2018年5月12日土曜日

第73回 サティスファクション・オブ・ジャグリング、みたいな

Object Episodesの、Art that Makes you Think About Juggling (ジャグリングのことを思い起こさせるアート)で紹介されていたビデオです。



すごくいいなぁ、と思います。これって、どこがいいのかなぁ、と考えています。
まだはっきりとした文章にはできそうもないのですが(そして、多分「はっきりとした」文章にはできない方がいいような気もするんですが)、思いついたこと、単語を列挙してみます。

  • 「贅沢」だ
  • 「スカッ」とする訳ではない
  • むしろ「ぎゅっ」とした満足感
  • やや「背徳感」に近い
  • だいたい誰もが一度は見たことのある品物を使っている
  • Fidget Cubeに、少し近いものがありそうだ
  • HowtoBasicには近いが、こちらの方が良いと思う。(品があるから?)
  • 「普段はやらないけど、やろうと思えば自分でもできそうなこと」だ
  • 実際にやったら、ちょっと満足する
  • 社会的な「ちょっとしたタブー」を、許される範囲で逸脱している
この質感をうまく分析できたら、ジャグリングの作品作りにも、きっと活かせると思います。

でも、ジャグラーって、ところで、本当にものを扱うことにおいて、有利な立場にいるんでしょうか。
ジャグリングは、「ジャグリング」という言葉、くくりによって「保護」されてしまっている側面があります。普通だったら何かを投げている、というのは「なんか変」なことであり、社会的には、違和感をもたらすこと、いわば「ライトタブー」です。
たとえば会社で、書類の入ったケースを取引先からビハインド・ザ・バックスローで渡されたら、不適切だと判断するでしょう。(あるいは「面白い会社だ」と思って株があがるかもしれませんがそういうややこしいことは置いておいて)

行動を「ジャグリング」という言葉でくくれる間は、少し過激なこと、「不適切」なことをしても、許されてしまう、ということがあります。

やや難しく一般化すると、「名付け」には、場で受容されうる行動の範囲を、変化させる力があります。「アートだ」と主張すると、体にペンキを塗りたくることが「是」の世界にできます。抹茶だって、普通に飲もうと思えばマグカップに入れて、腰に手を当てて飲めますが、「茶の湯」「茶道」の世界になると、それは許されません。

「会社」「社会」という単語にも、多いにそういう力がある。(つまりそれが、許容を促す力にもなりうるし、同化を迫る圧力にもなりうる訳ですね)

もう少しこの動画については考えてみるつもりです。

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