2019年5月15日水曜日

第383回 たびのサイクル

トルコ人が家にきた。


彼は、道に腰掛けて、ダンボールに
「9ヶ月間ヒッチハイクで旅をしています。
ブレスレットは言い値で売ります」
と書いて、黙々とブレスレットを作りながら人が通るのを待っていた。

本当に、そんな風に旅をしてきたようだ。

毎日毎日、帰り道で同じところにいるので、2回目に話しかけた時は、安い居酒屋で一緒にビールを飲んだ。

3回目に話しかけた時は、夜寝るところに困っているようだったので、家に泊めてあげた。



僕が旅行者として他の国にいる時、たくさんの人に助けてもらった。

パリで、僕を泊めてくれたクレモンを思い出す。
フィンランドで、いつも面倒をみてくれるラウリを思い出す。
シンガポールで、僕をおいてくれたゲストハウスの夫婦を思い出す。

トルコのアリさんに、つきっきりで街のガイドをしてもらったことを思い出す。


2019年5月14日火曜日

第382回 自分のプレッシャーを自分で調整すること

勢いづいてきましたよ。

ただ、こういうのは、あんまり気合いをいれずに続けるのが良い。

おとといお気に入りのお店に行った話はしましたが、そこの店員さんが、「韓国語をやる」というので、色々楽しそうに今どんなことをしているか話してくれて、それで「あんまりちゃんとやろうとしすぎるのってよくないですよね」という話になった。

そう、そうなのだ。

「ちゃんとやれてないと意味がない」と思う、その厳しい気持ちは大事なんだけど、でももっと大事なのは、続けることそのものだったりする。続けるのに大事なのは、とにかく自分にプレッシャーがないこと、である。プレッシャーを受けたまま毎日何かを続ける、というのは、これは並大抵ではないことになってしまう。

かといってなんのプレッシャーもないのもまた、続けるにあたって縛りがなさすぎるというか、ある程度他人から見られているんだ、という意識も大事であったりする。

その塩梅を調整することに時間と労力を使ったほうがいいのかもしれない、とさえ思う。

自分のプレッシャーを自分で調整すること。

それはそれで、難しいよね。

あんまり関係ないけど、この本、初回入荷分が売り切れました。
また、近いうちに入荷予定です。
とってもいい本です。

2019年5月13日月曜日

第381回 楽しいことを、楽しい気分で

全然どうでもいい話なのだけど、最近『BAKUMAN。』という漫画がミョーに面白くて、(ほとんどのみなさん、ご存知ですよね)僕が行っているコワーキングスペースに置いてあるのを、どんどん読んでしまう。
オーナーに「1日2冊までにしなさい」と怒られちゃうぐらい、熱心に読んでいる。

漫画なんて久しく真剣に読んでいなくて、新鮮な気分だ。

それでも高校生までは、例えば『20世紀少年』なんか、もう大ファンだったな。

まぁ漫画に限らずだけど、最近は新しい文物を摂取する頻度がだんだん減ってきたなぁ、という気がしている。

小説でも、映画でも、音楽でも、なんでも。

そしてそれらを摂取する中で一番大事なのって、やっぱり「気後れしないで、夢中でその中に没入している」ことだと僕は思う。

楽しいことを、楽しい気分で、気後れせずに楽しめる時間を必ず一日5時間ぐらい持てたら最高だよな。

…早起きしますか。

2019年5月12日日曜日

第380回 横浜をぶらぶら

今日は横浜をぶらぶらした。
大桟橋のふもと(というんだろうか?)にあるいつもの馴染みのお店に行った。
そのお店は、世界から仕入れた衣料品や雑貨を主に扱っている。

僕はもともと舶来の服で自分を着飾ることに興味があったわけでもない。
今だって、真剣にそういう趣味があるのか、といったら、全然そんなことはない。
時々、とっても心惹かれるものがあれば買うけれども、まぁ、実際に買ったのは、この2年間で片手でも指が余る回数である。
基本的にそこへ行くのは、美術館を見るように、お店の商品の並べ方だとか、雰囲気だとかを繰り返し繰り返し味わいたいだけである。
そして、何より、お店のいつもの彼らとの気軽な冗談を楽しみたいだけである。
(だらだらずうっとしゃべっているし、自分じゃ買わないから全然売り上げには貢献してないんだけど、でもそういうのが好きだからしょうがない。)

自分が住んでいる町にそういうところを持てる、ってとても幸せだよな、とやっぱり思います。
このお店は、以前僕が住み込みで働いていた宿からもほど近かったので、その頃は実に、週何回、のペースで顔を出していた。
最近は、月に一回行くか行かないか、くらいだろうか。

あ、そうだ、中国のお土産があったから、それを渡さなきゃな、と今思った。

はい、今日は、本当にただの雑感でございました。

でも、こういう雑感も、あとでは全然思い出せないんだよな。

2019年5月6日月曜日

第379回 2019年5月6日、ストレンジシード静岡最終日の感想。

小田原で仕事があった次の日、一日休みがあったので、静岡で行われているイベントを見にいくことにした。ストレンジシード静岡、という名前である。


駿府城を中心として、徒歩15分圏内のあたりのあらゆるところで、無料で作品が見られる。ストレンジではあるものの、質はとても高い。僕が見た6作品は、全て一定以上のレベルだった。


まずは「ロロ」という劇団の、二人の女性が演じる作品を後半から見た。(朝起きるのが遅く、後半しか見られなかった)
駐輪場で、高校生二人が会話をしている様子を、実際に駐輪場で行う。
全て見ていないので僕自身の詳しい感想は遠慮しておくが、とても評判が良かった。途中から見ても、二人とも魅力的な俳優だな、と思った。状況設定がニクいですね。

続いて「いいむろなおきと静岡ストレンジシーズ」。マイムのいいむろなおきさんが一般公募で集めたメンバーの振り付けをした作品。
前半、駿府城の東御門から、中にある芝生のエリアまで、ダンボールでできたロボットをふにゃーん、ふにゃーんと動かしながら歩いてゆく。芝生では、群舞を披露。
稽古には一週間しかなかったそうで、その中であのクオリティのものを仕上げてきたのは素晴らしいと思いました。いいむろさんが「駿府城の敷地の中をロボットがふわふわ飛んでいたり、たくさんの『一般の人』が、みんなでマイムをやったらきっと面白いに違いない」という想像力、のことを僕自身が想像しながら観ると、なんだか、いいむろさん、すごくいい人なんだろうな、と人柄を見た気がしました。



続いて「川村美紀子&米澤一平」の演目を見る。米澤さんは、先日タップダンスのイベントに出演した時に別演目で、一緒の舞台に立っていた。その時の縁もあって、気になったので見に行ってみた。結果、米澤さんはくまの着ぐるみを着て踊っていました。川村さんは、トラ柄の薄い衣装に身を包み、平成に流行った歌のリミックスに合わせて大胆に踊っていました。いや、とにかく勢いがすごくて、「今日できることを限りなく出す!」という意気が見えて、オモロかったです。笑いました。


そのあとは、手短に食事をとって、役所の中でやっていた「Magik Fabrik」というフランスのカンパニーの、「Incognito(アンコニト)」という作品を見る。これが、非常に面白かった。


はじめ舞台上にはアンティーク調の木箱があって、突如その中から音がし、クラウン二人が出てくる。クラウンメイクも、かなりクラシックで(さすがに赤鼻まではつけていないのだが、モダンなクラウンの中ではクラシックな感じ)サスペンダーをつけて、壊れた靴を履いている。その男女二人のクラウンが、箱の中に出たり入ったりを繰り返しながら、空き缶、木の板、風船、ロープなど、ありふれたオブジェクトを使いつつ、観客を見事に引き込んで、シーンを作っていく。
あのですね、一番感動したのが、クラウン二人は、表情、いや、もはや目線だけで、観客をうまいこと、自分たちがきて欲しいところに来させ、やって欲しいことをやらせてしまうのです。
もちろんそれは、大げさにやれば、誰にでもできることですが、この二人に関してはおよそ、少し遠くから見ているともはや何もしているように見えないのに、勝手に観客が前に出てきてしまい、まるで魔法のようでした。

空き缶パート、ロープパート、歌パート、など様々な種類の演目を用意しているのだけど、全てのつなぎ方も、あれは、相当に熟練していないとできない業でしたね。職人が、次にやるべき工程を全て分かっているように、また、何か不測の事態が起きても、それを「うまく収める範囲」を熟知しているように、あれだけシンプルにそぎ落とされた中身だからこそ、一つ一つが全部正確で、練られていて、まさに名人芸でした。
僕が知る中では、間違いなくベストのクラウンでした。


さて、これを見終わり、また駿府城の芝生のエリアに戻って、今度は渡邉尚さん。
ジャグラーです。ですが、一般的に想像されるようなジャグリングとは全く異なるジャグリングをします。


這いながら、飛びながら、逆立ちをしながら、自由自在に体を操り、そのプロセスとジャグリングが一体になっています。
野外の、それも芝生の中でそれをやると、なんだか戯れる動物のようで、いつもと違う感じがしました。
人工物があまりない空間で見ると、余計に、引き立つ部分がありますね。
ううむ。よかった。
フランスのジャグラー、ギヨーム・マルティネと(彼も一流のとてもよいジャグラーですよ)コラボレーションする新作が、2019年10月5、6日に横浜で見られるようです。
そちらも非常に楽しみです。今回ストレンジシードを見逃した方は、これを狙うのがいいかも。なんせ、ひさしさん、なかなか日本にいないので(笑)
いやあ、なんだか、すごい境地に行っちゃってます。



さてそれが終わると、一旦カフェに行きました。
ヒトヤ堂、という、純喫茶です。運営しているのは、僕と同年代の女性3人。
実を言うとここは2階が宿にもなっており、前日、ここに泊まっていたのですが、あまりに居心地がいいので、また帰ってきてしまいました。
サイフォンで淹れたコーヒーを飲む。
至福でした。


さて、一息入れたら、最後に「HURyCAN(ウリカン)」という、スペインからきた(片方はフランス人だけど)ダンサー二人組の演技を観る。
はじめ、男一人が、女性に無理やりキスをしようとするところから、二人の関係を見せつつ、アクトをしているようで、踊っている、という展開。
途中、アクロバット的な要素もあり、サーカスの作品を見慣れている僕にとって、なんだか馴染みのある構成でした。よっぽど、サーカス学校か何かで学んだ人なのかな、と思ったのですが、そういうわけでもないみたいです。(終演後に直接聞いた)二人ともかわいらしく、愉快だった。
二人は、アルトゥールと、カンデラリアという名前です。まぁ、おそらく、ArtHUR y CANdelariaで、ウリカンなんだろうな。(yはスペイン語でand)







さて、こんなところで、残りは、ひさしさんと中華屋でご飯を食べ、しりあがり寿さんのイベントでお酒を少しだけのみ、鈍行の終電で帰りました。


また来年も行きたいぜよ。

2019年5月5日日曜日

第378回 しばらくお休みしていましたが

中国に一週間行っていました。

こちらの方で告知するのを、すっかり忘れていました、ごめんなさい。

現在、静岡に向かう新幹線の中です。

https://www.strangeseed.info/

このイベントを見てきます。
渡邉尚さんも出ているというので、久しぶりに会いたいな、ということもあり。

楽しみです。

2019年4月22日月曜日

第377回 生まれてきたのがなんでかすらも俺は知らないんだから。

EJCに行くのってなんでか、改めて考えてみる。そもそもジャグリングのコンベンションに行くのってなんでなのか。
なんででしょうね?
なんで、と考え始めると、これはもう、わからない。行きたい、とどこかのタイミングで思ってそう決断したのだから、行きたいのは決まってる。それが正当に理由づけられることってあんまりない。行きたいから行く。

でも、行ってみると、全然想像と違うのがジャグリングのコンベンションである。
何回も海外のコンベンションやフェスティバルに参加してきたけど、やっぱりいまだに感じる。想像の中のコンベンションと、「その場にいるときの気分」って、似ても似つかないものである。

「その場にいるときの気分」は、すぐ忘れる。

あと2日間で中国のDali Flow Festivalというのに行く。やっぱり不安がいっぱいある。よる寒くないかなー、とか思う。(標高も高くて、まぁ寒いらしい)

だいたい事前にしていた心配って、現地に着いてしまうと全部忘れてるんだよな。事前にこういうことが起こるだろうと思っていても、全然違うことが起こる。

あとは、自分の頭では想像できないファクターがいっぱいある。「周りに大勢の人がいる」ということは自分が今頭の中で想像できるような範囲を超えて、予想外の事態をもたらす。

人間の予想って、本当にあてにならんな、と思う。予想なんかしないで、ただ「やる」ということを積み重ねていたいよな。一体何してるんだ、なんでこんなことしてるんだ、と思いながら、どんどんどんどん、わけのわからないことをしている人生がいいよな。

生まれてきたのがなんでかすらも俺は知らないんだから。


2019年4月21日日曜日

第376回 イアンまーちゃんヨコハマ大道芸。

5日くらい空白ができてしまいました。
ツイッターに連続ツイートしたものを転載しようと思っていたのだが、やはり一度書いた気になると、忘れてしまう。
こっちで再開します。
ですが、24日から中国に行くので、その間はまた、お休みします。
代わりに(というか)まとめて旅行記を書いて、なんらかの形で出版する予定です。

※※※

今日はもう5、6年ぐらい付き合いのある中国人ジャグラーのイアンくんが、横浜に遊びにきてくれた。
まず横浜駅で待ち合わせ。
いきなり、駅のすぐ近くでやっていた「ジャグリングの現在」というパフォーマンスを観に行き、イアンくん大興奮。
中身は、ながめくらしつというカンパニーを率いる目黒さんと、普段はエアリアルをやったりしている長谷川愛実さん、そしてハットジャグラーのヤハタくん、毎週一緒に練習しているクラブジャグラーのマサヒロくんが出ていた。ミュージシャンとして、いつも通りイーガルさんもいた。
とてもいい組み合わせでした。
以下ツイッターで書いた感想転載。

「ジャグリングの現在」プチ感想。 目黒さん率いるシリーズでは特に好きだったな。気候も最高だった。目黒さんとあいみさんの掛け合いもさらに観ていて気持ちがいいものになっていたし、ハットのヤハタさんも、いーガルさんの音楽と相まって滑らかでよかった。

まさひろも難しい技をホイホイ繋げていって、「さあ見せてやるぞ」というようなガチガチの緊張感がよい意味で全然なくて、「ジャグラーがジャグリングをしている」ということを素直に観られて気持ちがいい。 クラシックなジャグリングを観ている感じ。フランシス・ブランとかみたいな。

時間もちょっと短めだったんだろうか? それとも全体の構成が観やすかったから早く感じたのかな? 音楽のように受け入れられる、爽やかな水みたいな演目でした。


あとで思うと、20分以上はやっていたんですね。15分くらいの演目かな、と思ってしまっていた。それだけすっかり見入ってしまっていたのであった。

そこで会った、かつてのサークルの後輩、友人のまーちゃんと一緒に、次の演目を観に行く。途中で、ポケモンセンターに寄る。イアン、また興奮。ピカチュウのTシャツを買っていた。
横浜美術館前でやっていた、「シルクブラン」の演目をみる。
沢入国際サーカス学校の卒業生たちによる合同演目。
見応えあり。だだっ広い広場でのびのびとみんなやっていて、雰囲気がよかった。

そこでは、PM Jugglingダイゴさんの家族とイアンが会ったり。

そのまま大桟橋の近くの馴染みの店に行き、店員さんとおしゃべり。
イアンの両親も登場。
びっくりした。

夕飯を食べに、ラーメン屋へ。
イアン、また喜ぶ。
日本のラーメンが大好きなのであった。

半日だけだったが、やはり遠方から友人がきてくれるのは、また、たのしからずや。

※※※

最近、自分のジャグリングプロジェクトのことばっかり考えていた。
どうやらそうやって熱心になるだけが面白いことじゃないよな、という気がした。

まぁ、とにかく今日は幸せな気分である。


2019年4月16日火曜日

第375回 実際、別に目標なんていらないんじゃないかとか

 最近は、随分と考える時間があるようで、人生のことについてばかり考えている。ど直球ですね。
 でも本当は、人生、って要するにそういう風に「人生について考えている時間」なんかも人生で、今このキーボード打っている瞬間も人生で、全てが人生なわけである。

 その中で、自分で区切りをつけて、「こういう風になったらこれが自分にとっての達成である」と心して何かを進めることも大事かも知れないし、むしろ世の中で少なくとも「良い」とされるこというのはそっちだと思うのだけど、(つまり目標を持ってビジョンを達成せよ、ということですね、平たく言えば)そうじゃなくて、もうその日暮らし、というか、別に目標みたいなのには関心を払わない、という生き方だって、ひとしなみに切実で、「よい」生き方なんじゃないか、と思ったりもします。
 生きているといろんなステージがあって、その上、環境って色々に変化していくから、その変化に合わせるためには、一つの目標を定めるよりも、「その時々の自分を喜ばせてあげる」みたいな、気温と一緒に自分の色が変化する、みたいな、(変なたとえかな)そういう態度だって、別にいいじゃないか、と思ったりもします。

2019年4月15日月曜日

第374回 旅の効用についてなんだか思ったことがある。

 旅の効用についてなんだか思ったことがある。
 普段暮らしていると、悩んだり、行き詰まったり、鬱屈としたりする。それは、いろいろな理由があるけど、概ね自分の今いる文脈に縛られてしまっているからだ、と思う。
 要するに人生って「なんでもいい」はずなのだけど、それは、普段の生活の中で、ほとんど意識されないことである。それは、意識しないほうが、通常は生きやすいからだ。
 いちいち認識を新たにするのは、省エネルギーではない。でも、時には、その慣性が悪く働くこともあると思う。「自分はなんでこんな環境にいなきゃならないんだろう」と思うとしたら、それはもうすでに、何か自分で自分に縛りをかけている状態であるような気がする。
 実際、「なんでもいい」のだけど、(なきゃいけないことなんて人生にはないと思うのだ。あるとしたら、それは自分が決めることかもしれない)それを一旦保留して、「これは自分がやるべきことだ」ということにしてしまう、のが、「普段」だから、その条件を一旦解かないといけない。
 旅をすることには、その「普段」を極めて楽な形でリセットする効用があるように思う。それは、実際に違うことをするから、である。

 僕は旅が好きだし、旅、と普段を繰り返して、緩めたり、縛ったり、で生きていくのが良いのかもしれないと思う。

2019年4月14日日曜日

第373回 「あんなにもたくさんの人が運転免許の更新をする」

 昨年末に免許の更新に行った時に、たくさんの人がいるので驚きました。免許を取得した時も同じことで驚いた記憶がある。
 もちろん、そこらへんを走っている車の数のことを考えたら、一応事実としては認めざるを得ないところなのだろう。それでもなんだか、自分が生身で感じている実感とは随分数が食い違っているなあ、と思った。
 同じように、昨日たん君と公園に行ったら、たくさんの子供達と、その親が一緒に遊んでいた。それを見た時、僕はまだ行っていない中国のことをふと考えた。家の近所の公園でさえ、今までほとんど触れることのなかったような人間の層と出会うことになるのだな、と思ったからだ。

 まだ見ぬ中国っていう国の中には、13.8億人という人数がいるという。するとこれはもう、その、つまり、僕が意識の中でこの世界にいると思っている人間の数とは全く異なる大きさなんだろうな、という予感がした。
 実際には、その「ホントウの数」というのを知覚することは未来永劫ない。わかったつもりでいても、あくまで予感の形でしか、つまり結局自分の想像でしかない。だけど、「世の中には自分の知っているものとは随分違うものが『実際に』あるんだねえ」という生々しい実感は、これは非常にいいもんです。
 そういう生々しい実感を求めて旅をしているところがあるなぁ、とも思いました。
「へー、『実際』にあるんだ」とね、これです。
 この実感のために、あっちゃこっちゃ行ってるんだな、と思ったのです。

2019年4月13日土曜日

第372回 紙の本

ずっと待っていた、トム・ウォールさんの本が届きました。
やっぱり、本が紙で読めるのは、嬉しいですね。

PONTEで、販売しています。


2019年4月12日金曜日

第371回 ぼーっとしてリリースしてあげる

 「考える」というのは、運動と全く同じであるような気がする。ずっと同じことを考えていると、脳みその一部分だけ使われて疲れるような気がする。だから、一時間に10分ぐらい、別の考えをしてあげたり、全く何も考えないで、ぼーっとしてリリースしてあげるといいんじゃないかと思う。
それでもダメな時は、やっぱり、そのことについて考えるのを、その日はやめる、とか、半日やめる、とか工夫しないとダメだなぁ、と思った。

2019年4月11日木曜日

第370回 「これからは、旅のことについて書こうと思う。」

「旅するジャグラー」としてしばらく生きてみよう、と思いました。そんなこと言っても、君ずっと旅してるじゃないか、と思われる方もいるかもしれませんが。

「旅とジャグリング」というのがジャグリングをやっている理由なのだということに思い至った。ジャグリングがきっかけで、今までの経験が成り立っているんだなと思いました。「ジャグリングがなかったら今のような自分ではなかった」の大元を辿ると、全てが旅に結びついています

僕の日課に「ジャグリングの郵便箱」なんてついているのも、やっぱり旅先から投函するようなイメージがあるからです。 旅先で何かに出会うことで、僕は鮮烈に生きているような心地がします。そのことを伝えたいなぁ、と思っているのでした。しばらくそのことに自覚的になって伝えてみたいと、おもう。

2019年4月10日水曜日

第369回 周りにできる人がいると

2000年に発行された『ボールジャグリング入門』では、「5ボールはジャグラーの試金石」と書かれています。実際、90年代あたりは、(僕はジャグリングをやっていなかったので知らないのだが)きっと5ボールカスケードができるジャグラーなんてそれほど見かけることもなかっただろう、と思う。

もちろん「できる人」はたくさんいただろうし、7ボール、9ボールだって、ある程度の人がやっていたのだろう、とは想像できる。それにしても、今のジャグリングの世界のように、5ボールができてもジャグラーからは驚かれない、というふうではなかっただろう。

僕には、これが「不思議」である。人間の身体的な能力で言ったら、生物としては全然変わっていないはずなのに、ジャグリングのシーンを全体で見たとき、明らかにレベルが上がっている。この要因はどこにあるのか。

やはりこれは、「周りにいい見本が山ほどある」ということが関係しているに違いない。インターネットはもちろんその最たるもので、あとはサークルや練習会で実際に人がやっているのを目にする、ということもある。

そこで思うのは、人間は、精神的に「できる」と思えると、実際にできちゃうんだよな、ということである。もし周りに5ボールなんかやっている人がいなくて、イチから自分でやらねばならないとしたら、(実際30年以上前なんかは、そういう状況の方が普通だったろう)諦めずに練習を続けるのは難しい。

それが、周りの人がやすやすとやっているのを見るだけで、「そうか、これは、練習さえすれば誰でもできるし、そんなに難しいことでもないのかもしれない」と思って、くじけそうになった時も、なんだかんだでモチベーションを保つことができる。

つまり何が言いたいのかというと、今自分が何かに取り組んでいて、「これは難しいし、全然できないかもしれない」と思うようなことも、実は、周りにそれをやすやすと実現している人たちがいたら、それだけで、簡単なものに見えてしまう、ということなのである。きっと、どんなことも。

だから先例がないようなことも、「もしこれを、周りの人10人がやすやすとやっているようなことだったら」と想像すると、気持ちのハードルが下がって、挑戦し、失敗し、また諦めずに続ける、ということが少し楽になるような気がする。

2019年4月9日火曜日

第368回 「ジャグリングを教えること」について最近考えていること。


自分が通っているコワーキングスペースの方数名に、今ジャグリングを教えている。他にも、高校の同級生にも、縁あってジャグリングを教えている。初めから教えていると、特に最初にカスケードを覚えた時、すごく集中して練習して、またすごく喜んでくれる場合が多い。

この喜びを目にすると、ああ、ジャグリングを教えるのって楽しいな、と思う。
一方で、ここから先、さらにこういうワクワクを伝えるにはどういうことが必要かな、とおもう。

僕自身は、「旅をする」ということをキーワードに、ジャグリングを楽しんできたように思う。
もちろん最初の12年は、とにかく新しい技を覚えるのが楽しくて仕方がなく、それで夢中になってきたわけだが、そういう楽しみ、って上達を一番の目標とする人を除いて、だんだんと薄れていくものである。

そこへきて、さらにもう一歩進んで、なぜ今日も自分はジャグリングをするのか、何か理由があるといい。そうしたら、ただジャグリングを始め、初めの1年ぐらい楽しくやってだんだんフェードアウト、ではなく(もちろんそれでも一向に構わない)もう少し続けられるかもしれない。

僕はとにかく、今感じている、「人と出会い、つながりを作れるからこそのジャグリング」を意識して大事にしていきたい。なぜそれがジャグリングじゃなきゃいけないのか? と問われたら、それは「ジャグリングって、ちょうどいいから」なのだ、と答える。それはどういうことか。

「発見係数」(仮)という考え方を僕はしている。ジャグリングは、発見係数が高いのである。どこか外国に行くにしても、人と会うにしても、そこにジャグリングという要素があると、出会いがもたらす印象の大きさが、かなり大きくなるのである。

「ジャグリング」は、普遍性と、奇異性が程よい具合に入り混じっていると思うのだ。つまり、その場にあるものを使ってその場で見せられるし、言葉もいらないという性質(普遍性)がある上で、サッカーや野球とは違って、それほど一般的なものではない、という性質(奇異性)のバランスがちょうどよい。

だから僕としては「ジャグリングを持って旅にでよう」ということなのである。そうすると、たとえば見知らぬ人に興味を持ってもらうことがぐっと楽だし、外国語だって上達するかもしれないし、みんなが普通じゃ見られないような風景を見られたりする、という相乗効果があるのだ、ということなのである。

そんなことが僕にとってはジャグリングの「技の次の楽しみ」。それを、僕はなるべく丁寧にいろんな手段を使って今から何年もかけて伝えたい。もちろん「旅」は僕個人にとっての楽しみだからこれはあくまで一例であって、皆さんはまた自分なりの「ジャグリングと付き合うわけ」を探してね、であるが。

2019年4月8日月曜日

第367回 再びここの処遇について考える。

ここの処遇について考える。
毎日書いて、それでなんとも何も起こらないのはやっぱり辛い。
これは、自分のやり方が問題である、ということは重々承知している。
貴重な青春の時間を使うので、(ふふふ)やっぱり毎日やっていて、その執筆自体が少しキツくても、その後にとても爽快なのがいいよな。
仕事にしたいよ。このことを。

だから、「毎日書くこと」そのものが目的なのではなく、きちんと理由があって、毎日何か書いて、そしてそれが大勢の人に届いてくれたら一番嬉しいよな、と思う。
それには、まず毎日強制的にでも書いて、考えるべきこと、を見つけなければいけない。

※ ※ ※

でもやはり僕は茂木(健一郎)さんに憧れているので、とにかく、どんな反応があるだとか、なんだとか関係なく、取り憑かれたように文章を書く、というのもいいなあ、と思ってはいるのである。

※ ※ ※

今日はだらだら起きた。昼近かったんじゃないか。
昨日の夜、メルマガを書くために随分夜更かしをしたせいである。
家でPONTEのことをずーっと考え、時間になったらアルバイトに向かう。
僕は今、基本的にアルバイトと、その他、文字起こしや、翻訳や、ジャグリング教室や、PM Jugglingのお手伝いといった、ちまちましたお仕事(のようなもの)を見つけては、それで日銭を稼いでいる。
別にそれがいやだってんじゃないが、やっぱりなんか、もっと、どかーん、と自分ならではの人に役に立つことがしたいよな、と思う。

ああ、そして今の時点で、まだフランス語の1分ビデオを撮ってないじゃあ、ないか。
やれやれ。
でも、これも、きちんと時間をとって、とにかく「意味のある」状態に、少しでも考え抜いて近づける、というのが、正しい姿勢だよね。

2019年4月7日日曜日

第366回 徳島から横浜に



徳島から、横浜に帰ってきた。
TSJF、楽しいフェスティバルでした。

詳しくは、明日発行のメルマガで書く予定。
まだの方は是非ご登録を。

http://jugglingponte.com/e-zine/

2019年4月6日土曜日

第365回 徳島に行くバスで思っていること

現在、徳島に向かう高速バスの中でこれを書いている。
徳島では、このフェスティバルに参加する。
朝、6時半ごろに起きて、のそのそと駅に向かう。

今取り組んでいる新しいこと、どういう風に進めていこうか、と思いながら、バスに乗っている。本当は、「これだ!」ということを、一つ、すっと伸びる線のように淡々と進めていきたいのだ。
でも、アイデアを20個出して、そのうち1個がよければいいかな、という気もする。
そういう風にしてしか「これだ!」は見つからないような気もしている。
そして、それを磨いていけばいいかもしれない。

2019年4月5日金曜日

第364回 京都

京都。

夜行バスで隣の人がやたら幅をとっていたので、うまく寝られず。待合所で耐えきれずぐうぐう2時間ぐらい寝る。スッキリ。起きたら、待合所でEJCの航空券を購入。そろそろ頃合い。ベトナム航空で往復、20日間滞在の予定だ。決まってしまえば、よし、旅程を立ててやる、という方向に頭が向かう。
京都にいるが、別に京都でやることがあるのでもない。明日徳島に行くのが主目的。ひとまず駅ナカの喫茶店CIAO PRESSOに入った。京都には夜行でもう10回ぐらい来ているが、初めて。電源もあるし、エスプレッソとパンのセットが300円だし、(ポテサラもついてくるし)これから夜行明けはここのお世話になりそう。

しかし変な朝だった。
エクスペディアでチケットを取った瞬間、待合所のテレビでエクスペディアの広告が流れ始める。
ベトナム航空でチケットを取った矢先に、Vietnamと書かれたキャップをかぶったおじさん二人に会う。今、後ろでは、イタリア人の夫婦が、なんだか知らないがイタリア語のYouTubeをみてる。

「別にやることないんだけどいつもと違うところにいる」というのは、身体と心が生き生きとする。
なんだろうね?
人間の本能にすごく即している気がする。
気分の最低ラインが58cmくらい上がる、というような感じ。
少し浮き足立ちながら「いつものことをする」感じ。

カフェを出たら、河原町の方へ。無印に行ってしまう。
駅からここまで歩く中で、写真を撮ってみたり。
その後伏見稲荷の方へ移動し、友人と会う。
駅まで歩く。
友人と別れて、三条の方へ戻る。
また、無印に行く。
みみずくんと落ち合う。
みみずくんは相変わらず。一緒にラーメンを食べて(唐揚げがすごい量だった)河原で楽しく缶ビールを飲んで、寝る。

2019年4月2日火曜日

第361回 横尾忠則さんのサイトを見ていて思ったこと

画家、横尾忠則さんのウェブサイトには、淡々と彼の日々の雑感が残されている。
別に誰のためというのでもなく、ただ淡々と残されている。
読む側はどういうことを思って読むんだろう。
つい昔の日付なんかを開いて読んでしまう僕の心の中をのぞいてみる。

それはおそらく、「その人を立体的に理解したい」という欲の現れなのだろう、と思う。

僕のことを立体的に理解したいだなんて思っている人はいないのはわかっているが、少なくとも自分にとってこうやって日々のことが文章にされていて、一ヶ月に一回くらい前の物を読み返して、自分の来し方を少しだけ厚みを持って振り返ることができるのは、やっぱり嬉しいものである。
できる限り、ここは細々と長く続けていきたいものである。

※ ※ ※ 

PONTEのことを考えている。
なんだか、サイトがぐちゃぐちゃになっていて申し訳ない。
僕は全然なんというか、プログラミングだとかそういう方面に疎いので、なんでもてきとーにやってしまって、うまく動かなかったりすることが日常茶飯事なのである。
うーむ、早くなんとかしなきゃ。

※ ※ ※
なるべく、ここを続けることが自分にとって本当に意味のあることなんだ、と思えるようにしないと、やっぱり、続けていて、ちっとも楽しくないから、時々こうやって日々の所感や日記のようなものを書くことを納得しないといけない。

2019年4月1日月曜日

第360回 決意の質とか

「よーしこうしてやるぞ」とよく決意をするのだけど、まぁ、その決意が実現することって、あんまりないですよね。
その時点ですでに行動していれば、それはいいのですけど、よーしこうしてやるぞ、から、5分たち、10分たち、1時間経つ間に、その決意なんかどこかに行ってしまいます。

できれば、決意なんてしないで、ただ淡々と何かをできれば、それが一番いいのだろうな、と思う。

2019年3月31日日曜日

第359回ちらっと見えた目黒川の桜

いつもね、ここで毎日何かを書いていて、「ああ、そろそろ来週のメールマガジンの原稿を書かなきゃ」と思うのだが、何か思いついたものがすぐに次の日の郵便箱の原稿になってしまったりするので、なかなかメールマガジン用の原稿にとりかかれなかったりする。
なので、いきなりだが、今日見えた目黒川の桜、ということを起点に話をしてみる。
本当は、メールマガジン用にちょっと話を思いついたのだが、それを一旦置いておく。昨日は友人の結婚式の打ち合わせで(式でジャグリングをすることになっているのだ)渋谷の方に出るのに、東横線を使った。中目黒を通った時、一瞬、目黒川にかかる、てんこ盛りの桜の並木が見えた。何回か目黒川の桜はみたことがある。それで、またこの季節が巡ってきたんだな、と思う。中目黒の駅では、とんでもない量の人が降りる。やっぱりここでも、外国からの旅行者って増えたんだなぁ、と思う。

外国の人、というけれども、旅行者のように見えて普通に日本に住んでいる人も多いんだよな、きっと、と思う。
どんどん日本に、外国から移住してくる人が増えるところを想像している。

そういう人たちにずっと日本に住んでいる人がどういう態度を取るかは、日本語が話せるか話せないか、というところが、かなり大きく関わってくるんだろうな、と感じる。

2019年3月30日土曜日

第358回 鎌倉

昨日は、ニュージーランドからきているリサと、少しだけ鎌倉を散歩する。
遅い時間からだったのと、夕方から用があったので、本当に、少しだけ。
鎌倉駅で降り、小町通りを通って鶴岡八幡宮を見てきて、すぐに帰ってきた。

随分と外国からの旅行者が多く見受けられた。
この間京都に行った時、伏見稲荷にいた95%ぐらいの人が外国の旅行者のようでびっくりしたが、こちらの方でも似たような状況になっていたのは知らなかった。
まぁ、桜の時期だ、ということもあるのでしょうね。

2019年3月29日金曜日

第357回 大集合

昨日は、たくさんの国(と地方)から友達が一堂に会したのである。
朝は仕事に行き、終わり次第すぐに横浜に向かう。
NZから友達のリサが来ていた。
駅で待ち合わせ。
久しぶりである。
ラスベガスぶりだから、3年ぶりくらいか?
一緒に街を見て回ろう、というので、待ち合わせしたのだが、都合よく東京にいたオリ(・ロス)とその奥さんミリさんも呼んで、みんなでみなとみらいの散歩をする。

少し寒かった。

昨日もそのあたりをぶらぶらしていたのだけど、違う人と一緒にいれば、それはまたそれで違う印象をもたらすものである。

数時間歩いたら、駅前の蕎麦屋でそばを食べる。

少しして、京都から来たみみずくんがくる。
ちょと久しぶりである。

みんなで、いつもの練習場所に向かう。

昨日はなんだか、技巧派ジャグラーが非常に多かった。
いつもと様子が少しちがった。
後から、昨日も一緒だったフィンランドのマルクスとエンマも来て、随分と国際的な雰囲気になった。

練習が終わると、みんなで居酒屋へ。
お互いのことを話す。
各国の言葉で早口言葉に挑戦したりする。(早口言葉はウケがいいね)

楽しく飲んだら、またいつか。

僕が今まで海外で受けてきた親切を、ただただ、少しでもいいから何か他の人に分けたいな、と今は思う。
そして何よりやっぱり、外国の人が日本を訪れて、楽しんで帰ってくれるのは、嬉しいよな。



2019年3月28日木曜日

第356回 さくら

フィンランド人のマルクスとエンマ、到着する。
朝一瞬だけFujiくんと打ち合わせをし、ノリで誘って、一緒に羽田の近くのホテルまで迎えに行く。
去年の夏に会ったから半年ぶりくらいである。
二人の服には、飼っている犬のヴァディの毛がいっぱい付いている。
ヴァディもちょっとだけ連れてきたんだなぁ。

今日はどうしようかな、と思っていたのだが、いろんな都合を考え、ひとまず横浜に行くことにした。

ところどころに咲いている桜を見た。

桜を見るたび、嬉しそうにする二人。

フィンランドでは、まだ寒いのだ、ということを思う。

「なんだかもう夏みたいだね」と二人は笑う。

そう、フィンランドは寒いのだ。


2019年3月27日水曜日

第355回 羽田空港で骨折り損


昨日の夜の話だ。

フィンランドから、友人のマルクス・エマ夫妻がくるというので、サプライズでもしてやろうと思って、到着予定として知らされていた時間に羽田空港に行って、待ち構えていた。あらかたやることを終わらせてから、夜の9時半に電車に乗り、全然人のいない京急線で向かう。到着したのは10時少しすぎ。彼らが着く、と言っていたのは10:40。

その時間には二本の中東系航空便があった。
1本目は10:30、2本目は10:45に到着、とある。

もし1本目だとしたら、きっと彼は10:30に到着だよ、と言うはずだろう。
なので2本目に違いない。
そう見当をつけた。

何より、1本目が"Delay"と出ていて、到着が23:56だと言うのだ。
僕は、推理をした、と言うより、自分にもバレないように、その願望を心の前面に押し出して、二人が乗っているのは10:45分の便だ、と決めつけた。

その便が実際に到着したのは、10:55。
よしよし、と思って、出口を見つめる。

初めは、その3本くらい前の便のマレーシアからの便の人たちが目立っており、待っている人の中にも、マレーシアの話題が出ているから…などと、周囲から漂うヒントをあてにしながら、いまかいまかと待ち構える。
エミレーツ航空の添乗員さんたちが出てきて、だんだん、中東系の顔が増えてくる。
併せて、ヨーロッパからきたであろう人たちの顔も増えてくる。
中東の航空会社は、安いからヨーロッパの往復にはもってこいなのだ。
いいぞ、いいぞ、とだんだん胸が高鳴ってくる。
半透明の壁に映る人影がそれらしきカップルだと、期待を込めて視線で追うのだが、どれもマルクスたちとは違う。

20組ほどのヨーロッパの旅行者を見送っただろうか。
待てども待てども、二人は来ない。

この辺りで僕はもう悪い予感を拭い去れない。

あ、これ、2本目かもしれない。

しかし僕の終電は12:23なので、2本目が出てくるのを待っていたら間に合わない。

うーむ、と腕組みしてしまったが、仕方がない。

結局12:15になっても二人は現れなかったので、諦めて帰ることにした。

※ ※ ※

さて、この体験はしかし、僕にとってどこか「いい」体験であった。
と言うに、まずやはり僕は飛行場が好きだから、ということと、出口で暖かく迎えられテいる帰国者、旅人を見ているうちに、なんだか、こちらまでいい気分になってしまったから、ということがある。なんだか僕も、海外から帰ってきて、誰かに思い切り笑顔で抱きしめられたいなぁ、とか思ってしまった。

そして、携帯電話でいつでも世界の誰とも連絡が取れて、「確実に会う」ことが簡単なこの時代に、「会えるか会えないかよくわからない」状況に身を置くのは、随分と稀有な経験だよな、とも思ったのだ。昔の待ち合わせってこういうところがあったんだろうな、と思う。
自分の知っている人が眼前に現れるのをいまかいまかと待っている間の心持ちというのは、それだけで割に充実した気持ちだったりする。少なくともその待ちわびている間は、その人たちのことしか考えていない。で、そういう、「自分の想像の中に人を思い起こして触れ合っている時間」というのは、これは、目には見えないけれど、少なくとも大事な人生の滋味の一つなんだなぁ、と思えたのだった。

そんなわけで、目的は達成できなかったのだけど、思いがけず別の発見があったので、帰り道もなんだかふふふ、と上機嫌で家路に着いたのである。

(そしてこれを書いている最中にマルクスからぽーん、とメッセージが来て、「ホテルに着いたよ!」だそうである。やっぱり、2本目で着いて、なんの問題もなくくつろいでいるのだな。やれやれ。まぁ、いいや。)

2019年3月26日火曜日

第354回 キムチの話

元気になると、どうも食欲が出ちゃっていけません。
80円くらいで買った白菜が随分余っていたので、切ってキムチにした。
前回はちょっと切り方が大雑把すぎて上手く漬かっていなかったので、今回はなるべく小さくした。
そういえば、確かに市販のキムチの切り方って、結構小さいのだ。
改めてみてみると、本当に小さい。
思っていたのの半分ぐらいの大きさである。

あれ、こんなに小さかったっけ、としばし見つめてしまうぐらい小さかった。
そして、白い芯の部分はさておき葉の部分なんかもう本当に申し訳程度のちびちびがいっぱい入っていて、まぁ確かに言われてみればこういうのこそ、結構好きだったな、と思い出すのである。

日常的に見逃しているものっていっぱいあるよな。


2019年3月24日日曜日

第353回

今日はいよいよ病気がほぼ完治したよう。
どうやら胃腸炎か何かだったみたいだ。
ずっとお腹を痛めていたのだが、これを書いている今は、もうだいぶ和らいできている。
まだ少し気だるさと胃の重さを感じるが。

仕事を休ませてもらって、朝はゆっくり起きて、『ボクの音楽武者修行』を読んでいた。この本は、折に触れてなんども読み返している。
1日もあればすぐに読み終えてしまう。

遅めの朝ごはんに、おかゆを作る。
余っていたご飯と、中華の素と、醤油と、塩、卵を入れてしばし煮込み、最後に梅干しをポトンと落とす。
うむ、美味しい。

それでもお腹が空くので、数時間したら、納豆梅干しパスタを作った。
納豆を混ぜて、そこに梅干しを入れる。
パスタは、茹で上がったものに少しオリーブ油を混ぜ、熱々のうちにさっき作ったペーストをのせて食べる。
うん、美味しい。

ああ、なんだかまたお腹が空いてきてしまった。
ご飯を美味しく食べられるというのはまことに幸せだ。

3日寝込んでいたので、久々に清々しい気持ちで外に出たら、廊下で身重のネコがのんびりしていた。


2019年3月23日土曜日

第352回 治癒力について

昨日もう治ったと思ったら、布団に入るなりジェットコースターに乗っているみたいな震えが来て、結局今朝も腹痛がじんわりと続いている。

素人なりの考えで、自然治癒ってすごいなぁ、と思っている。
薬とか、療法とか、色々あるけれど、結局根本的な回復は全て身体がやってくれているんだ。

熱が出るにしても、僕はいつも、「そうか、熱が出るということは、身体の温度を上げて、何かしたいと思ってるんだな」と思って大人しく布団に入って、補助してあげるために暖かくするし、「お腹を下しているということは、何か悪いものを必死で外に出そうとしてるんだな」と思えば、食欲がないのも宜なるかな、と納得するし、とにかくおとなしく身体のいうことを聞くようにする。
まちがっても「なんだ、困っちゃうな、具合なんか悪くなって」とは思わないようにする。
だって、向こうは必死でやってくれてるのだ。
電車が遅延してるのを見て、「なんだ、ふざけやがって」と言っちゃあ、必死で復旧にあたっている人に気の毒だ、というのと似ている。

そういう時、なんだか自分の身体って、思い通りになるようで、そんなことは全然なくて、むしろ自然の一部みたいなものだな、と思う。
勝手に生えてくる雑草や、降ったり降らなかったりする雨や、数百万年かけて変わる地形とどこかで地続きの、最低限の同一性を保ちつつ、ウニャウニャと形を変えながら進んでいく、自分ではどうしようもないものの一部なんだな、と思う。

ずっと家にいる。

2019年3月22日金曜日

第351回 久しぶりに風邪を引いた1日のこと

風邪を引いた。
随分と久しぶりのことである。

最後に風邪を引いた記憶として残っているのは、2015年にフィリピンに行く直前である。
いや、でもその前にニュージーランドに行く前もなんか風邪ひいてたような気がするな。

とにかくフィリピンに行く前には、ちょっと事情があって外でずーっと人を待っていたのだ。それが2月もまだ寒い頃で、帰ったら悪寒がしたので寝込んだ。
確か3日間ぐらい寝込んで、もうこりゃ、最悪キャンセルだな、と思っていたのだが、出発当日になったらけろっと治ってしまった。

ああよかった、これで航空券代も無駄にならずに済む、と思って家でゆっくりしていたら、今度は飛行機が出発する3時間前になって、「あれ、そういえば成田空港までって2時間ぐらいかかるじゃん」とはたと気づき、病み上がりの身体でスーツケースを引いて全力疾走した。

結果的に、搭乗時間ギリギリでなんとか滑り込み(けど最後から2番目だった)飛行機でむせこみながら、それでも現地についてだらだら過ごすうちに完治した。

今回は、朝から異変を感じており、なんだかなぁ、と思いながらも、窓を全開にして、お風呂に入ったり、洗濯物を干したり、仕事をしたりしていたら、みるみる体が震えるようになって来て、ああ、こりゃいかんな、と思って、気力を振り絞って手をつけていた仕事だけを終わらし、早速布団を敷いて寝た。
枕元には、同じく気力を振り絞って入れた1リットルの麦茶を携えて、目が覚めるたびにひたすら麦茶を飲んだ。

3時間ぐらい、もう、だらだらと汗をかくようにして寝て、起きてみたら、少し体が楽になっていた。

何かを無性に口に入れたくなったので、冷蔵庫にあったレモンを切って食べた。
酸っぱさが心地よい。
それから、何を思ったか僕は親子丼が食べたくなってしまい、近所のスーパーに行って鳥のムネ肉や何やかやを買って来て、お米を研いで炊き、玉ねぎをきり、肉を少し炒め、めんつゆで煮込み、キムチなんかも乗せて、1号の米と1.5人前くらいの親子丼のタネを平らげてしまった。

だがやはり風邪をひいている最中なので、だるさが抜けない。
読みたかった本を読んでみたりしているうちに、あっという間に23時である。

ああ、何もしてないなー、とがっかりする。

明日から頑張るしかないかなー、とか、思う。

なんだかね。
「やるべきことの量よりもちょっと多い量のこと」を日々やっていないと、がっかりしちゃうよね。

明日はさっさと起きよ。


2019年3月21日木曜日

第350回 今日は英語の事情である。

最近は英語のこともよく考えているんですよね。
先日、ジャグラーのトム・ウォール氏から、新しく出る本のデータを受け取って、そのレビューを書いていました。
そして、少し予想はしていたのだが、翻訳にも興味がありますか? ということを聞かれた。
すごく、やりたいんだよな。

僕は時々英日翻訳の仕事を受けるけれど、本一冊分の翻訳というものはしたことがない。

これを機に、ちゃんと予定を調整して、やってみたい、と思っていたりする。

こんな本。
”Juggling - From Antiquity to the Middle Ages: the forgotten history of throwing and catching”
『ジャグリング 古代から中世まで:「投げては取る」の忘れられた歴史』
(タイトル邦訳筆者)

2019年3月20日水曜日

第349回 さて、このところのフランス語勉強事情である。

さて、このところのフランス語勉強事情である。

去年の1月に「今年はフランス語の年にするぞ」と意気込んだ。
…のはいいものの、全然まともに勉強することなく、あっという間に一年が終わった。

「年の初めだからと言って何かを特別に決意するのはやめよう」と心に固く決意した。

そのまま季節は春になり、花粉が鼻を刺激し始めた頃、「ああ、なんか、今ならフランス語ちょっと話せそうだな」と唐突に感じ、その熱(か錯覚か)が冷めないうちに100日間毎日フランス語で何か喋ってインスタグラムに投稿しよう、と決めた。

これは、なかなか「効く」やり方だと47日目になる今日、思う。

一日10分や30分フランス語のビデオを撮るのに費やしたところで、フランス語が上手くなるわけではない。

だがとにかく毎日何かしなきゃな、というふうに思う。
それが他のことを誘発してくれる。

少しだけ文法書でも読もうかな。
朝ごはんの間くらいフランス語でラジオでも聞くかな。

それが47日間ずーっと続くのである。
これは、「うっかりやらない日があって結局6日目ぐらいで終わる」よりもずいぶんな進歩である。

毎日インスタに上げる、と宣言してしまったことで「今日はフランス語に触れたか触れていないか」というフィードバックが自動的になされるのである。


毎日何かを続ける本当の目的は、目標について毎日考えるようになること、ただそれだけいいんだろうな、とおもう。

エティエン君ともフランス語でやり取りをするようになった。かなり無茶なんだけど、まぁなんかなんとかなっている。

2019年3月18日月曜日

第348回 ジャグリングが役に立つとき

高校時代の友人と会った。
彼が今年結婚式を挙げるというので、そこでパフォーマンスをするのである。
昨日はその打ち合わせだった。

駅で待ち合わせして、式場を見て、説明を聞いてから一緒にお酒を飲みながら話す。

どういう風にお祝いしようかな、と考える。

同時に、自分がジャグリングをする人間でよかったな、とも思う。

ジャグリングが人の役に立ってくれる時は、やっぱり僕は嬉しい。


2019年3月17日日曜日

第347回 デイヴィッド・ケインさん

David Cain(デイヴィッド・ケイン)さんという、アメリカ人のジャグリング歴史家がいる。
彼は、古いジャグリング道具の収集もしている。
 彼の持っているクラブのコレクションの一部が、IJAのインスタグラムアカウントに載っていた。
 美しいよなあ、とおもった。

 彼は他にも色々と面白い道具のコレクションを持っていて、去年のイギリスのコンベンションで見せてもらった。 ケインさんのプレゼンテーションの仕方もまた面白いのだ。 ジャグリング道具といっても、工夫の凝らされた道具から、シンプルなおもちゃのようなものまで、実演しながら、ジョーク飛ばしながら、片端から見せてくれる。


2019年3月16日土曜日

第346回 届いたカードは悪くない

先日注文したカードが、もう届いた。
早いね。
完成品は、ちょっと想像と違った。

悪くないんだけど。

悪くない、というのは、よくない、ということである。

僕はフランス人じゃないので、いいときは素直に「あ、いいねー」という感想が漏れる人間である。
そうでないということは、やっぱり、よくない、ということなのだ。

2019年3月15日金曜日

第345回 手書き


昨日手書きのことについて書いたけれども、やっぱり僕はそういう「揺り戻し」を必要としている気がする。別に「パソコンの作業はんたーい!」と言いたいんではなくて、バランスを取らなきゃな、ということである。

十全に。

2019年3月14日木曜日

第344回 バランス

「ああ、今日は全然世界と触れ合っていないなあ」
と思うことがよくある。
天気がいいのに、屋内で1日過ごして、特にパソコンなんかやっていたりすると、やっぱり思うよね。

昨日は一日中Fuji君といろいろ検討していた。
カードを作ったり、バッジを作ったり。

でも一番好きなのは、自分の手でスケッチをたくさん描いている時だったりする。

僕がパソコンに向かってデータを作る間、Fuji君がPONTEくんを描く練習をしていた。

2019年3月13日水曜日

第343回 外国生まれの人と話すことば

フランス人と(インターネット上で)会話をする。
その時、よく英語を使う。
今はフランス語を勉強しており、簡単なことだと、割とわかるようになってきた。
それでも、あんまりフランス語で話す気にならない人、がいる。
それは、はじめに出会った時から英語で話していた人である。
ニノがそうだ。
もっとも、ニノにフランス語で話しかけると、とても嬉しそうにするのは知っているんだけどね。

他にも、イタリア留学中に出会ったがために、イタリア語でしか話さない台湾人の友達もいる。

なんだか、恥ずかしいのである。
その人の普段使っている言葉を使うのが。
それは、僕が割に「テキトーに」外国語を習得していることと無関係ではない気がする。
究めてないから、なんか、明らかに向こうの方が有利で、僕の立場が弱くなっちゃうよなー、とか、思うのである。
そして何が悪いかというと、それを相手も感じとるだろうから、そうなった時、今までの対等な友人関係でいづらくなっちゃうんじゃないかなぁ、と思ったりするのだ。

ときどき、やっぱり西欧の人はいいなー、と思うのは、英語という世界のリンガ・フランカを使うにしても、同じインド・ヨーロッパ語族の言葉を使っていて、(あとはローマ字を使うところが多くて)すでに身体に染み付いた言葉の使い方に、僕らよりももう少し近いところで、英語を使うことができるんじゃないかなあ、と思う時です。
僕らが漢字でコミュニケーションをとる、のにも例えられる。(まぁ、同じインド・ヨーロッパ語族だってだけで、チェコ語とか、フィンランド語とか、イタリア語だって全然違うけどさ)



だからどうってんじゃないけども。

そして、日本語、という、英語とはかけ離れた言語を自在に使うことができる、ということに得意になる時だって多いので、まぁ、おあいこだな。

2019年3月12日火曜日

第342回 自分のしごと

仕事、というのは、「する」「こと」だ、ということを思う。

自分が何をして歩んでいきたいか、だよなぁ、と思ったりする。
そのことを、いつでも考えていたいよな、と思う。
その後に、お金のことだとか、もちろんくるのだけど、軸になるべきなのは、自分が何をして歩んでいきたいか、である。

そして、人の役に立てるのがいいな、と思う。
人の役に立つために、すること、が自分にとってなんであったらいいのか。
と、考える。

昨日、確定申告、終わる。
まだまだ色々とわからないことも多い。

2019年3月11日月曜日

第341回 手仕事について

手仕事、手書きの方はいいよなあ、と感じる感性があって、それはどういうところからくるのだろう、と考える。

そこには、「それを作ることを楽しんだ」という過程が見えるからではないだろうか。

2019年3月10日日曜日

第340回 写真

写真をきちんと撮れるようになりたいな、と折に触れて思うのだが、なんだか、時間が取れずにいる。

今日は少しだけ撮った。
別に特に意図は無し。

2019年3月9日土曜日

第339回 野毛という町について

川内有緒さんという方に誘われて、野毛に行ってきた。
と言っても、毎週のように野毛付近にいるのでそのこと自体は真新しくないのだが、初めて、野毛らしく飲んだ。

まず、ロザリオというイタリアンバルに行く。
着いてみると、アリオさんの他にも妹さんや、友人のアイさん、そして、野毛で大道芸フェスティバルを開き、その文化を広めたIKUO三橋さん(このインタビューが、すごく面白いです)もいらっしゃる。
ピッツァとワインをご馳走になって店を出ると、アイさんの解説を聴きながら少し周辺を散策し、一年中サーカス芸が見られるバー、うっふに入る。うっふは二回め。チェルシーさんというエアリアルの方が出演していた。

そして次に、隣にあるル・タン・ペルデュというお店に入る。
ベルギービールのレフを飲みながら、生のトリオジャズ演奏を聴く。

上記のインタビューで森さんが「技というのは手段にすぎなくて、根本的には心が豊かになるようなものを出していけたらいいな」ということをおっしゃる。


昨日は特に、ジャズの演奏で、心に染み渡る音が心地よくて、音楽というのは人が演奏をしているものだ、ということをはっきりと感じとって、ああ、こういうことが、つまり見ている人が幸せに、豊かになることだな、とおもった。

2019年3月8日金曜日

第338回 Coroを作る過程で、「デザインする」というのはどういうことだろう、となんども考えている

このCoroを作る過程で、「デザインする」というのはどういうことだろう、となんども考えている。
一つ暫定的に出た答えは「工夫をする」ということである。
この考えかたを、さらにこれからものを作る過程で、更新していきたい。
「フェティシズム」ということも、大事な要素として入ってくるだろう、と思っている。
美ではなく、フェティシズム。
そこに個人的な「スキスキ」があって、それが普遍的であるはずだ、という確信が大事なんじゃないかと思っている。

2019年3月7日木曜日

第337回 Juggle Pack日記 ネームタグ編

僕とFujiくんとで作っているJuggle Packの第一弾、Coro。
昨日は1日かけて、ネームタグの試作でした。
かなりいいところまできました。


2019年3月6日水曜日

第336回 本

昨日、本を持ってきました。

昨日、新居(もう一ヶ月くらい住んでいるので、あんまり新居と呼ぶような気分でもないですが)に本をたくさん持ってきました。
実家に帰ると、数百冊の本があります。
もう半分くらい売ったりあげたりしたのですが。
語学関連だけでも100冊はある。
その中から、どうしても持ってきたいない、と思う本だけ、20冊くらい持ってきました。
本があると落ち着きます。
帰り道、なんで本が好きなのだろう、と考えていました。

普段生活していると、僕は基本的に、「今、このとき」のことを考えています。

でも、本を読むと、それよりも大きなもののことを考えるようになる。

本にはその予感、がある。


第335回 ジャグラーはなぜお金をかけないのか

 エリックが、「マジシャンはお金をかける傾向にあるんだけど、ジャグラーはその逆で、全然お金をかけないんだよね。だからものを売るのは大変だと思うんだけど、頑張ってね」と言った。 なるほど、そうかあ、そういうこともあるのかぁ、と思った。 それはなんでだろうな。


2019年3月4日月曜日

第334回 身体とジャグリングと

身体を使ってジャグリングをしているんだな、となまなましく感じることって、実を言うとあまりないんじゃないか、と思った。
むしろジャグリングをしているときは、道具の方に意識がいっていて、あまり身体を意識していないような気がする。

これが、いかに道具を持っていても、意識の中心が身体にあるとき、それはダンスになったり、他のジャンルに区別されたりするのかもしれないな、と思った。

まぁ、名前はどう呼ばれようとなんでもいいのだが、そういう風に意識を使い分けられたら、素敵だな。

2019年3月3日日曜日

第333回 これからのジャグリング

clusterというアプリケーションを使って、会議をした。
「これからのジャグリング」というテーマで、西野さん、中西みみずくんと3人で話した。
はじめは、「そんな大上段に構えたところからスタートして、うまく話せるかなあ」と思っていたのだけど、しばらく話していると、未来の可能性について思いを馳せるのがおもしろくなってきた。
VRや3Dプリンターなどを使って可能になりそうなこと、(これらは「これからのジャグリング」と聞いてすぐに思いつくことだ)他にも、日本の人口が減っていること、高齢者人口が増えていることから鑑みるこれからのジャグリングの広まり方の仮説(VRジャグリングでインターネットを開始て世界中の人が競えるような仕組みができたら、年配者の参加も増えるんじゃないか、とか。Pokemon GOみたいに)など。

ソフトウェアのジャグルマスターによって新しいサイトスワップが開拓されていった、というようなことが、VRの浸透で起こるかもしれない、ということも。

今話すと少し冗談めいて聞こえるけど、これもやはり、20年前から今を見る視点で、今から20年後を見据えると、やっぱり、気づかないうちに大きく変わるんだろうな。
そして、僕らは、そういう風に変わったジャグリングに、すっかり順応してしまっているんだろうな。

2019年3月2日土曜日

第332回 フランス語でしたいこと

ふと、フランス語を、やるなら、やっぱり、てってーてきにやらないとねえ、と思った。

僕の英語がいかにまだまだか、ということを思い出して、英語でさえやることが山ほどあるんだから、もうひとつ新しい言語を、きちんと話せるようになろう、というのには、やはり普段よりも2つくらいギアをあげるようなことがないとなぁ、と思うのだ。

第331回 モーニング娘。なんか聞いた後に思うこと

鍋を何人かのジャグラーと、大学時代の友達とする。
その最中に、いろいろ懐かしい音楽を聞いたりしていた。

モーニング娘。を聞いてみたりもした。
特別好きだから聞いていた、というわけでもないのだが、その時代のことを思い出してなつかしくなる。

「なつかしい」ということは、好きだ、ということなのだろう。

なつかしい、というのは、「あの時代がよかった」という客観的なよさではなく、「自分にとって、もう戻ることが到底できないよい時」という形で思い出される時間のことだとおもう。

第330回 スティックのマニピュレーション

このあいだまさやんがスティックのマニピュレーションを練習していた。
お皿を回すのに、スティックを使う。
ディアボロでも、スティックを使う。

僕は、いつだったか習ったクラブの技を見せた。
面白いね、という話になって、しばらく、まさやんと僕とFujiくんとで練習した。

それをそのまま、たとえばディアボロを投げている間にその技をやる、というのではすこし味気ないような気もするが、何かがうまく噛み合ったら、お皿ならではの技、ディアボロでしかできない技、にもなるかもしれない、と思った。

他の分野の技を持ってくる、のは、シンプルで安易なようであるけれども、そこを手がかりに何か他の発展性がないか、考えてみるのは悪くないような気がした。

2019年2月27日水曜日

第329回 ジャグラーはジャグラーでない人よりもジャグラーではあるけれど

ふと、今まで最近ジャグリングにまったく触れたことのないような方と一緒に練習をしていて、ジャグラーってジャグリングのことをよく知っているようだけど、やっぱり、それぞれの人にそれぞれの進歩のための秘訣があるので、一概に「これが正解です」と教えられないんだな、と思った。

ある人は、「5ボールに慣れるために、まず片手で3つを練習してみている」という。
そうか、僕としては、なんだかそれは違うような気がしていたんだけど、考えてみれば、そういうこともあるかもしれない。
ボールが手を離れ、空中にある間の速さに目を慣らす練習にもなるし、力としては片手で3つの方がより不可がかかる感じがあるし、それはとてもいい練習方法かもしれない。

実は、「習いつつある人」というのが、一番有益な習得のためのコツを教えてくれるのかもしれないな、と思った。

2019年2月26日火曜日

第328回 またやってきた

やはり、毎日毎日ものを書いたり動画をあげたり、フランス語を喋ったりしていると、いやになってくることもある。
本当は早く寝たいのに、1時間以上もかけてフランス語をスピーチをしたりするときもある。
でも、それはまあ、何年かしたとき、「ああ、そういえばそういうことをしたな」と思い出せる、いい思い出にもなるだろう、と思う。
そして、やっぱり、「続けるだけ」というのは、さほど難しいことでもない。

問題は、「おおむね楽しんで続けているか」ということだろうな、と思う。

生きていて楽しいな、と感じていることがいいな。

第327回 ジャグリング練習会

今日は僕が時々行っているコワーキングスペース、TANEMAKIで、月一のジャグリング練習会。

以前はいろいろな道具を持っていっていましたが、最近はボールに絞っています。
わりと、真剣にテクニックを教えている。

今日はミルズメスを重点的に教えました。

参加者のお子さんもわいわい遊びに来て、なんだか賑やかでした。


2019年2月24日日曜日

第326回 エリック

スウェーデンから来ていたエリックと渋谷で会った。
エリックは、服装がかっこよくて、話も知的で、なんだかこちらも気が引き締まった。