2018年3月31日土曜日

第31回 アメデオに会う

    昨日は、イタリアから来たジャグラーの友達、アメデオと、その奥さんジュリアに会いました。
 東京にある彼らのホテルまで迎えにいき、そのまま横浜に来て半日を過ごしました。

横浜・大桟橋。

横浜・桜木町にて。気候も景色もペルフェット(完璧)でした。

 イタリアでお世話になった彼らに横浜を見せることができ、おまけに桜も満開だったので、実に幸福な時間でした。
 
昨年の夏、家にお邪魔した時。


2018年3月30日金曜日

第30回 ジャグリングで、「あったらいいな」の言葉リスト。

Language wishlist thread (for fun)
オブジェクトエピソード最新スレッドです。

ジャグリングで、「あったらいいな」の言葉リスト。
まず初めに、スウェーデンのジャグラー、アメロンさんが「ドロップしやすさ」という意味で、Dropabilityってどう、とのこと。
なるほどね。

If You Are a Jugglerも読み終わり、(実にいい本でした)ブレイキンの歴史をちょっとかじったりしていたら、一つの「形式」に一度傾倒してみるのもいいかもしれないな、とか思いました。

今までちょっとジャグリングを一つのカルチャーとかコミュニティとしてみるのに疲れてしまっていた節があったのですが、(なのでより個人的な方向に寄って来ていた、というのもある)ちょっとまた、ジャグリングをジャグリングという広いものとして受け止めようかな、という気になっている。

2018年3月29日木曜日

第29回 「『河合塾の広告をケニアのおじいさんに渡してもしょうがない』みたいな」

 「ガレージで知り合いのために演奏していた時に意味があると思っていたことは、不特定多数の聴衆に向けて演奏し始めた時、全く意味を持たなかった。そこで『良い』されることは全く違った。そこでは美学が違うのだ。」

  BBC Radio4を聞いていたら、ミュージシャンが言っていました。
 このミュージシャンが誰なのかはわからず仕舞いだった。

 先日桜が咲く公園でジャグリングをしました。すると、わいわいと好き勝手遊んでいた保育園の子供たちが集まって来ました。その子たちのためにディアボロを回してあげた。

 オーディエンス、ということについて考える。
 メッセージを間違った受け手に届けており、反応がなくて落ち込む。自分が本来の受け手ではないメッセージを受け取ってしまって、落ち込む。自分の言葉に、思ってもみなかった受け手から反応があって、嬉しい。全く予想もしなかった方向から賢明な言葉が来て、インスピレーションを得る。

 何かをする時は、自分が何かをすると影響を受ける人がいる、という時にやる気が起きるものです。
 誰に見向きもされなくたって、自分のやりたいことをやれていればそれでいいんだ、と思える時もあるような気がします。でもそれは、「祝福してくれる受け手が最終的に多かれ少なかれ、いる」ということに自信が持てるからなんじゃないかと思います。

 何か自分のやっていることにしっくり来ない時というのは、もしかして、うまく届け先を想定できていない時なのかも。

2018年3月28日水曜日

第28回 怒涛のエンリコ・ラステッリ


 まだ  "If You Are a Juggler"(筆者訳:『ジャグラーというものは…』)を読んでいます。伝説のイタリア人ジャグラー、エンリコ・ラステッリに関するこんな記述を見つけました。(かいつまんで要約)

 「エンリコの結婚式のレセプションパーティがカルコフサーカスの中で行われた。来客が『ゴルコ!』(ロシア語で、新郎新婦にキスをさせるため、囃し立てる時の言葉)と叫び、新婦が振り返ると、そこにラステッリはおらず、誰もいないサーカスリングで一人新しい技を練習していた。」

 前段に、"...Dedicated himself entirely to his art..."(彼は自分のアートに全てを捧げた人で…) と書いてはありましたけど、まさか結婚式でもジャグリングをしちゃうような
人だとは思いませんでした。でも、Dedicate oneselfとは要するに、こういう逸話がある、ということなんでしょうね。

エンリコ・ラステッリの貴重な映像。



2018年3月27日火曜日

第27回 外国から来た本を読んでいます


 先日PMJugglingの板津さんより、この本を預かりました。
 "If You Are a Juggler..."というタイトル。出版は2018年、つい最近です。著者は、20世紀を生きたロシアの伝説的サーカスジャグラー、アレクサンダー・キス。「ロシア(ソ連)におけるジャグリングの父」と言われています。原作のロシア語版は1971年にソヴィエト連邦で発行されましたが、それが昨年、オランダのジャグラー、ニルス・ダンカーによって実に40年近くたった今、初めて英訳されたものです。
 今度PONTEの方にレビューを書く、というので、読んでいます。
 前半を読み終わりましたが、エンリコ・ラステッリを初め、その他名を馳せたジャグラーたちの歴史が、個人的な回想とともに綴られていて、面白いです。
 「今のジャグリング」を相対的に捉えるには、もっとこういう本を集めて読まねば、という気になっています。

2018年3月26日月曜日

第26回 動くのはわからない

 少し久しぶりに体育館でしっかりジャグリングの練習をしました。

 最近はジャグリング以外にも、「身体」そのものに関心があります。
 逆立ちしてみたり、ブレイクダンスのパワームーブを練習してみたり、しています。
 とにかく五体を存分に使うように心がけています。

 身体を動かすというのは、純粋に身体にいい影響を与えるものだな、と思います。

 それまで鬱屈としていた気分も、陽が差し込む体育館で動いているうちにポジティブなものに変わっていくのがありありと感じられます。
 こうやって書くと非常に月並みなことを言っているようですが、実際に体験すると、はっきりと自分の中で何かが変わるのを、感じるんですね、これが。

 さて、身体を動かす、ということで大事なのは、「実際に動くまで、それがどういう影響を自分に与えるのか見当がつかない」ということです。
 たとえば事務所で仕事をしていて、ああ、疲れたな、と思った時。
 「身体なんか動かしたってしょうがない、それより今はこの仕事を終わらせなきゃ」とか、思ってしまいがちです。
 でも天気のいい外に5分でもいいから出て散歩をすると、一体今までの焦った気持ちはなんだったんだろう、というくらい気分が変わりますね。
 それは、実際に外に出てみるまで、予想もつかなかったことです。

 ところで春のにおい、ってありませんか?
 そしてそのにおいって、ある日突然、「あ、これは春のにおいだ」と、わかって、春がきたな、と思います。
 いいものだ。

2018年3月25日日曜日

第25回 Future Circus Labとか続けることとか


 昨年台湾で11月に行われたFuture Circus Labというイベントの写真です。
 このフェスティバルの主催者の一人であるヨウヨウ (なんだかんだこの人とは付き合いが長い)も先日、ブリュッセルにいました。なので移動中など、色々と話しました。
 やはりこの規模のフェスティバルを開催するのは、難しくなってきているみたいです。多くは、お金の面で。だから、これからどうしたらいいか、まだ考えている、と言うことでした。別にフェスティバルではなくても、他にもやり方はありそうだよね、ということ。
 
 改めて、続ける、って大事だよなあ、と思う。
 今僕もちょうど、何か場を作りたいと考えている最中です。
 昨日は、PM jugglingの板津さんと、ピザ回しすと、そいそいと一緒に集まって、検討会を開きました。まだまだ色々と文字通り検討中ですが、とにかく、川沿いの桜をほっこり楽しむくらいの気分で、気負わずジャグリングとずっと関わり続けられる、面白いことができたらいいな、と思っています。多摩川沿いの桜は、綺麗でした。



http://jugglingponte.com/?p=2399

2018年3月24日土曜日

第24回 毎日ジャグリングについて書くことは

 毎日ジャグリングについて面白く書くというのは、あまり易しいことではありません。
 ジャグリング雑誌の編集長をしているくらいなので、多少はジャグリングについて世間一般の人よりジャグリングについて深く考えている自信はあります。
 しかしそれとこれとは話が全く違います。
 ジャグリングに関して、コペルニクス的転回を与える気づきだとか、海外で起きた面白い話だとか、奇想天外なインタビューだとか、とにかく読者が何らかの喜びを感じるような話題を毎日提供しなければならないとしたら、それは生半可なことではありません。

 僕もそれなりに頑張っていますが、どうもそういうのを「ひねりだして」書こうと思っても、筆が前に進まないんですね。「面白いことをしよう」というプレッシャーを過度に自分に与え過ぎてしまうと、ものが書けなくなります。

 それよりは、そういう思い込みから「まぁまぁ」と自分を解放してあげて、自然と、書きたいと思えるお話を書くほうが、書くほうにとっても読む方にとっても、無理のない、楽しみがいのあることなんじゃないか、と思います。(もしくは、「そんな風にして書かれたもの読むのは時間の無駄だ」とおっしゃる方もいるかもしれませんね。ごもっともです。読まれなくても仕方ない。)

 しかし人が読んでも面白い上に、自分が書きたいこと、というのはそんなに簡単に、毎日、日の出みたいにきっちり出て来てくれません。多くの場合、そういうことは、とてもランダムなタイミングで、形があやふやな状態で、頭に浮かびます。そのスパンは、3週間にいっぺんだったり、1日に3回だったりします。
 しかもそれは往往にして、お風呂に入ってゆっくりしているときだったり、駅まで歩いているときだったりします。もしくは心底楽しんでいる時とか。だからパッとその場で書けるような状況にない時が多い。自然、その思念は具体化されるタイミングを失って、忘れ去られることが大半となります。

 そういう意味で、毎日何かしら書くということがとても大切だと思っています。
 ジャグリングの練習でも毎日触れる、ということを、今は大事にしている。
 少なくとも毎日やる、と決めていれば、「思念が具体化されるタイミング」は一日一回は絶対あることになります。毎日何かしら道具に触れる、と決めていれば、道具に関する発見の機会は、少なくとも一日一回はある、ということになります。

 日々面白いことをするとか、書くとか、そういう志で限界にチャレンジする方がもっと立派だし、クリエイティブなのかもしれないし、そういうストイックな考え方もあっていいのかもしれません。
 でも少なくとも僕にはちょっとそういうことはできそうにありません。時間も限られているし。それよりは今、「飽きてもいいから、やめないで続ける」ということ自体にやりがいを見出そうとしています。
 誰かがいい反応をしてくれること、とか、自分が充足を感じること、というのは、二の次、三の次にしておく。そういうのばっかり気にしていると、途中で疲れちゃったり、「なんだか、やるせないや」というような気分になってしまうからです。

 それに、「1000日何かを続けた」人を追いかけるには、その人が「その日から1000日やる」ことでしか追いつけないよな、とも思うからです。


2018年3月23日金曜日

第23回 ひさしさん

 渡邉尚(ひさし)さんは、今ヨーロッパで活躍しているジャグラーです。



 http://atamatokuchi.com/
 
 彼とは2015年から交流があります。
 出会ったきっかけは、彼の東京公演の手伝いをしたこと。
 以来妙に縁があって、旅先でもよく一緒になります。
 僕が京都に行ったり、反対にひさしさんが横浜に来たり、シンガポールでも、台湾でも、会っています。ミャンマーを共に旅行したり、沖縄の家に居候して一緒に海に入ったり、つい先週は、ベルギーでも同じホテルに泊まっていました。
 振り返ると、その邂逅の多さには驚きます。ほんとうに。

 そんなひさしさんと、数日前にスカイプで電話をしました。
 彼とはいつもジャグリングの話をします。(お互い笑いの感覚が合うので、くだらない話をしている時も多いけど)「ジャグリングを一生続けたい」とか、「視野をあたう限り広く保つこと」など、結構ディープというか、ジャグリングが、生きること全体まで敷衍した感じの話題に及びます。

 話すたび、ひさしさんはアーティストとして、常日頃考えを深めているんだな、と感心してしまいます。
 もともと自分自身で身体をいろいろ研究したり、(このへんは非常に面白いエピソードがてんこ盛りです)駅前でブレイクダンスをやっている時期があったり、芸大ではテキスタイルをやったり、コンテンポラリーダンスみたいな世界にも入って、最終的には、今ジャグリング、サーカスの世界で注目を浴びている。
 僕なんかよりずっと、芸術の世界を奥深くまで見て来た人なので、僕がいかにまだまだものを知らないか、ということにいつも気付かされます。

 数日前にスカイプで連絡をとって、ヨーロッパに計2年半ほど滞在したあいだに見聞きしてきたこと、得た感覚を話してくれました。
 それらの話がとても面白かったので、今度まとめてどこかで発表しようかと思っています。
 
ベルギー、フレッシュサーカスにて。左から頭と口の制作ぎぼさん、ひさしさん、筆者。

2018年3月22日木曜日

第22回 まだベルギーのこと、メキシコの人たち

 テーブルで渡邉尚さんと話していたら、急に数人のグループがこちらにきて、「あなたたちはどこからきたの?」と聞かれました。訳が分からず、とりあえず、日本人、と答えると、手を引いてバーの方へ連れていかれ、タダでビールを飲めることになりました。
 どうやら、借り物競走みたいなゲームをやっていたみたいです。
ビールを受け取ってから、写真を撮れる機械を見つけて、一緒に写真を撮ることになりました。

 どうも彼らはダンスに関係のあるところから来た、というようなことを言っていました。(いろいろまくしたてられたので、記憶があやふやなので違ったかもしれない)
 そういえば他にも、フレッシュサーカスには、演劇の人たちも来ていました。パーティで話しかけられた。そのフランスから来たという女性は、村上春樹が好きだ、というので村上春樹の話をしました。いろんな業界の人たちが来ていた。

2018年3月21日水曜日

第21回 閑話休題・ベルギーのフリット



   ベルギーの名物、フリットです。先週食べてきました。ただのポテトフライです。ソースがいろいろあって、選べます。僕はこの「スペシャール」が好き。マヨネーズ、ケチャップ、玉ねぎがかかっています。本当は、玉ねぎがただ刻んだだけの、なまの方が好きなんですが、煎ってあったのも悪くなかった。
    昨年の夏に、ジャグラーの友達、ドイツ人のティム君の家に行った時、「これはドイツにはないんだ」といって、わざわざオランダのマーストリヒトに行って食べさせてくれたのを思いだします。

2018年3月20日火曜日

第20回 INCAMの仲間たち


 ブリュッセルで初めて出会った、INCAMの人たちです。
 「サーカスの雑誌なんかを作っているちょっとおかしい人々」と自分たちを呼びます。
 光栄です。

第19回 ベルギーで考えたことエクストラ ルネ・マグリットの素描が好き


 僕はこの、ルネ・マグリットのクロッキー画が好きです。昨日までいたブリュッセルで、これだけを見たいがゆえに、美術館に入りました。一体何がそんなに好きなのだろう、と思います。でもとにかくこの絵を見ると、マグリットさんって面白そうな人だよな、と思います。なんとなく、前世紀を生きたマグリットさんと会話をしたような気分になります。

 今回ベルギーでいくつかのサーカス作品を見ましたが、いいなと思った作品は「そのアーティストが言いたいことがわかったもの」でした。その上で「言いたいこと」について、「なるほどね」とにっこり頷いてしまうようなものでした。
 メッセージ性って、そういうことかな、と思います。

2018年3月18日日曜日

第18回 ベルギー・フレッシュサーカスの旅 7日目 フレッシュサーカスについておもうこと

 起きて窓の外を見ると、遠く広がる平原に、雪がうっすらと積もっていました。柵の向こう側では、小豆色の服を着たポニーが2頭、だらしなく佇んでいます。雪が降って落ち込んでるみたいでした。昨日の夜ビールを飲みながら、確かにブラムは「明日は寒くなるみたいだよ」と優しい声で言っていましたが、ここまで寒くなるとは思わなかった。雪だねぇ、とか言いながらブラムの部屋に行くと、一足先に起きた彼は、タトゥーのデザインを濃いペンで紙に描いていました。



 シャワーを浴び、親切で上品なお母さんに挨拶をして、パンとコーヒーをいただきました。手作りのお菓子もありました。二人はオランダ語で話しています。次の目的地で僕を待ってくれているアシュテル君に連絡を取り、鉄道のチケットをギリギリで印刷して、スーツケースを持って外に出ました。ブラムの真っ赤な車にも雪が積もっていました。
 無人のロンデルゼール駅まで車で送ってもらい、ブラムとはお別れ。また、今年のEJCで。凍えそうな寒さの中、文庫本を読みながら、電車を数分、待ちました。
 ブリュッセルの町を歩いている時にも思ったんですが、こういう時、一人で旅をするのは寂しいもんだよな、と感じます。SNSで人と繋がることについても考える。なにかを「シェア」することは救いなんだと思います。嬉しいこともシェアしたいし、寒いね、とかもシェアしたいものです。「幸せは2倍、苦痛は半分」みたいなことですね。それでも、僕はひとりで内省的になったりするのも嫌いではないので、なるべくひとりの時間はひとりでいるようにしています。そしてこういう時間に得た気づきは大切にしたほうがいい、と思っています。特に旅先では、日本で普通に暮らしていると気がつかないようなことに出会ったり、思い至らないようなことに思い至ったり、大事だと思っていなかったことを大事に思うようになったりするので、そういうのは、ひとり旅の醍醐味でもあります。

 電車の中ではポストカードを書きました。ブラムが持たせてくれた手作りパウンドケーキを頬張ります。車窓からは寒そうな景色がずっと見えています。ロンデルゼールから目的地のゲント・ダムポートまでは、途中の中心駅で乗り換えて、一時間ぐらいでした。

 駅から歩いてアシュテルの家を目指します。ゲントは静かな町で、観光の季節ではないからでしょうが、人の数も少なかったです。家までは地図を見ながらなんとか周辺までたどり着き、スーツケースを引いてウロウロ(ガラガラ)していたら、アシュテルが後ろから声をかけてきました。さっき起きたところで、窓の外を眺めていたら、僕が歩いていたんだそうです。アシュテルはニュージーランドで2年前に旅行をした時に出会ったジャグラーです。そんなにちゃんと話した記憶もないんですが、僕がベルギーに行くことをフェイスブックで知って、ゲントにいるからおいでよ、と言ってくれたのです。



 コーヒーとポテトチップスを食べてから家を出ました。町は教会やお城など、歴史的な建物であふれていました。17,18世紀に建てられたものが多いんだよ、とアシュテルは言っていました。日本だったら江戸時代前半ですね。本屋に行ったり、古着屋に行ったり、トマトのスープを食べたり、アシュテルの友達の女の子が働いているチョコレート屋さんに行ってコーヒーとチョコをもらったり、「ゲントで一番美味しいフライドポテト屋さん」に行ったりして、家に帰って、音楽を聴きながらゆっくりして、空港まで車で送ってもらいました。彼女が今日コロンビアから帰ってくるというので、ちょうど迎えにくるところだったそうです。妙な偶然もあるものです。その彼女が到着する時間ぐらいに、ちょうど僕も空港に着きたいと思っていたのでした。

  空港について、送るものを送ったりお土産を買ったり、昨日の投稿を書いたりしていたら、あっという間に搭乗の時間になりました。そんなわけで今はインド上空です。

 これでフレッシュサーカスは完全に終わりました。終わってすぐの実直な感想を少し書いてみます。
 
 驚いたのは、会の規模です。ベルギーの、特にフランス語圏であるワロン地方や、フランスを中心として、ヨーロッパ中からディレクターやサーカス施設の人、アーティストたちが山のように集まりました。3日間を通して同じ建物の中で行動するので、自然と交流が生まれ、その中から新しいビジネスも生まれていきます。
    会場は、テアトル・ナシオナル、つまり、国立劇場でした。会議に使えるスペースがいくつもあります。何百人規模で収容できるシアターもいくつか入っています。本格的なカフェテリア、バーもありました。

    ブリュッセルは、「ヨーロッパにおけるサーカス」の中で重要な位置を占める都市の一つには違いない、と思いました。
 デフラクトというカンパニーのエリック・ロンジュケルに聞いてみると、「ブリュッセルはサーカスアーティストにとって最高の町だよ」と言っていました。理由を聞いてみると、まず、サーカス施設のエスパス・カタストロフは、練習やリハーサルをするスペースを安く、簡単に提供してくれる。そして、サーカス学校、esacもある。さらに、劇場が町に点在しており、中にはたとえばカルチャーセンター・ジャック・フランクのように、サーカスを頻繁に上演する劇場もある。なのでアーティストがよく集まってくる。また地の利もあって、パリやベルリン、アムステルダム、北欧諸都市など主要な街にアクセスしやすく、空港も町から15分ほどと近い。とことん便利なのだそうです。物価も家賃も、比較的安い。街で見かける人種も様々です。南米から来たアーティストは、「私が受け入れられて、サーカスアーティスト代表として登壇しているということが、何よりブリュッセルの多様性への寛容を示していると思う」と言っていました。
 
    フレッシュサーカス自体は、パネルディスカッション、スピーチの連続で、それほど心躍る話題が次々に飛び出すわけではなかったです。僕にとっては、他の国でサーカスの雑誌を作る人に会えたこと、今まで会ったことのない人に会えたこと、そして、ヨーロッパの「サーカス」という概念を取り巻く状況の一端が知れたことが、いちばんの収穫でした。
    エスパス・カタストロフのカトリン・マジスさんなんかは、特に、会えて良かったな、と思います。いつでも僕の顔を見るたびハスキーな声で「サヴァビアン?(どう、いい感じ?)」と肩に手を置いて聞いてくれて、とても感じが良かったです。毎回ショーの前にひょこひょこと現れて口上を述べたり、登壇しても、ひとりでふざけて楽しげに話していて可愛らしい人でした。あまりに話すので、最終日にはもう声が枯れていました。

真ん中がカトリンさん


   フレッシュサーカスと同時開催だったフェスティバル・アップ!は、日々違うショーが見られる、ブリュッセルでもおそらくいちばん大きいサーカスフェスティバルでした。
    ラインナップは、サーカス学校の卒業生ら、キャリアの浅い人たちをなるべく入れて、チャンスを与えていたようです。中には、もう少し内容を検討したほうがいいんじゃないか、これほどの装置を使っていながら、いまひとつフルに活かせていないのではないか、と思える作品もあって、決して傑作だらけというわけではなかったです。しかし、何はともあれ金銭面、施設面で、サポートは日本よりずっと充実しているのだ、ということが分かりました。大規模な機器を使ったサーカスにチャレンジしたい人にとっては、とてもいい環境だと思います。学校(esac)見学にも行ったのですが、出来上がったのが5ヶ月前だ、という新校舎で、清潔で静かで、集中して創作をするには願ってもない環境だろうと思いました。とても、ワクワクする空間でした。なにより僕自身、こんなところに身を置いて、毎日練習ができたらとても幸せだろうな、と羨ましくなりました。

    日本ではこれほど充実した環境はちょっとないです。もちろん環境が整っていれば優れた作品ができる、という保証はないですし、金銭、施設に余裕がないハングリーな状況だからこそひねり出せる工夫、考えかた、がむしろ大事になってくるかも知れない、という気はしました。ですが、とにかく、ヨーロッパの学校というのはどういうことをしているのか、一度は見に来る価値のあるものだと思います。比較にならないくらい、恵まれているんだな、というのが分かります。

第17回 ベルギー・フレッシュサーカスの旅 6日目 おわかれのあと

 ホテルを離れて、インターネット環境が不安定だったので、二日分まとめて公開しようと思ったのですが、今ブリュッセルの空港で、もうボーディングが始まってしまったので、とりあえず、昨日の分。「今日(2018/03/17)」の出来事は、また経由地のドバイで公開できたらと思います。
 
 朝、ホテルをチェックアウト。INCAMの残ったメンバーで朝ごはんを食べながら会議をします。みんな疲れた顔をしてますが、(まぁそれでも、この後に会議はないのでわりにリラックスした表情だった)アドルフォさんは最後まで元気。ビセンテさんが発言するたびに「ビセ〜ンテ」と言っておちょくっていました。あとはみんな、バイキングなので、ナッツやジュースを取ってきて袋に詰めていた。「次はINCAMが出禁になっちゃうね」と笑いながら話す。アドルフォは誰にも増してどんどんいろんなものを袋に入れて、呆れられていた。「次はバンに乗ってここにきて、部屋を持って帰ろう」とか言っていた。
別れ際にジャグリングを見せてくれたビセンテさん

 「サーカスのネットワーク」について話していてわかったことがあります。
 それは、僕は「サーカスのネットワーク」の中では例外的な立場だということです。そもそも日本から来ていることもあるかもしれないけれど。サーカス、というより僕の興味の中心は「ジャグリング」です。そして、「ジャグリング」というのは、サーカスの中ではそれほど中心的な概念ではなくて、(当たり前ですが)「サーカス」と言われて名指されているのは、どちらかというと、アクロバットとか、そういうものの方が中心的な気がしました。「身体性」に重点がある。ものを操るとか、そういうことは中心ではない。 
 考えてみれば、ジャグリングがサーカスの中心ではないのは当たり前です。ですが、僕は今まで9割ぐらい、日本でも西欧でもアジアでも、ジャグリングの作品ばかりを見てきました。それゆえに持っていた僕自身の中の「サーカス」に対する偏った見方みたいなものも、あったみたいです。反省。
 それと単純に、僕以外のみんなはもっとプロフェッショナルなレベルでやっていて、オーディエンスのことを考えている感じがしました。
 僕は割と好きにやっている感じです。しかしそういう立場の僕がへろっとした発言をすることで場が和む、みたいな場合も時々あったけれども。「日本からきてくれたのはよかった。立場の違う人も巻き込んでいきたい」とも言ってもらえたので、よかったかな、とは思っています。
 結果的に自分の立場についても、「個人的なことは、あくまで個人的にやっていこう」みたいに思えたので、よかった。
 西欧の「サーカス」は、はっきりと、「サーカス」という立場があるのでした。
 「ダンス」みたいな感じで。

 さて、ホテルを出て、足早に本屋へと向かいました。外国にいくと、時間があれば本屋に寄るようにしています。別に何を買うでもないんですが、本を見るのが好きです。(とはいえだいたい何か買ってしまいます)世界で一番美しいと(誰が言っているのか知らないが)言われているらしい、トロピズムという本屋にも行く。
 
その本屋があるアーケード

 そして、以前も来たことのあるマグリット美術館に行く。
 もっと他にも見るところはあったんですが、やはりマグリット美術館に行くことにしました。どうしてもまた生で見たかった『光の帝国』という作品と、彼の落書きを見てほんの30分ぐらいで出てきましたが、幸せな時間でした。もうこれでブリュッセルに名残はないな、と思った。
 
 そして、再びショーをみる。 『Strach』と『Titre Définitif』。
 『Strach』はアクロバットを使った劇。「恐怖」という意味のようで、文字通り、狼の格好をしてワウワウ吠えたり、アーティストが倒れそうになるのを観客が助けたり、観客が肩の上に乗せられたり、スリル満点でした。『Titre Définitif』は、事前に観客が書いた歌のタイトルを当てる、というマインドリーディングショウ。マジックも織り交ぜつつ、合間にギターやドラムを演奏して、ジョークで楽しませながら進めるものでした。惜しむらくはフランス語がほぼわからないので、何が起こっているのか全然わからなかったということです。スタンディングオベーションが起きていたので、きっとすごく面白かったんだと思う。

 終わると、友人のブラムがほいほいと迎えにきてくれました。
 ホテルをチェックアウトするのがこの日だということをすっかり忘れていたので、ロンデルゼールという町にある彼の家に急遽泊まらせてもらった。
 ベッドタウンの、静かな町で、家もとても綺麗でした。
 ブラムはタトゥーアーティストで、アジアに関心を持っているので、部屋にはエキゾチックな装飾や、日本の漫画(手塚治虫の『ブッダ』もある)がたくさんありました。
 いつも行き当たりばったりに旅をしていて感じるんですが、こうやって助けてくれる友達がいるというのは、実に、幸せなことだと思う。外国にいる友達と話しながら食べるご飯というのは、てとても美味しいものです。この夜は、ケバブを食べました。美味しかったのは、肉とポテトがいっぱい入っていたからだけじゃないと思う。



2018年3月16日金曜日

第16回 ベルギー・フレッシュサーカスの旅 5日目 

 朝遅め。さすがに疲労が溜まってきました。

会場に行って、ふたたび、「サーカス」という言葉についてのセッション。
 サーカスをショーとして売っていくにあたって、「サーカス」という言葉が持っている既成のイメージが邪魔をしている、ということがある、という話。
 ショーごとのそれぞれの違いを端的に説明するのにはどうしたらいいのか、という話も。ビデオの方が、写真や言葉だと伝わらないことがたくさん伝わり、全体像が見えるからいい。でも同時に、イメージは一つではない、その多様性がサーカスでもあるので、難しい。
 実際にいいショーをたくさん見てもらおうのが一番いいのではないか、と。



 僕自身は、あんまり「サーカスを広めよう」みたいに考えたことがなかったので、いまいちこれに関しては意見を持てませんでした。しかし、色々とショーを見ていく中で、そうか、これが西欧での「サーカス」なんだな、という総体みたいなものも少し見えてきて、問題がどこにあるのかはなんとなくわかった気がしました。

 終わると、クロージングの会をやって、フェアウェル・ドリンク。帰ってしまう人もいるので、熱いハグを交わしたりします。ビズ(ほっぺたにキス)もします。

急なインタビューに応じてくれたエリック・ロンジュケルさん

 ビズって、思うんですが、本当に、毎回タイミングと具体的なやり方に困ってしまいます。
 いきなり初対面の女性に、両方のほっぺにキスをされたりするので、受け取るこっちはパッと反応できなかったりします。あと、普通に握手をするときも、握手なのか、ギャングスター的な軽い挨拶をするのか、いまいちわからないときもある。

 それはさておき。

 バスに乗って、エスパス・カタストロフと、ESAC見学。
 エスパス・カタストロフは、サーカスアーティストが必要なときに、簡単な手続きでスペースを借りられるところ。エリックも「ここは最高だ」と言っていて、正式な学校ではないですが、練習やリハーサルも十分にでき、ワークショップがあったりもするみたいです。これから2カ年計画で、建物をまるきり新しくする計画で、今回は、それが具体的にどんな風になるのか、ということを聞きました。


この廃墟も潰す、というのだが、これはこれで味があるような。


 中までは、見られなかった。ちらっと見えた部分は、地区センターのダンスルームのような感じのスペースでした。
 ESACは、ベルギーでも有数のサーカス学校で、つい5ヶ月前に建物が新しくなったばかり。元々は、周辺の建物を温める空気を、炭を燃やして生産するところ(というのが、いまいち現代の僕たちには想像がつかないのですが)だそう。要するに、空調システムの一部ですね。
 





玄関を入ってすぐ、天井の高い部屋に、トラピーズやマットなどがおいてあり、その隣の部屋はさらに高さがあって、(40mくらいある)そこにはより本格的に、上から道具が吊るせる施設がありました。その後探検は続き、やや小さい、鏡張りのダンススタジオや、音楽が演奏できる部屋、リラックスする部屋、シャワーなど、くまなく見ました。こういうところで生まれるサーカスアーツは、日本のそれとはまったく違うものになるだろうなぁ、という気がしました。でもだからこそ、日本で、もっと地味な生活感に基づいたインスピレーションとか、場所がなくてもできることとか、仲間がいないからこそ発展することとか、そういうものを見つけるのがいいのかもしれないな、とも思いました。体なんか鍛えなくていいし、空も飛ばなくていいような「サーカス」を探してもいいかもしれない。
 それはもはやサーカスとは呼ばれないのかもしれないけれど。

 その後、
 『Burning』『Spiegel im Spiegel』を見て、劇場に戻って一杯だけ(コーラを)飲んで、帰宅。

第15回 ベルギー・フレッシュサーカスの旅 4日目 

 朝、フランスのカンパニーのプロダクションの方と待ち合わせをして、少し話をしてから出発。
 フレッシュサーカスはサーカスの制作、メディア関係の人たちが一堂に会する場所なので、よいビジネスの機会だ、ともとらえられているようです。
 まずは朝のセッション。 アーティストの具体的な自分史みたいなものを聞きました。日本からジャグラー、渡邉尚さんもスピーカーとして参加。カナダで勉強したアーティストや、アフリカ、エチオピアのサーカスの現状も。




 アフリカには、サーカスアーティストはたくさんいるのに、学校や、テントなどの必要な施設がない、ということでした。また、「アフリカのサーカス」というものにお客さんが求めるもの(平たくいうと、「エキゾチックさ」を求めている)と、アーティストがやりたいことの間にも差がある、というのもあるみたいです。アーティストはもっと先進的(と言っていいのかわからないけど)をやりたいよう。
 映像で見た限りでは「アフリカっぽさ」みたいなものがいいなあ、と思ったのですが、要するに演じる方はそれが嫌っていうことなんですよね。難しいものです。
 あとは、アーティストが、お金が稼げるようになった時点で現状に満足してしまいがちなのだ、ということも言っていました。
 ところで、登壇者にも参加者にも、渡邉さんが一人でスタイルを作り上げてきたことに対して驚きのコメントをする人が多かったです。彼が登壇したわけでもないセッションやフェスティバル関係者との会話でも、割合「ヒサシが…」みたいな話を聞きました。
 全然、ひいき目ではなくて、やはり渡邉さんは、どんな国に行っても固有の驚きを与える存在なんだ、というのが垣間見えました。 

 昼食を挟んで、次のセッションへ。

空き時間にグランプラスに行った。

 今度はサーカスアーツメディアをまとめるINCAMメンバーと一緒に、「サーカス」という言葉がもつイメージと、それを見にくる人たち、というテーマで話をしました。
 ユーロセントリック(欧州中心主義的)な感じが僕には何か引っかかっていたので、それをとりあえず提起してみました。 まず第一に、アジアにもサーカスはある、ということ、一方で「アジアでは『まだ』サーカスが普及していない」みたいな考え方はちょっと違うんじゃないか、ということ。
シンガポール/台湾で撮られた写真を前にして少しだけ話しました

 日本にもサーカスはあるの?
 と今回の滞在を通してよく聞かれたんですが、「サーカス」という言葉で「くくりうるもの」はあるけれど、「はい、あります」と答えるのも何か変な感じがします。もちろん、木下大サーカスとかあるのは知っていますし、見たこともあるし、それについて「サーカスと名のつく集団」はたくさんいるとは言えるんですが、このフレッシュ・サーカスで語られるサーカスという枠の中ではまた話が違ってくる。
 個々に見れば、ジャグラーやアクロバットや、要するに「サーカス」と呼べる分野で能力を発揮している人たちはいるのですが、それをヨーロッパ (というか、フランスや、ベルギー、ドイツなどの、「西欧」なんですよね、多分)で語られるような、商業性を持った「サーカス」の括りに入れてしまうと、なにか正しくない気がする。
 もちろんそういう事情もみんな分かってくれて、ユーロセントリック、ということがセッション全体の話題にものぼったので、面白かったです。どれほど影響があったかはわからないですが。
  その後は、少し時間があり、お酒を飲みながら次のショーまで待機。 こういう時間で、人と情報を交換しあったり、新しい人に会ったりしていました。ビジネスとして、こういう時間に重要な意味があるんだな、ということが伝わってきました。

お酒を片手にサーカスの話をする

この日見たのは 『Persona』『Mémoire(s)』の二本。

  『Persona』は、4人の女性が、それぞれの国の言葉で(イタリア語、スペイン語、英語など)で好き勝手に喋りながら、アクロバットや、チャイニーズポールなどサーカス芸を繰り広げる、シュールレアリスティックなもの。(今回見た演技の中でシュールレアリスティックな側面を持たない演技って、なかったですが)


『Mémoire(s)』は、複数人が、「記憶」をテーマに、様々なシーン設定をして、はちゃめちゃな劇のようなことをする。
最後に、みんなが下着姿で高いところに登り、白い粉をお互いに官能的に塗りあって、アクロバットをするんですが、それが面白かった。



終わると時間は11時。 すぐ寝ました。



2018年3月14日水曜日

第14回 ベルギー・フレッシュサーカスの旅 3日目 懐かしい顔とヨーロッパのサーカス

 ベルギー、3日目です。朝から予定がたくさんありました。色々しにベルギーにはるばるきたわけなので、よかったです。
 朝ごはんを食べていると、ガンディーニジャグリングの創始者、ショーン・ガンディーニさんに会いました。昼ごはんでも一緒になり、「隣に座っちゃっていいかな」とこっちまできてくれました。いつでも嬉しそうに話す方で、一緒にいるとこっちが元気になってきます。以前にインタビューをしたことも覚えてくれていて、嬉しかった。


 いよいよフレッシュ・サーカスが始まります。(そう、公式に始まったのは今日からなんですね)オープニングとして、カンパニーによる複数人のハンドトゥハンドの演技の後、色々とサーカスの問題について話していました。












 終わった後は、ショーを見ました。
『MA』
『INNOCNENCE』
の二本。どちらも二人組のショーで、『MA』は男二人で、チャイニーズポールとシンプルなクラブと、木刀と、サーベルを使った(おそらく)インプロをベースにしたショー。『INNOCENCE』は、男女のショーで、ハンドトゥハンドもあり、ジャグリング的な要素もある、演劇的な作品でした。詳しくはあとで書きます。
 二本ともよかったですが、INNOCENCEが、とくに終盤で鳥肌が経ちました。
 内容についても色々考えたのですが、体力が限界なので、また改めて、とったノートを元にここなりどこかで発表します。

2018年3月13日火曜日

第13回 ベルギー・フレッシュサーカスの旅 2日目 2/2 INCAMミーティング、UP!フェスティバルオープニング

 BOZAR(ボザール)という美術館に行き、オープニングのプレスカンファレンスに出席。なんだか重要そうな人たちがたくさん。ブリュッセル市は、focusCIRCUSと銘打って、ヨーロッパにおけるコンテンポラリーパフォーミングアーツの中心として市を推していくのが今年の方針らしい。それが、これから2019年の3月まで続く。
 主導はワロン=ブリュッセル共同体(フランス語圏の共同体)。ベルギーが国として、というのとは少し違うところに、国家の言語的分裂事情が垣間見える。
 事前にメールで話していたカトリン・マジスさんとここで会う。彼女は、サーカスパフォーマーのための施設「エスパス・カタストロフ」の人。すごく活発、ひょうきんだ。とても面白い。「フランス語で話すけど、あなた、フランス語わかる?」と言って、手をひらひらさせる。だが実際ほとんどの登壇者、フランス語で喋る。大筋はわかるんだけど、こんなにもフランス語がきちんとわかったら実際、便利だろうな、と思ったことはなかった。少なくとも「サーカス」の文化圏では力を握る言語だ。
 
この計画で鍵を握る人たち

カトリンさん

色々もらう。ブリュッセルを紹介する分厚い本も入っていた。
ブリュッセルの観光局もスポンサーで、宣伝に余念がない。面白い。

BOZAR 外観

会場は、BOZAR外の「半分テント」。何人かは「全然プラクティカルじゃない」など厳しい意見(笑)
僕は結構良いな、とか思ったんですが。
 
 そのあと豪華な昼食をヨーロッパ流にゆっくりと食べ、(肉がとんでもなくでかかった)次の目的地へ向かい、サーカスを扱うメディアを集めた、INCAMのメンバーで話し合い。




例の、キム・キャンベルさん


 小ぎれいなオフィスで、肩の力を抜いてみんなで、雑誌を続ける上での困難や、各々の仕事の紹介、今後どのように連携していくか、などを話す。それぞれが少しずつ違った理由で、違った背景を持って、雑誌やウェブメディアに関わっていた。
 僕のようにごく個人的なモチベーションでやっているのは、他にメキシコのドクシルコを立ち上げたロドリゴさんがいて、(もちろん細かく見ればみんな個人的な理由で始めてるんだけど)年代も近く、彼もまたパフォーマーなので親近感が湧いた。
長い棒でバランスをとり、その上を人が登る「パーチバランス」のパフォーマー・ロドリゴさん

 その後まだBOZARに戻り、今度はUP! フェスティバルのオープニングショー。
短いものをさらっとやって終わるのかと思いきや、しっかりとしたホールで、燕尾服をきたクラウン的なMCまでついた本格的なショーケースだった。演技も4、5個見た。参加者も非常に多い。










 お酒もご飯もバンバン振舞われる。INCAMの人と話したり、他に知っている人はいるかどうか、スパークリングワイン片手に会場内を歩き回っていたら、案の定、デフラクトのギヨームや、エリック、ショーン(ガンディーニ)、リドのミゲルなど、知り合いにたくさん会う。ギヨーム、相変わらず熱心に日本語を勉強していて、「お元気ですか?また、会えて、嬉しいです!」とニコニコ言ってくれる。

 今日1日で色々と起こった。もう今は夜の12時40分。少し頭が混乱している。中身の詰まった日だった。
 ちょっと立ち止まって考えたいこともいくつかあった。
 とくに感じたのは、「ヨーロッパと日本ではサーカスを取り巻く状況は根本から違う。その全体像は、出来上がる作品だけ観ていてもどうも理解ができなくて、こういう風に、『サーカス』という言葉で支えられた共同体や、経済的基盤など、そして観衆の方の受け入れ方、態度など、全てがあって、『サーカス・インダストリー』を形作っているのだな」という呆れに近い驚嘆だった。

 今まで僕自身、EJCと友達のジャグラーを主に「ヨーロッパのジャグリング」を知る手がかりとして用いて、考え、人に伝えていましたが、「ヨーロッパのジャグリング/サーカス」という像を語るには、もっと色々と手を伸ばして、むしろ「EJCはヨーロッパにおいても特殊なのだ」というところを、しっかり噛み砕かないといけないな、という感じがしました。
 ともあれ、INCAMのメンバーと仲良くなれたのは大きな前進だと思うし、今までとは少し違う方向に人の繋がりができたような気がするし、朝食に出たチーズは笑っちゃうぐらい美味しかったし、今のところ、いい感じです。