改めて、ジャグリング・バトルの意義というか、シーンのこと、について考えている。
この形式のいいところは、多様なジャグリングの姿が見られる、ということにある。
そして、主催のシンホーは、台湾のジャグリング(と、サーカスシーン)にとって、それが一番意味のあることだ、そういうことを狙っている、と言っている。
今日、台湾のサーカス学校(雑技の学院)を見に行って、そこでもシンホーは、自分の身の上話(シンホーも京劇の学院出身である)から始まり、いかに台湾の雑技の世界が、「閉じがち」か、ということを話していた。
僕としては、同じようなスタイルを排出する、ということを必ずしも敵視する必要もないよな、と思う。
むしろ、それはそれで、存在意義があるよな、と思う。
それだけなのは、つまらないよな、と思うけど。
ヨーロッパの方が優れている、という考え方も、違う。
確かに台湾のディアボロの演技を見ていて、必ずしもみんながユニークな演技をする、という訳ではないけど、その「個人間の誤差の少なさ」が目指されることが標準的な考え方の集団があるとしたら、それを積極的に否定することはできないよな、と思う。
じゃあ僕が、いわゆる「台湾スタイル」のディアボロをたくさん見ることに興味があるか、と言ったら、そこは答えに窮するけれども。
※ ※ ※
【PONTE製作記】
ヨーロッパのことをちょこちょこと書きながら、台湾で起こっていることを整理する、というのはあまり容易なことではない。
それでも、旅行に出ているのは僕一人なので、他に誰がまとめてくれる訳でもないから、仕方ない。
一度に二つの旅行のことを考えるのは、その時に感じる旅情の量が全然違う。
一人でやる量の作業じゃないよな、とか思いつつ、でも色々な発信の仕方をしていて、やっぱり絞った方がいいかもしれないな、と思ったりする。
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