2018年3月3日土曜日

第3回 ジャグラーがジャグリングをしていないとき

 「ジャグラーはいつジャグラーなのか問題」というのがある。
 語呂がいいだけで、別に問題でもなんでもないんですが、これは考えてみると、可笑しい。

 たとえばアルバイト先で自己紹介をする時、話の流れで「ジャグリングをやっているんですよ」と言うとします。(「そういうことは断固言わない」という方もおられるのでしょうが、それはいいとして。僕は幸か不幸かだいたい言ってしまう)
 ここで、「でも僕が一切ジャグリングを目の前で見せなかったら、本当にジャグラーかどうかって、永遠にわからないんだよな」と思います。
 これがなんだか可笑しい。
 発揮されていない能力については、その能力が発揮されたときのことを想像力で埋めて納得するしかないんですね。
 ジャグリングをしていないあいだ、僕のジャグラーとしてのレッテルみたいなものはどこか奥底に眠っているわけです。それどころか、自分自身でも、己のそういう能力を忘れています。

 ジャグラーはその「物体を器用に操る能力」を発揮している間だけしかジャグラーでいられない。
 でも考えてみれば、マジシャンだって、マジックをしていない間はマジシャンかどうかなんてわからないし、引っ越し屋のおじさんだって、引っ越しの手伝いに従事していない間は、ただのそのへんの中年男性です。その人が「引っ越し屋」であるのは、引っ越しをしている最中です。

 こういうのは、しょせん、言葉遊びです。
 しかしクラシックで、あらゆるところに遍在する問いかけでもある。

 そしてこの問いには、どこからがジャグラーなのか、ということも入っています。
 どういう「ものの扱い方」をするのがジャグラーなんだろう。
 そして、ジャグラーが思う「ジャグラー」の姿と、ジャグリングをやらない人が思う「ジャグラー」の姿も、てんで違う。

 アルバイト先の人は、僕が普段どんなことをしているのか知るよすがもない。
 「ジャグリング」は一般的ではないのでなおさら。

 もしかすると、そのギャップのことを思って、それで可笑しいのかも。
 ひょっとしたら、とんでもない想像をされているかもしれない。

 実際には、体育館の目立たないスペースで道具を投げたり転がしたりして、時々音楽に合わせて踊ったりして、一人で喜んでるだけなんですが。

0 件のコメント:

コメントを投稿