2018年3月24日土曜日

第24回 毎日ジャグリングについて書くことは

 毎日ジャグリングについて面白く書くというのは、あまり易しいことではありません。
 ジャグリング雑誌の編集長をしているくらいなので、多少はジャグリングについて世間一般の人よりジャグリングについて深く考えている自信はあります。
 しかしそれとこれとは話が全く違います。
 ジャグリングに関して、コペルニクス的転回を与える気づきだとか、海外で起きた面白い話だとか、奇想天外なインタビューだとか、とにかく読者が何らかの喜びを感じるような話題を毎日提供しなければならないとしたら、それは生半可なことではありません。

 僕もそれなりに頑張っていますが、どうもそういうのを「ひねりだして」書こうと思っても、筆が前に進まないんですね。「面白いことをしよう」というプレッシャーを過度に自分に与え過ぎてしまうと、ものが書けなくなります。

 それよりは、そういう思い込みから「まぁまぁ」と自分を解放してあげて、自然と、書きたいと思えるお話を書くほうが、書くほうにとっても読む方にとっても、無理のない、楽しみがいのあることなんじゃないか、と思います。(もしくは、「そんな風にして書かれたもの読むのは時間の無駄だ」とおっしゃる方もいるかもしれませんね。ごもっともです。読まれなくても仕方ない。)

 しかし人が読んでも面白い上に、自分が書きたいこと、というのはそんなに簡単に、毎日、日の出みたいにきっちり出て来てくれません。多くの場合、そういうことは、とてもランダムなタイミングで、形があやふやな状態で、頭に浮かびます。そのスパンは、3週間にいっぺんだったり、1日に3回だったりします。
 しかもそれは往往にして、お風呂に入ってゆっくりしているときだったり、駅まで歩いているときだったりします。もしくは心底楽しんでいる時とか。だからパッとその場で書けるような状況にない時が多い。自然、その思念は具体化されるタイミングを失って、忘れ去られることが大半となります。

 そういう意味で、毎日何かしら書くということがとても大切だと思っています。
 ジャグリングの練習でも毎日触れる、ということを、今は大事にしている。
 少なくとも毎日やる、と決めていれば、「思念が具体化されるタイミング」は一日一回は絶対あることになります。毎日何かしら道具に触れる、と決めていれば、道具に関する発見の機会は、少なくとも一日一回はある、ということになります。

 日々面白いことをするとか、書くとか、そういう志で限界にチャレンジする方がもっと立派だし、クリエイティブなのかもしれないし、そういうストイックな考え方もあっていいのかもしれません。
 でも少なくとも僕にはちょっとそういうことはできそうにありません。時間も限られているし。それよりは今、「飽きてもいいから、やめないで続ける」ということ自体にやりがいを見出そうとしています。
 誰かがいい反応をしてくれること、とか、自分が充足を感じること、というのは、二の次、三の次にしておく。そういうのばっかり気にしていると、途中で疲れちゃったり、「なんだか、やるせないや」というような気分になってしまうからです。

 それに、「1000日何かを続けた」人を追いかけるには、その人が「その日から1000日やる」ことでしか追いつけないよな、とも思うからです。


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