2018年3月16日金曜日

第15回 ベルギー・フレッシュサーカスの旅 4日目 

 朝、フランスのカンパニーのプロダクションの方と待ち合わせをして、少し話をしてから出発。
 フレッシュサーカスはサーカスの制作、メディア関係の人たちが一堂に会する場所なので、よいビジネスの機会だ、ともとらえられているようです。
 まずは朝のセッション。 アーティストの具体的な自分史みたいなものを聞きました。日本からジャグラー、渡邉尚さんもスピーカーとして参加。カナダで勉強したアーティストや、アフリカ、エチオピアのサーカスの現状も。




 アフリカには、サーカスアーティストはたくさんいるのに、学校や、テントなどの必要な施設がない、ということでした。また、「アフリカのサーカス」というものにお客さんが求めるもの(平たくいうと、「エキゾチックさ」を求めている)と、アーティストがやりたいことの間にも差がある、というのもあるみたいです。アーティストはもっと先進的(と言っていいのかわからないけど)をやりたいよう。
 映像で見た限りでは「アフリカっぽさ」みたいなものがいいなあ、と思ったのですが、要するに演じる方はそれが嫌っていうことなんですよね。難しいものです。
 あとは、アーティストが、お金が稼げるようになった時点で現状に満足してしまいがちなのだ、ということも言っていました。
 ところで、登壇者にも参加者にも、渡邉さんが一人でスタイルを作り上げてきたことに対して驚きのコメントをする人が多かったです。彼が登壇したわけでもないセッションやフェスティバル関係者との会話でも、割合「ヒサシが…」みたいな話を聞きました。
 全然、ひいき目ではなくて、やはり渡邉さんは、どんな国に行っても固有の驚きを与える存在なんだ、というのが垣間見えました。 

 昼食を挟んで、次のセッションへ。

空き時間にグランプラスに行った。

 今度はサーカスアーツメディアをまとめるINCAMメンバーと一緒に、「サーカス」という言葉がもつイメージと、それを見にくる人たち、というテーマで話をしました。
 ユーロセントリック(欧州中心主義的)な感じが僕には何か引っかかっていたので、それをとりあえず提起してみました。 まず第一に、アジアにもサーカスはある、ということ、一方で「アジアでは『まだ』サーカスが普及していない」みたいな考え方はちょっと違うんじゃないか、ということ。
シンガポール/台湾で撮られた写真を前にして少しだけ話しました

 日本にもサーカスはあるの?
 と今回の滞在を通してよく聞かれたんですが、「サーカス」という言葉で「くくりうるもの」はあるけれど、「はい、あります」と答えるのも何か変な感じがします。もちろん、木下大サーカスとかあるのは知っていますし、見たこともあるし、それについて「サーカスと名のつく集団」はたくさんいるとは言えるんですが、このフレッシュ・サーカスで語られるサーカスという枠の中ではまた話が違ってくる。
 個々に見れば、ジャグラーやアクロバットや、要するに「サーカス」と呼べる分野で能力を発揮している人たちはいるのですが、それをヨーロッパ (というか、フランスや、ベルギー、ドイツなどの、「西欧」なんですよね、多分)で語られるような、商業性を持った「サーカス」の括りに入れてしまうと、なにか正しくない気がする。
 もちろんそういう事情もみんな分かってくれて、ユーロセントリック、ということがセッション全体の話題にものぼったので、面白かったです。どれほど影響があったかはわからないですが。
  その後は、少し時間があり、お酒を飲みながら次のショーまで待機。 こういう時間で、人と情報を交換しあったり、新しい人に会ったりしていました。ビジネスとして、こういう時間に重要な意味があるんだな、ということが伝わってきました。

お酒を片手にサーカスの話をする

この日見たのは 『Persona』『Mémoire(s)』の二本。

  『Persona』は、4人の女性が、それぞれの国の言葉で(イタリア語、スペイン語、英語など)で好き勝手に喋りながら、アクロバットや、チャイニーズポールなどサーカス芸を繰り広げる、シュールレアリスティックなもの。(今回見た演技の中でシュールレアリスティックな側面を持たない演技って、なかったですが)


『Mémoire(s)』は、複数人が、「記憶」をテーマに、様々なシーン設定をして、はちゃめちゃな劇のようなことをする。
最後に、みんなが下着姿で高いところに登り、白い粉をお互いに官能的に塗りあって、アクロバットをするんですが、それが面白かった。



終わると時間は11時。 すぐ寝ました。



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