2018年4月15日日曜日

第46回 ジャグリングで「いまおこなわれていること」をより広く知ることについて



昨日に引き続きジェイの話から始めます。
Bevisの関連から、こんな動画を見つけました。
1時間もあったので、ざっとだけ見ました。

ジェイがジャグリングのヘッドティーチャーを務める
サーカス学校DOCHでおこなわれた、
『音楽とジャグリング』というコースの成果発表会のようなものです。
おそらく通常のコースとは別で、
特別クラスのような形で短期でおこなったものだと思われます。

思ったことがふたつあります。

ひとつは、
ボールにセンサーを埋め込んで、
Bluetoothでプログラムされた音楽機器につなぎ、
音をランダムで再生する
というアイデアを、「実際に実現させる」のは素晴らしいな、ということ。

今あるものに対して多くを「語ったり」
新しいものを「考える」のはよくあることです
(簡単ではないかもしれないけど)。
しかしそこで本当にオルタナティブを作ってしまうところが、
やはり真の行動だよな、と思います。
気が引き締まりました。
さすがです。

そして思ったことのもうひとつは、
この動画が昨年11月のものだったということについてです。
つまりこういう面白い実験を、全然知らなかったということです。
(ジェイのことだからこんなようなことをやっているんだろう、
というのはわかっていましたけれども)

僕もジャグリングのシーンを知ったような顔して語っていますけど、
全然知らないんですよね。

知らなきゃいけないのは、もちろんジェイのことだけではありません。
色々な国の、色々な人たちが持っている可能性と、
今おこなっていることについて、知りたいなと思う。
一体あとどれだけ勉強しなきゃならないだろう、と少しぞっとしました。
しかし同時に、もっと勉強しなきゃ、と熱意も湧いてきました。

そこにはさまざまな、「ちょっと立ち止まって考えたいこと」もあります。

まずそもそも「知ることはなにはともあれ大事なことだ」というのは真なのか。
先日腹話術師のいっこく堂のインタビューを読みました。
唯一無二のパフォーマーになるための、「独学」の大事さを説いていました。
彼は「師匠について学ぶこと」について話しているからちょっと違うんですが、
しかし他の人がどんなジャグリングをしているのか知る、ということは、
かえって「影響されること」になりはしないか、と思ったりもする。

僕の腹話術は、すべて独学です。なぜなら僕が目指したのは“腹話術師”ではなく、“誰もやったことのない芸を披露する腹話術師”だったからです。弟子入りをすれば、まずは師匠の模倣から始まります。いずれオリジナリティが出てくるにせよ、そこかしこに師匠譲りの技術が顔を出す。真に唯一無二を目指すには、独学という選択しかあり得なかった。
(上記サイトより引用)

けれど、とりあえず知るための手段が用意されていることは、
とにかく無駄ではないよな、とも思いました。
つまり、知ろうと思えば、知ることはできる、という状態です。

そして、その知るための手段は、
「インターネットによって全てのリソースが誰にでも開かれている」
ということだけではダメなのだ、と思います。

その中で「なにを取捨選択したらいいのか」がわからないからです。
なにが大事なのか、ということが、
あらかじめ誰かの眼によって一度淘汰された中から、
大事な情報が、編集された形で
簡潔に伝わってくるのが大事だよなと思います。

こうやって書くとそんなの当たり前だよ、と思いますが、
タイムラインに流れてくる情報を
受動的に受け取るだけで精一杯になってきた時代で、
昨今そういうことの大事さはむしろ増しているような気がします。

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