな、ということである。

僕は少なくとも英語を覚えよう、と決心して、現在英語がある程度喋れる。「国際的な場」で発言することも多くなってきた。
だから、相手の「考え方」のバリエーションも必然的に多い。
それで、「こういう場合にはこういうことを言うんだ」というレパートリーを増やさなきゃな、と思っているのだ。

そんなわけで、僕にとっては、それが「外国語を喋る自分を鍛える」ということだ。

だからそれは「いろんな単語を覚える」ということでもある一方で、「面白いこと言うヤツになる」ということでもある。
そのために、「日本語でもいろんなことを読んだり書いたり喋ったりする」ということでもある。

※ ※ ※

さあ、「英語を頑張ろう」とお考えの人は、今日も英語を聞いたり、喋ったり、書いてみたりしましたか?

頑張るって言ったからには、毎日のようにやらないとな。

僕もフランス語をちょっとサボってるから、今から練習します。

別に僕、言うてもそんなに英語上手くないですけど(ほんとに)、ある程度知的なことを話せるようになるコツは、「いっぱい書く」ということじゃないかと思っています。
ゆっくり自分の時間をかけて書くと、ただ話すだけでは身につかないものが身につきます。

単純に「話す」方に関しては、「自分の言える言い回しでまかなう」技術を身に付けるのが、最初の段階ではカギです。
今日も本屋さんに行ったら、音声が延々と流れていて「彼は出っ歯です」だとか、すごく細かい言い回しやってましたが、それより、「自分だったらどう表現するか」を練習するのがいい。

いやもちろん「出っ歯」を知っててもいいんですけど(buckteethって言うらしい)そもそも相手がそれを知らなかったら結局また説明しないといけなくなります。

日本の英語教材って、英語の母語話者しか想定してないんじゃないか、って思っちゃうことがありますが、相手がそうじゃないことも多い。

ただ「英語がすでに話せる人」がこうすればいいよ、と言うことって、だいたいにおいてちょっと嘘が混じっちゃいがちで「文法なんかまともにやってない」とかの類の、謙遜や誇張、どちらも含む抽象化が多い。
だから僕がいま色々言っても、結局「役に立たない」事を言っちゃうことになるんじゃないか。

ということを考えた末、僕は、「フランス語を練習する過程」をここで実際に示していこうと思ったのだ。
これが、この前言っていた「思い切った企画」である。
結局今僕が「こうするといいのだ」と言っても、ある程度の有効性は持ちうるのだろうけど、なんか、卑怯じゃねえか、と思っちゃうのだ。
だから、もう一回別の言語で、自分で「やり方」を読者と一緒に探ることにしよう、とおもう。

※ ※ ※

じゃあ、さっきの出っ歯の話で例を出します。

最初に、これを英語で言おうと思った時僕の頭では何が起こるか。
まず「『彼は出っ歯です』というのはつまりどういうことなのか」
を考えます。

その光景を頭に描きます。

「彼は出っ歯です」というのはつまり、歯が口よりも外に出ている、ということだ、と分かります。
この状況を言えば、「彼は出っ歯です」と言ったことになるわけだ。

そこで自分が知っている言い回しでこのビジュアルをどう描くか、考える。

ぱっと「彼」ってまず言ってしまったとする。
“He”.
すると、次は動詞はなにかな、と考える。
is を持ってきちゃうと、言葉で言うのは難しくなる。難しいけど、いける。
もし目の前に相手がいるなら、自分の歯を突き出して”like this”といえば、それは立派に「彼は出っ歯です」と言ったことになる。

ではもうちょっと言葉で言うなら。
身体の部位とか、特徴についてなら、やっぱりhaveだ。
それで、He has(基礎的な動詞の変化は、口をついて出るようにしたほうが早い)とぱっと言ったとする。
で、まぁ歯の話だから、teethという。(toothかteethか、と細かいことは、まだ気にしすぎなくていい)

ここでまた、”like this”で、出っ歯マネ作戦でもいい。(いや、バカバカしく聞こえるけど、これは常套手段です。ジェスチャーでやっちゃったほうが早いことに関しては、ジェスチャーでやっちゃう、というのが円滑に会話をする1つの技術でもある)

あるいは、teethが、out of his mouthだ、これぐらいだったら、言えそうだ。
それで、彼の歯、His teeth,うん、His teeth are out of his mouth、うん、なんかいい感じ。、でも、これだと全部出ちゃってるみたいだ。
で、もう少し付け加える。

出っ歯って、出てるのは、前の方の歯だよな。えーと、前、フロント、うん、front teethかな、His front teeth are out of his mouth.
上出来じゃないか。
ノンネイティブ同士の会話ならひとまずこれで充分じゃないか。
少なくとも「出っ歯ってなんだろう…えー…」と固まってしまうよりだいぶいい。

こういう場合はto不定詞で、こういう場合はingで、だとか、aと theの区別だとか、いや、もちろん大事だよ。あとになったら大事だけど、そういうのはだいぶ話せるようになってから気にすることだ。そーいうことは、「話して/書いて慣れる」うちに、「あ、そういやこれ違うんだ」とあとで学習していく。

よく本屋やネット上で「こんな言い回し、ネイティブはしません!」みたいな(だいたいハッとした表情の日本人や、困惑した表情の金髪のにいちゃんとかが描かれてるんだ)とかあるけど、ああいうのはあんまり良くないんじゃないかとおもう。
「とにかく話す」という勇気を削ぐだけだ。

ジャグリングを長くやっているとだんだん軌道が綺麗になっていくのと同じで、多少意識さえしていれば、細かい間違いはだんだん修正されてくる。

なので、とりあえず、「話す」っていうのは、だいたいにおいてこういう感じで僕は繋いできました。
「言える言い回しでまかなう」とはこういうことです。

で、さっき言った、「たくさん書くといい」というのは。
こういうサバイバルな英会話をたくさんやってると、とりあえず会話はスムーズに運ぶようにだんだんなってくるんだけど、ある程度話せるようになった段階で、レベルが上がらなくなります。
そこからは、「書く」というのが大事になってくる。

「じゃあ実際『出っ歯』ってなんて言うんだろ」って、気になりますよね。
その時、「ははぁ、buckteethって言うのか」と調べたり聞いたりしてわかる。
書くときには、「時間をかけてベターな選択肢を探す」ということができて、そのことで、徐々に「とっさに出る言い回し/単語」の数が増えていく。

ちょっとした複雑な文章も、書いてるうちに、なるほどねえ、こうやって言うのか、と無意識のうちに「接続の仕方」とかを学ぶようになっていく。
それで、またひと段階、ガツっとレベルが上がります。
仮定法過去とかさ。会話してる時のスピードでなかなかぱって出せないですよ、あんなの。慣れないと。

後出しになると嫌なので付け加えておくと、一連のツイートは、「ジャグラーが外国のフェスティバルなどに行って10倍楽しめるようになる」ことを想定して書いています。
そういう意味での汎用性はあると信じていますが、英文科などできちんと学んでいる方などからしたら、いい加減に映るでしょう。

僕はもちろん外国語を隅々まで丁寧に学ぶのは憧れるし(何より外国語は好きですから)あたう限り研鑽に努めたいと思ってはいます。

黒田龍之助さんだとか関口存男さんだとか「きちんと学ぶ」ことを説かれる方の話も飲み込んだ上で、でもなんか、「とりあえず人と話したいんだよな〜」という気持ちを、(自分も含めて)まずは救いたいなと思ってます。
なので、ここでは割に「いい加減さ」を許容していく外国語のことを書いていきます。

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