Language wishlist thread (for fun)
オブジェクトエピソード最新スレッドです。
ジャグリングで、「あったらいいな」の言葉リスト。
まず初めに、スウェーデンのジャグラー、アメロンさんが「ドロップしやすさ」という意味で、Dropabilityってどう、とのこと。
なるほどね。
If You Are a Jugglerも読み終わり、(実にいい本でした)ブレイキンの歴史をちょっとかじったりしていたら、一つの「形式」に一度傾倒してみるのもいいかもしれないな、とか思いました。
今までちょっとジャグリングを一つのカルチャーとかコミュニティとしてみるのに疲れてしまっていた節があったのですが、(なのでより個人的な方向に寄って来ていた、というのもある)ちょっとまた、ジャグリングをジャグリングという広いものとして受け止めようかな、という気になっている。
2018年3月30日金曜日
2018年3月29日木曜日
第29回 「『河合塾の広告をケニアのおじいさんに渡してもしょうがない』みたいな」
「ガレージで知り合いのために演奏していた時に意味があると思っていたことは、不特定多数の聴衆に向けて演奏し始めた時、全く意味を持たなかった。そこで『良い』されることは全く違った。そこでは美学が違うのだ。」
BBC Radio4を聞いていたら、ミュージシャンが言っていました。
このミュージシャンが誰なのかはわからず仕舞いだった。
先日桜が咲く公園でジャグリングをしました。すると、わいわいと好き勝手遊んでいた保育園の子供たちが集まって来ました。その子たちのためにディアボロを回してあげた。
オーディエンス、ということについて考える。
メッセージを間違った受け手に届けており、反応がなくて落ち込む。自分が本来の受け手ではないメッセージを受け取ってしまって、落ち込む。自分の言葉に、思ってもみなかった受け手から反応があって、嬉しい。全く予想もしなかった方向から賢明な言葉が来て、インスピレーションを得る。
何かをする時は、自分が何かをすると影響を受ける人がいる、という時にやる気が起きるものです。
誰に見向きもされなくたって、自分のやりたいことをやれていればそれでいいんだ、と思える時もあるような気がします。でもそれは、「祝福してくれる受け手が最終的に多かれ少なかれ、いる」ということに自信が持てるからなんじゃないかと思います。
何か自分のやっていることにしっくり来ない時というのは、もしかして、うまく届け先を想定できていない時なのかも。
BBC Radio4を聞いていたら、ミュージシャンが言っていました。
このミュージシャンが誰なのかはわからず仕舞いだった。
先日桜が咲く公園でジャグリングをしました。すると、わいわいと好き勝手遊んでいた保育園の子供たちが集まって来ました。その子たちのためにディアボロを回してあげた。
オーディエンス、ということについて考える。
メッセージを間違った受け手に届けており、反応がなくて落ち込む。自分が本来の受け手ではないメッセージを受け取ってしまって、落ち込む。自分の言葉に、思ってもみなかった受け手から反応があって、嬉しい。全く予想もしなかった方向から賢明な言葉が来て、インスピレーションを得る。
何かをする時は、自分が何かをすると影響を受ける人がいる、という時にやる気が起きるものです。
誰に見向きもされなくたって、自分のやりたいことをやれていればそれでいいんだ、と思える時もあるような気がします。でもそれは、「祝福してくれる受け手が最終的に多かれ少なかれ、いる」ということに自信が持てるからなんじゃないかと思います。
何か自分のやっていることにしっくり来ない時というのは、もしかして、うまく届け先を想定できていない時なのかも。
2018年3月28日水曜日
第28回 怒涛のエンリコ・ラステッリ
まだ "If You Are a Juggler"(筆者訳:『ジャグラーというものは…』)を読んでいます。伝説のイタリア人ジャグラー、エンリコ・ラステッリに関するこんな記述を見つけました。(かいつまんで要約)
「エンリコの結婚式のレセプションパーティがカルコフサーカスの中で行われた。来客が『ゴルコ!』(ロシア語で、新郎新婦にキスをさせるため、囃し立てる時の言葉)と叫び、新婦が振り返ると、そこにラステッリはおらず、誰もいないサーカスリングで一人新しい技を練習していた。」
前段に、"...Dedicated himself entirely to his art..."(彼は自分のアートに全てを捧げた人で…) と書いてはありましたけど、まさか結婚式でもジャグリングをしちゃうような
人だとは思いませんでした。でも、Dedicate oneselfとは要するに、こういう逸話がある、ということなんでしょうね。
エンリコ・ラステッリの貴重な映像。
2018年3月27日火曜日
第27回 外国から来た本を読んでいます
先日PMJugglingの板津さんより、この本を預かりました。
"If You Are a Juggler..."というタイトル。出版は2018年、つい最近です。著者は、20世紀を生きたロシアの伝説的サーカスジャグラー、アレクサンダー・キス。「ロシア(ソ連)におけるジャグリングの父」と言われています。原作のロシア語版は1971年にソヴィエト連邦で発行されましたが、それが昨年、オランダのジャグラー、ニルス・ダンカーによって実に40年近くたった今、初めて英訳されたものです。
今度PONTEの方にレビューを書く、というので、読んでいます。
前半を読み終わりましたが、エンリコ・ラステッリを初め、その他名を馳せたジャグラーたちの歴史が、個人的な回想とともに綴られていて、面白いです。
「今のジャグリング」を相対的に捉えるには、もっとこういう本を集めて読まねば、という気になっています。
2018年3月26日月曜日
第26回 動くのはわからない
少し久しぶりに体育館でしっかりジャグリングの練習をしました。
最近はジャグリング以外にも、「身体」そのものに関心があります。
逆立ちしてみたり、ブレイクダンスのパワームーブを練習してみたり、しています。
とにかく五体を存分に使うように心がけています。
身体を動かすというのは、純粋に身体にいい影響を与えるものだな、と思います。
それまで鬱屈としていた気分も、陽が差し込む体育館で動いているうちにポジティブなものに変わっていくのがありありと感じられます。
こうやって書くと非常に月並みなことを言っているようですが、実際に体験すると、はっきりと自分の中で何かが変わるのを、感じるんですね、これが。
さて、身体を動かす、ということで大事なのは、「実際に動くまで、それがどういう影響を自分に与えるのか見当がつかない」ということです。
たとえば事務所で仕事をしていて、ああ、疲れたな、と思った時。
「身体なんか動かしたってしょうがない、それより今はこの仕事を終わらせなきゃ」とか、思ってしまいがちです。
でも天気のいい外に5分でもいいから出て散歩をすると、一体今までの焦った気持ちはなんだったんだろう、というくらい気分が変わりますね。
それは、実際に外に出てみるまで、予想もつかなかったことです。
ところで春のにおい、ってありませんか?
そしてそのにおいって、ある日突然、「あ、これは春のにおいだ」と、わかって、春がきたな、と思います。
いいものだ。
最近はジャグリング以外にも、「身体」そのものに関心があります。
逆立ちしてみたり、ブレイクダンスのパワームーブを練習してみたり、しています。
とにかく五体を存分に使うように心がけています。
身体を動かすというのは、純粋に身体にいい影響を与えるものだな、と思います。
それまで鬱屈としていた気分も、陽が差し込む体育館で動いているうちにポジティブなものに変わっていくのがありありと感じられます。
こうやって書くと非常に月並みなことを言っているようですが、実際に体験すると、はっきりと自分の中で何かが変わるのを、感じるんですね、これが。
さて、身体を動かす、ということで大事なのは、「実際に動くまで、それがどういう影響を自分に与えるのか見当がつかない」ということです。
たとえば事務所で仕事をしていて、ああ、疲れたな、と思った時。
「身体なんか動かしたってしょうがない、それより今はこの仕事を終わらせなきゃ」とか、思ってしまいがちです。
でも天気のいい外に5分でもいいから出て散歩をすると、一体今までの焦った気持ちはなんだったんだろう、というくらい気分が変わりますね。
それは、実際に外に出てみるまで、予想もつかなかったことです。
ところで春のにおい、ってありませんか?
そしてそのにおいって、ある日突然、「あ、これは春のにおいだ」と、わかって、春がきたな、と思います。
いいものだ。
2018年3月25日日曜日
第25回 Future Circus Labとか続けることとか
昨年台湾で11月に行われたFuture Circus Labというイベントの写真です。
このフェスティバルの主催者の一人であるヨウヨウ (なんだかんだこの人とは付き合いが長い)も先日、ブリュッセルにいました。なので移動中など、色々と話しました。
やはりこの規模のフェスティバルを開催するのは、難しくなってきているみたいです。多くは、お金の面で。だから、これからどうしたらいいか、まだ考えている、と言うことでした。別にフェスティバルではなくても、他にもやり方はありそうだよね、ということ。
改めて、続ける、って大事だよなあ、と思う。
今僕もちょうど、何か場を作りたいと考えている最中です。
昨日は、PM jugglingの板津さんと、ピザ回しすと、そいそいと一緒に集まって、検討会を開きました。まだまだ色々と文字通り検討中ですが、とにかく、川沿いの桜をほっこり楽しむくらいの気分で、気負わずジャグリングとずっと関わり続けられる、面白いことができたらいいな、と思っています。多摩川沿いの桜は、綺麗でした。
http://jugglingponte.com/?p=2399
2018年3月24日土曜日
第24回 毎日ジャグリングについて書くことは
毎日ジャグリングについて面白く書くというのは、あまり易しいことではありません。
ジャグリング雑誌の編集長をしているくらいなので、多少はジャグリングについて世間一般の人よりジャグリングについて深く考えている自信はあります。
しかしそれとこれとは話が全く違います。
ジャグリングに関して、コペルニクス的転回を与える気づきだとか、海外で起きた面白い話だとか、奇想天外なインタビューだとか、とにかく読者が何らかの喜びを感じるような話題を毎日提供しなければならないとしたら、それは生半可なことではありません。
僕もそれなりに頑張っていますが、どうもそういうのを「ひねりだして」書こうと思っても、筆が前に進まないんですね。「面白いことをしよう」というプレッシャーを過度に自分に与え過ぎてしまうと、ものが書けなくなります。
それよりは、そういう思い込みから「まぁまぁ」と自分を解放してあげて、自然と、書きたいと思えるお話を書くほうが、書くほうにとっても読む方にとっても、無理のない、楽しみがいのあることなんじゃないか、と思います。(もしくは、「そんな風にして書かれたもの読むのは時間の無駄だ」とおっしゃる方もいるかもしれませんね。ごもっともです。読まれなくても仕方ない。)
しかし人が読んでも面白い上に、自分が書きたいこと、というのはそんなに簡単に、毎日、日の出みたいにきっちり出て来てくれません。多くの場合、そういうことは、とてもランダムなタイミングで、形があやふやな状態で、頭に浮かびます。そのスパンは、3週間にいっぺんだったり、1日に3回だったりします。
しかもそれは往往にして、お風呂に入ってゆっくりしているときだったり、駅まで歩いているときだったりします。もしくは心底楽しんでいる時とか。だからパッとその場で書けるような状況にない時が多い。自然、その思念は具体化されるタイミングを失って、忘れ去られることが大半となります。
そういう意味で、毎日何かしら書くということがとても大切だと思っています。
ジャグリングの練習でも毎日触れる、ということを、今は大事にしている。
少なくとも毎日やる、と決めていれば、「思念が具体化されるタイミング」は一日一回は絶対あることになります。毎日何かしら道具に触れる、と決めていれば、道具に関する発見の機会は、少なくとも一日一回はある、ということになります。
日々面白いことをするとか、書くとか、そういう志で限界にチャレンジする方がもっと立派だし、クリエイティブなのかもしれないし、そういうストイックな考え方もあっていいのかもしれません。
でも少なくとも僕にはちょっとそういうことはできそうにありません。時間も限られているし。それよりは今、「飽きてもいいから、やめないで続ける」ということ自体にやりがいを見出そうとしています。
誰かがいい反応をしてくれること、とか、自分が充足を感じること、というのは、二の次、三の次にしておく。そういうのばっかり気にしていると、途中で疲れちゃったり、「なんだか、やるせないや」というような気分になってしまうからです。
それに、「1000日何かを続けた」人を追いかけるには、その人が「その日から1000日やる」ことでしか追いつけないよな、とも思うからです。
ジャグリング雑誌の編集長をしているくらいなので、多少はジャグリングについて世間一般の人よりジャグリングについて深く考えている自信はあります。
しかしそれとこれとは話が全く違います。
ジャグリングに関して、コペルニクス的転回を与える気づきだとか、海外で起きた面白い話だとか、奇想天外なインタビューだとか、とにかく読者が何らかの喜びを感じるような話題を毎日提供しなければならないとしたら、それは生半可なことではありません。
僕もそれなりに頑張っていますが、どうもそういうのを「ひねりだして」書こうと思っても、筆が前に進まないんですね。「面白いことをしよう」というプレッシャーを過度に自分に与え過ぎてしまうと、ものが書けなくなります。
それよりは、そういう思い込みから「まぁまぁ」と自分を解放してあげて、自然と、書きたいと思えるお話を書くほうが、書くほうにとっても読む方にとっても、無理のない、楽しみがいのあることなんじゃないか、と思います。(もしくは、「そんな風にして書かれたもの読むのは時間の無駄だ」とおっしゃる方もいるかもしれませんね。ごもっともです。読まれなくても仕方ない。)
しかし人が読んでも面白い上に、自分が書きたいこと、というのはそんなに簡単に、毎日、日の出みたいにきっちり出て来てくれません。多くの場合、そういうことは、とてもランダムなタイミングで、形があやふやな状態で、頭に浮かびます。そのスパンは、3週間にいっぺんだったり、1日に3回だったりします。
しかもそれは往往にして、お風呂に入ってゆっくりしているときだったり、駅まで歩いているときだったりします。もしくは心底楽しんでいる時とか。だからパッとその場で書けるような状況にない時が多い。自然、その思念は具体化されるタイミングを失って、忘れ去られることが大半となります。
そういう意味で、毎日何かしら書くということがとても大切だと思っています。
ジャグリングの練習でも毎日触れる、ということを、今は大事にしている。
少なくとも毎日やる、と決めていれば、「思念が具体化されるタイミング」は一日一回は絶対あることになります。毎日何かしら道具に触れる、と決めていれば、道具に関する発見の機会は、少なくとも一日一回はある、ということになります。
日々面白いことをするとか、書くとか、そういう志で限界にチャレンジする方がもっと立派だし、クリエイティブなのかもしれないし、そういうストイックな考え方もあっていいのかもしれません。
でも少なくとも僕にはちょっとそういうことはできそうにありません。時間も限られているし。それよりは今、「飽きてもいいから、やめないで続ける」ということ自体にやりがいを見出そうとしています。
誰かがいい反応をしてくれること、とか、自分が充足を感じること、というのは、二の次、三の次にしておく。そういうのばっかり気にしていると、途中で疲れちゃったり、「なんだか、やるせないや」というような気分になってしまうからです。
それに、「1000日何かを続けた」人を追いかけるには、その人が「その日から1000日やる」ことでしか追いつけないよな、とも思うからです。
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