2018年4月4日水曜日

第35回 『ジャグリング』ということばをめぐる冒険

ジャグリング、ジャグリング、と連日言っていて(書いていて)思いました。
 「ジャグリングでは」という時の「ジャグリング」は、場合によって指すものがまったく違います。
 
 純粋に行為そのものを指して「ジャグリング」と呼ぶこともある。
 大道芸でカラフルなボールを投げている人がいて、「あ、ジャグリングをやっているね」と指差して言う時のジャグリングがそれです。
 その行為について、 『あれは人間がとりうる行動として、今まで見たことがあり、聞いたことがあるラベルを用いてどのカテゴリに入れるかといえば、ウォーキングでも、スイミングでも、ボルダリングでもなく、ジャグリングだ』と、他の現象との差異を以って、「あれは『ジャグリング』である」と特定しています。
 一方で「ジャグリングではそういうことをやる人はいないね」という時の「ジャグリング」もあります。それは、「話し手が知っている範囲での、ジャグリングをやる人の共同体」という意味での使われ方です。

 今例を挙げたこのふたつ以外にも、 「世界でジャグリングをする人たち」全般の傾向について語っているのか、「自分の周りにいる、ジャグリングをする人たち」の傾向について語っているのか、話し手と聞き手でお互いにあんまりマッチしていないときだってあると思います。

 こういうことばに関する議論は、時として不毛ですけれど、少なくともそれについて考える過程で、自分の言葉に対する認識を「耕す」ことはできるだろうと思います。
 これからしばらくジャグリングという言葉について考えてみます。 一週間ぐらい考えられればいいな、と思いますが、どれぐらい続くかはわかりません。そもそも意味があるのか、ということも言えると思う。ともあれ、今自分がどの『ジャグリング』について話をしているのかちゃんと識別するのは、態度として間違っていないだろう、と思います。

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