2019年4月9日火曜日

第368回 「ジャグリングを教えること」について最近考えていること。


自分が通っているコワーキングスペースの方数名に、今ジャグリングを教えている。他にも、高校の同級生にも、縁あってジャグリングを教えている。初めから教えていると、特に最初にカスケードを覚えた時、すごく集中して練習して、またすごく喜んでくれる場合が多い。

この喜びを目にすると、ああ、ジャグリングを教えるのって楽しいな、と思う。
一方で、ここから先、さらにこういうワクワクを伝えるにはどういうことが必要かな、とおもう。

僕自身は、「旅をする」ということをキーワードに、ジャグリングを楽しんできたように思う。
もちろん最初の12年は、とにかく新しい技を覚えるのが楽しくて仕方がなく、それで夢中になってきたわけだが、そういう楽しみ、って上達を一番の目標とする人を除いて、だんだんと薄れていくものである。

そこへきて、さらにもう一歩進んで、なぜ今日も自分はジャグリングをするのか、何か理由があるといい。そうしたら、ただジャグリングを始め、初めの1年ぐらい楽しくやってだんだんフェードアウト、ではなく(もちろんそれでも一向に構わない)もう少し続けられるかもしれない。

僕はとにかく、今感じている、「人と出会い、つながりを作れるからこそのジャグリング」を意識して大事にしていきたい。なぜそれがジャグリングじゃなきゃいけないのか? と問われたら、それは「ジャグリングって、ちょうどいいから」なのだ、と答える。それはどういうことか。

「発見係数」(仮)という考え方を僕はしている。ジャグリングは、発見係数が高いのである。どこか外国に行くにしても、人と会うにしても、そこにジャグリングという要素があると、出会いがもたらす印象の大きさが、かなり大きくなるのである。

「ジャグリング」は、普遍性と、奇異性が程よい具合に入り混じっていると思うのだ。つまり、その場にあるものを使ってその場で見せられるし、言葉もいらないという性質(普遍性)がある上で、サッカーや野球とは違って、それほど一般的なものではない、という性質(奇異性)のバランスがちょうどよい。

だから僕としては「ジャグリングを持って旅にでよう」ということなのである。そうすると、たとえば見知らぬ人に興味を持ってもらうことがぐっと楽だし、外国語だって上達するかもしれないし、みんなが普通じゃ見られないような風景を見られたりする、という相乗効果があるのだ、ということなのである。

そんなことが僕にとってはジャグリングの「技の次の楽しみ」。それを、僕はなるべく丁寧にいろんな手段を使って今から何年もかけて伝えたい。もちろん「旅」は僕個人にとっての楽しみだからこれはあくまで一例であって、皆さんはまた自分なりの「ジャグリングと付き合うわけ」を探してね、であるが。

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