天気は悪かった。
ディアボロを持つと、
自ずと何をするか決まってくる、ということがあります。
別に「よし、これをやろう」と思ったことを、
そのままやっているわけでは決してないです。
「よし、これをやろう」という「これ」の部分の決定権は、
自分にあるような気もしますが、実際のところ、
なんで自分がそれを思いついたのかは不明であることの方が多いです。
文章を書くときも、画面や紙に向かうと、「何かしよう」という意思の中に、
行為が生まれてくる感じがあります。
動くというのは不思議なものですね。
これから自分が何をするか、というのは、
自分でも知らないんですね。
このことを深く掘り下げて難しくすると、「自己の意識とは何か」の問題になります。
自分の意思で何かを操るということは、少なくとも「わたし/僕/俺/I etc...」という自分の「意識」が思っているほど自律的じゃないというか、むしろ矛盾するようですが、他律的でさえあるように思われます。
0 件のコメント:
コメントを投稿