2018年3月18日日曜日

第18回 ベルギー・フレッシュサーカスの旅 7日目 フレッシュサーカスについておもうこと

 起きて窓の外を見ると、遠く広がる平原に、雪がうっすらと積もっていました。柵の向こう側では、小豆色の服を着たポニーが2頭、だらしなく佇んでいます。雪が降って落ち込んでるみたいでした。昨日の夜ビールを飲みながら、確かにブラムは「明日は寒くなるみたいだよ」と優しい声で言っていましたが、ここまで寒くなるとは思わなかった。雪だねぇ、とか言いながらブラムの部屋に行くと、一足先に起きた彼は、タトゥーのデザインを濃いペンで紙に描いていました。



 シャワーを浴び、親切で上品なお母さんに挨拶をして、パンとコーヒーをいただきました。手作りのお菓子もありました。二人はオランダ語で話しています。次の目的地で僕を待ってくれているアシュテル君に連絡を取り、鉄道のチケットをギリギリで印刷して、スーツケースを持って外に出ました。ブラムの真っ赤な車にも雪が積もっていました。
 無人のロンデルゼール駅まで車で送ってもらい、ブラムとはお別れ。また、今年のEJCで。凍えそうな寒さの中、文庫本を読みながら、電車を数分、待ちました。
 ブリュッセルの町を歩いている時にも思ったんですが、こういう時、一人で旅をするのは寂しいもんだよな、と感じます。SNSで人と繋がることについても考える。なにかを「シェア」することは救いなんだと思います。嬉しいこともシェアしたいし、寒いね、とかもシェアしたいものです。「幸せは2倍、苦痛は半分」みたいなことですね。それでも、僕はひとりで内省的になったりするのも嫌いではないので、なるべくひとりの時間はひとりでいるようにしています。そしてこういう時間に得た気づきは大切にしたほうがいい、と思っています。特に旅先では、日本で普通に暮らしていると気がつかないようなことに出会ったり、思い至らないようなことに思い至ったり、大事だと思っていなかったことを大事に思うようになったりするので、そういうのは、ひとり旅の醍醐味でもあります。

 電車の中ではポストカードを書きました。ブラムが持たせてくれた手作りパウンドケーキを頬張ります。車窓からは寒そうな景色がずっと見えています。ロンデルゼールから目的地のゲント・ダムポートまでは、途中の中心駅で乗り換えて、一時間ぐらいでした。

 駅から歩いてアシュテルの家を目指します。ゲントは静かな町で、観光の季節ではないからでしょうが、人の数も少なかったです。家までは地図を見ながらなんとか周辺までたどり着き、スーツケースを引いてウロウロ(ガラガラ)していたら、アシュテルが後ろから声をかけてきました。さっき起きたところで、窓の外を眺めていたら、僕が歩いていたんだそうです。アシュテルはニュージーランドで2年前に旅行をした時に出会ったジャグラーです。そんなにちゃんと話した記憶もないんですが、僕がベルギーに行くことをフェイスブックで知って、ゲントにいるからおいでよ、と言ってくれたのです。



 コーヒーとポテトチップスを食べてから家を出ました。町は教会やお城など、歴史的な建物であふれていました。17,18世紀に建てられたものが多いんだよ、とアシュテルは言っていました。日本だったら江戸時代前半ですね。本屋に行ったり、古着屋に行ったり、トマトのスープを食べたり、アシュテルの友達の女の子が働いているチョコレート屋さんに行ってコーヒーとチョコをもらったり、「ゲントで一番美味しいフライドポテト屋さん」に行ったりして、家に帰って、音楽を聴きながらゆっくりして、空港まで車で送ってもらいました。彼女が今日コロンビアから帰ってくるというので、ちょうど迎えにくるところだったそうです。妙な偶然もあるものです。その彼女が到着する時間ぐらいに、ちょうど僕も空港に着きたいと思っていたのでした。

  空港について、送るものを送ったりお土産を買ったり、昨日の投稿を書いたりしていたら、あっという間に搭乗の時間になりました。そんなわけで今はインド上空です。

 これでフレッシュサーカスは完全に終わりました。終わってすぐの実直な感想を少し書いてみます。
 
 驚いたのは、会の規模です。ベルギーの、特にフランス語圏であるワロン地方や、フランスを中心として、ヨーロッパ中からディレクターやサーカス施設の人、アーティストたちが山のように集まりました。3日間を通して同じ建物の中で行動するので、自然と交流が生まれ、その中から新しいビジネスも生まれていきます。
    会場は、テアトル・ナシオナル、つまり、国立劇場でした。会議に使えるスペースがいくつもあります。何百人規模で収容できるシアターもいくつか入っています。本格的なカフェテリア、バーもありました。

    ブリュッセルは、「ヨーロッパにおけるサーカス」の中で重要な位置を占める都市の一つには違いない、と思いました。
 デフラクトというカンパニーのエリック・ロンジュケルに聞いてみると、「ブリュッセルはサーカスアーティストにとって最高の町だよ」と言っていました。理由を聞いてみると、まず、サーカス施設のエスパス・カタストロフは、練習やリハーサルをするスペースを安く、簡単に提供してくれる。そして、サーカス学校、esacもある。さらに、劇場が町に点在しており、中にはたとえばカルチャーセンター・ジャック・フランクのように、サーカスを頻繁に上演する劇場もある。なのでアーティストがよく集まってくる。また地の利もあって、パリやベルリン、アムステルダム、北欧諸都市など主要な街にアクセスしやすく、空港も町から15分ほどと近い。とことん便利なのだそうです。物価も家賃も、比較的安い。街で見かける人種も様々です。南米から来たアーティストは、「私が受け入れられて、サーカスアーティスト代表として登壇しているということが、何よりブリュッセルの多様性への寛容を示していると思う」と言っていました。
 
    フレッシュサーカス自体は、パネルディスカッション、スピーチの連続で、それほど心躍る話題が次々に飛び出すわけではなかったです。僕にとっては、他の国でサーカスの雑誌を作る人に会えたこと、今まで会ったことのない人に会えたこと、そして、ヨーロッパの「サーカス」という概念を取り巻く状況の一端が知れたことが、いちばんの収穫でした。
    エスパス・カタストロフのカトリン・マジスさんなんかは、特に、会えて良かったな、と思います。いつでも僕の顔を見るたびハスキーな声で「サヴァビアン?(どう、いい感じ?)」と肩に手を置いて聞いてくれて、とても感じが良かったです。毎回ショーの前にひょこひょこと現れて口上を述べたり、登壇しても、ひとりでふざけて楽しげに話していて可愛らしい人でした。あまりに話すので、最終日にはもう声が枯れていました。

真ん中がカトリンさん


   フレッシュサーカスと同時開催だったフェスティバル・アップ!は、日々違うショーが見られる、ブリュッセルでもおそらくいちばん大きいサーカスフェスティバルでした。
    ラインナップは、サーカス学校の卒業生ら、キャリアの浅い人たちをなるべく入れて、チャンスを与えていたようです。中には、もう少し内容を検討したほうがいいんじゃないか、これほどの装置を使っていながら、いまひとつフルに活かせていないのではないか、と思える作品もあって、決して傑作だらけというわけではなかったです。しかし、何はともあれ金銭面、施設面で、サポートは日本よりずっと充実しているのだ、ということが分かりました。大規模な機器を使ったサーカスにチャレンジしたい人にとっては、とてもいい環境だと思います。学校(esac)見学にも行ったのですが、出来上がったのが5ヶ月前だ、という新校舎で、清潔で静かで、集中して創作をするには願ってもない環境だろうと思いました。とても、ワクワクする空間でした。なにより僕自身、こんなところに身を置いて、毎日練習ができたらとても幸せだろうな、と羨ましくなりました。

    日本ではこれほど充実した環境はちょっとないです。もちろん環境が整っていれば優れた作品ができる、という保証はないですし、金銭、施設に余裕がないハングリーな状況だからこそひねり出せる工夫、考えかた、がむしろ大事になってくるかも知れない、という気はしました。ですが、とにかく、ヨーロッパの学校というのはどういうことをしているのか、一度は見に来る価値のあるものだと思います。比較にならないくらい、恵まれているんだな、というのが分かります。

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