「ガレージで知り合いのために演奏していた時に意味があると思っていたことは、不特定多数の聴衆に向けて演奏し始めた時、全く意味を持たなかった。そこで『良い』されることは全く違った。そこでは美学が違うのだ。」
BBC Radio4を聞いていたら、ミュージシャンが言っていました。
このミュージシャンが誰なのかはわからず仕舞いだった。
先日桜が咲く公園でジャグリングをしました。すると、わいわいと好き勝手遊んでいた保育園の子供たちが集まって来ました。その子たちのためにディアボロを回してあげた。
オーディエンス、ということについて考える。
メッセージを間違った受け手に届けており、反応がなくて落ち込む。自分が本来の受け手ではないメッセージを受け取ってしまって、落ち込む。自分の言葉に、思ってもみなかった受け手から反応があって、嬉しい。全く予想もしなかった方向から賢明な言葉が来て、インスピレーションを得る。
何かをする時は、自分が何かをすると影響を受ける人がいる、という時にやる気が起きるものです。
誰に見向きもされなくたって、自分のやりたいことをやれていればそれでいいんだ、と思える時もあるような気がします。でもそれは、「祝福してくれる受け手が最終的に多かれ少なかれ、いる」ということに自信が持てるからなんじゃないかと思います。
何か自分のやっていることにしっくり来ない時というのは、もしかして、うまく届け先を想定できていない時なのかも。
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