2018年5月7日月曜日
第68回 SICF(スパイラル・インディペンデント・クリエーターズ・フェスティバル)
ジャグリングユニットピントクルの中西みみずくん率いるチームが、5月4日に東京の青山で公演をしました。
せっかくなので観に行ってきました。
会場は、スパイラルホールという、天井が高くて開放感のある建物です。
入り口を入るとショップがあり、中心にはレストラン。
奥の方には、スパイラル(螺旋)状に緩やかに上って行く階段があります。
階を上がると、これまた、ギャラリーやショップがあります。
いかにも青山、という感じの、小洒落た施設です。
中西くんが披露したのは、「紙幣」と「もの」の交換にジャグリングを見出す演目です。
出演は、山下耕平、好光義也。
ピントクル公式の詳細はこちら。
中西くんが率いるピントクルは、日本では珍しい、ジャグリング「を」見せる団体というよりは、ジャグリング「で」何かを見せる団体です。
ヨーロッパなんかではある程度「アートとしてのジャグリング」みたいなものが一定の数上演されています。機会が多ければいい、というものでもないですが、もっとジャグリングの様々な側面を、色々な人に観てもらう機会があれば、面白くなるのかも、などとかんがえていました。
2018年5月6日日曜日
第67回 PONTE最新号入稿
ポーランドに行ったり、ベルギーに行ったり、そうして集めてきた資料と、いろんな経験があります。
これをうまくまとめてみたいんですが、どうも、それは、直接的に共有するような方法ではなくて、少し回りくどい方法で、でも確実に届くようにやらなければならないのかもな、と思っています。
ひとまず、ジャグリング雑誌のPONTEの最新号の入稿が数日前に済んでいます。
今回は、一回、どんどん配ってしまう、というやり方を試してみようと思っています。
理由は様々です。
ひとまず、最新号が出来上がったら、いろんな人に読んでもらいたいな、と、そのことを思っています。
2018年5月5日土曜日
第66回 「ルヴァン」が好きなわたし
「特定の人物の嗜好」はひとつの基準を提供します。
それは、おそらくどんな人であろうと、1人の人の中から必ず「立ち上がってしまう」ものだとも思います。
「この人の嗜好は、基準を提供しない」ということはないだろうと思います。
ただそれが、多くの人に支持され、同じような嗜好を身に付けたいと思われるか、そうでもないか、のどちらかなのだと思います。
人はそれを、「センス」と呼んだりするのでしょう。
あとは、その自分が「これを好きだ」という感覚に、どこまで寄り添っているか、ということが、その人の嗜好の好感度を決める尺度になっているような気がします。
いくら「僕はこれが好きだ」と声高に叫んでも、静かに、「本質的に」自分が好きなものを追いかけている人(対象に耽溺しているひと、というよりは、自分にきちんと対峙している人、かもしれない)にが示す基準には勝てないのだろうな、と思う。
「好みに寄り添う」というのは、自分は何が好きなのか?という問いを超えて、自分がこれを好きなのは何故なのか?ということを捉えようとする運動がもたらす結果だと思うからです。
僕はとりあえず、リッツがすごく好きです。
でもなんか最近のリッツってどうも脂っこいっていうか、味が昔と違うような気がするんだよな。
「ルヴァン」の方が、どちらかというと好みです。
それは、おそらくどんな人であろうと、1人の人の中から必ず「立ち上がってしまう」ものだとも思います。
「この人の嗜好は、基準を提供しない」ということはないだろうと思います。
ただそれが、多くの人に支持され、同じような嗜好を身に付けたいと思われるか、そうでもないか、のどちらかなのだと思います。
人はそれを、「センス」と呼んだりするのでしょう。
あとは、その自分が「これを好きだ」という感覚に、どこまで寄り添っているか、ということが、その人の嗜好の好感度を決める尺度になっているような気がします。
いくら「僕はこれが好きだ」と声高に叫んでも、静かに、「本質的に」自分が好きなものを追いかけている人(対象に耽溺しているひと、というよりは、自分にきちんと対峙している人、かもしれない)にが示す基準には勝てないのだろうな、と思う。
「好みに寄り添う」というのは、自分は何が好きなのか?という問いを超えて、自分がこれを好きなのは何故なのか?ということを捉えようとする運動がもたらす結果だと思うからです。
僕はとりあえず、リッツがすごく好きです。
でもなんか最近のリッツってどうも脂っこいっていうか、味が昔と違うような気がするんだよな。
「ルヴァン」の方が、どちらかというと好みです。
2018年5月4日金曜日
第65回 おじゃみんちゅ
昨日渡邉尚さんの話をしていたと思ったら、なんと、彼が新しい動画を出しました。
その名も、『おじゃみんちゅ』。
昨年末に、渡邉さんが住んでいる沖縄のお宅を訪ねて、この付近のビーチにも遊びに行きました。
そのおうちから浜が、ほど近かったので、朝7時前に起きて、犬やヤギを見物しながらだらだらと歩いて行って、誰もいない浜で海の静けさを眺めたりしました。
小さなビーチなんですが、水は綺麗だし、よく見ればいきものもたくさんいるし、なかなか幸せな場所でした。
「おじゃみひょん」というのは、彼のシリーズのタイトルというか、テーマみたいなものです。 一連の作品では、妖怪おじゃみひょんが、京都の民家に出たり、オーストリアの廃工場に出没したり、そしてこうして、友達と沖縄の海をプカプカ泳いでいたりします。
こんな力の抜け具合って本当にいいよな、と思います。
もちろん、いや、逆説的ですが、かなり動画としては力が入っているんだけど、それが、正しい方向に流れて行っている感じがします。目的とかあんまりないんだろうな、と。 ただ画面に映るものを見て、それが美しいな、とか、面白いな、とか、素直に感じ入って、終わり、です。
動画と全然関係ないんですけど、その沖縄の家の近くに、ベビーカーを押している十数体のカカシが忽然と現れる区画があるんですが、その場所を夜中に車で通る時、めちゃくちゃ怖かったです。
昨年末に、渡邉さんが住んでいる沖縄のお宅を訪ねて、この付近のビーチにも遊びに行きました。
そのおうちから浜が、ほど近かったので、朝7時前に起きて、犬やヤギを見物しながらだらだらと歩いて行って、誰もいない浜で海の静けさを眺めたりしました。
小さなビーチなんですが、水は綺麗だし、よく見ればいきものもたくさんいるし、なかなか幸せな場所でした。
「おじゃみひょん」というのは、彼のシリーズのタイトルというか、テーマみたいなものです。 一連の作品では、妖怪おじゃみひょんが、京都の民家に出たり、オーストリアの廃工場に出没したり、そしてこうして、友達と沖縄の海をプカプカ泳いでいたりします。
こんな力の抜け具合って本当にいいよな、と思います。
もちろん、いや、逆説的ですが、かなり動画としては力が入っているんだけど、それが、正しい方向に流れて行っている感じがします。目的とかあんまりないんだろうな、と。 ただ画面に映るものを見て、それが美しいな、とか、面白いな、とか、素直に感じ入って、終わり、です。
動画と全然関係ないんですけど、その沖縄の家の近くに、ベビーカーを押している十数体のカカシが忽然と現れる区画があるんですが、その場所を夜中に車で通る時、めちゃくちゃ怖かったです。
2018年5月3日木曜日
第64回 こんなにしょちゅうディアボロのスティック忘れる人っていますかね
またディアボロのスティックを練習に持ってくるのを忘れました。
リュックにはディアボロだけが入っています。 最近、日々のことをこなすのにカバンを変えることが多くて、どうもいけないです。
その点、ダンスっていうのは、一番基本的なことは、身体さえあればできるから、いいですね。 ダンスをやる人からしたら、「いや、そんなことない、音楽だって必要だし、これこれこういう道具が必要だし」とか、もろもろのジャンルで、最低限必要なものがあるのかもしれないんですけど、まぁとにかく、何かしらの訓練ができるわけじゃないですか。
ジャグリングにおいて、道具を忘れると何もできないことが多いです。
ただ、僕は渡邉尚さんを思い出します。 彼は昔、ルービックキューブにハマっていたそうです。 でも、もし無人島に行ったとして、ルービックキューブ、つまりこの「特定のモノ」がなかったら、できひんやん、というので、それに気がついてからは、「石とか、ヤシの実しかなくてもできるジャグリング」を志向するようになったそうです。
彼は、「奪われないジャグリング」を目指しているのだ、と言いました。 積み立てた技術の修練が、どんなことをされても無駄にならない、ということだと僕は解釈してます。
僕なんかは、渡邉さんよりももっとずっと平凡な人間で、まぁ奪われたらその時はその時だ、と思うというか、ある程度道具に縛られてしまうのも仕方ないかなと思っています。というか、悔しながら、奪われないジャグリングを目指すとなると、すごくよく考えて、「飽きた」とか言わないで途方も無いくらいよく研究しないといけないのだろう、と僕には思われるので、そういう根源的な問いかたを一生し続けるだけのバイタリティがちょっとないんじゃないか、とひるんでしまうんですね。
とりあえずこうやって道具を忘れて、何かできないかな、と考えると、そうか、とりあえず体を鍛えればいいのかな、とか思うので、最近練習している逆立ちとか、ウィンドミルとか、そういうのをやろうと思います。 ジャグリングだと思ってやっているわけではないですが。 でもジャグリングばっかりしていたら、鍛えられない筋肉とか、柔軟性とかあるし、ともするとジャグリングと全然無関係じゃ、ないですよね。
言い訳っぽいかな。
リュックにはディアボロだけが入っています。 最近、日々のことをこなすのにカバンを変えることが多くて、どうもいけないです。
その点、ダンスっていうのは、一番基本的なことは、身体さえあればできるから、いいですね。 ダンスをやる人からしたら、「いや、そんなことない、音楽だって必要だし、これこれこういう道具が必要だし」とか、もろもろのジャンルで、最低限必要なものがあるのかもしれないんですけど、まぁとにかく、何かしらの訓練ができるわけじゃないですか。
ジャグリングにおいて、道具を忘れると何もできないことが多いです。
ただ、僕は渡邉尚さんを思い出します。 彼は昔、ルービックキューブにハマっていたそうです。 でも、もし無人島に行ったとして、ルービックキューブ、つまりこの「特定のモノ」がなかったら、できひんやん、というので、それに気がついてからは、「石とか、ヤシの実しかなくてもできるジャグリング」を志向するようになったそうです。
彼は、「奪われないジャグリング」を目指しているのだ、と言いました。 積み立てた技術の修練が、どんなことをされても無駄にならない、ということだと僕は解釈してます。
僕なんかは、渡邉さんよりももっとずっと平凡な人間で、まぁ奪われたらその時はその時だ、と思うというか、ある程度道具に縛られてしまうのも仕方ないかなと思っています。というか、悔しながら、奪われないジャグリングを目指すとなると、すごくよく考えて、「飽きた」とか言わないで途方も無いくらいよく研究しないといけないのだろう、と僕には思われるので、そういう根源的な問いかたを一生し続けるだけのバイタリティがちょっとないんじゃないか、とひるんでしまうんですね。
とりあえずこうやって道具を忘れて、何かできないかな、と考えると、そうか、とりあえず体を鍛えればいいのかな、とか思うので、最近練習している逆立ちとか、ウィンドミルとか、そういうのをやろうと思います。 ジャグリングだと思ってやっているわけではないですが。 でもジャグリングばっかりしていたら、鍛えられない筋肉とか、柔軟性とかあるし、ともするとジャグリングと全然無関係じゃ、ないですよね。
言い訳っぽいかな。
2018年5月2日水曜日
第63回 カルチャーに音楽がついてくること
最近よくブレイクダンスの動画を観ます。
ブレイクダンス用の曲を集めたものもよく聞いています。練習するときや、歩くときに、気分がほどよく上がって気持ちがいい。
度々思うんですが、ブレイクダンスって、その底に、HIPHOPという文化があって、その上で成り立っている、ということが羨ましいな、と思うことがあります。(浅い理解なのかもしれないですけど)
その下支えになる文化がそれほどない中で、ジャグリングに「合う」音楽ってなんなんだろうな、と思います。
サーカス、もなんか違うんだよな。
ブレイクダンス用の曲を集めたものもよく聞いています。練習するときや、歩くときに、気分がほどよく上がって気持ちがいい。
度々思うんですが、ブレイクダンスって、その底に、HIPHOPという文化があって、その上で成り立っている、ということが羨ましいな、と思うことがあります。(浅い理解なのかもしれないですけど)
その下支えになる文化がそれほどない中で、ジャグリングに「合う」音楽ってなんなんだろうな、と思います。
サーカス、もなんか違うんだよな。
2018年5月1日火曜日
第62回 ブリアンツァのジャグリングコンベンション
イタリアのBrianza (ブリアンツァ)というところで、Convention di Giocoleria della Brianza (コンベンション・ディ・ジョコレリーア・デッラ・ブリアンツァ)というフェスティバルが進行中です。
こんな感じ。
僕自身、2012年に参加したことがあります。
北イタリア、ミラノに近い、ブリアンツァという町で、少々行きづらいところでやっています。
最寄駅に着いたは良いものの、駅からの行き方がわからず困っていたら、別のイタリア人の4人組が助けてくれました。(ミニバスの運ちゃんに交渉して、目的地で降ろしてもらった。)彼らがいなかったら、本当にどうなっていたかわからない。
もう今年で12年目だそうです。
ゲストをみても、ウェスもいるし、アリアネ・アンド・ロクサナもいるし、とにかく今年も、面白い人たちがたくさんいるようです。
別に日本のジャグリングフェスティバルがどうこう言いたいわけじゃ決して(いや、ほんとに)ないんですが、外国で参加するジャグリングのフェスティバルって、高揚感が別次元です。特にヨーロッパのジャグリングフェスティバルは。落ち着く場所がない、というところが、おそらく良いんだと思う。
そもそも、ジャグラーのいい感じの混ざり具合が良かったりもします。
いろんな国籍の、多様なバックグラウンドの人たちが来ている感じ。
上裸でキャンピングカーで来るようなワイルドな人たちもいたりします。
そういえば僕が行った時は、帰り、「ミラノ駅までなら乗せてってやるよ」と言われて、黒い犬と一緒にキャンピングカーに乗せられて、そのワイルドな人たちと話しながら帰ったりしました。
ああいう経験って、あんまり他ではできないです。
こんな感じ。
Paolo Scannavinoさん(@dottordudy)がシェアした投稿 -
僕自身、2012年に参加したことがあります。
北イタリア、ミラノに近い、ブリアンツァという町で、少々行きづらいところでやっています。
最寄駅に着いたは良いものの、駅からの行き方がわからず困っていたら、別のイタリア人の4人組が助けてくれました。(ミニバスの運ちゃんに交渉して、目的地で降ろしてもらった。)彼らがいなかったら、本当にどうなっていたかわからない。
もう今年で12年目だそうです。
ゲストをみても、ウェスもいるし、アリアネ・アンド・ロクサナもいるし、とにかく今年も、面白い人たちがたくさんいるようです。
別に日本のジャグリングフェスティバルがどうこう言いたいわけじゃ決して(いや、ほんとに)ないんですが、外国で参加するジャグリングのフェスティバルって、高揚感が別次元です。特にヨーロッパのジャグリングフェスティバルは。落ち着く場所がない、というところが、おそらく良いんだと思う。
そもそも、ジャグラーのいい感じの混ざり具合が良かったりもします。
いろんな国籍の、多様なバックグラウンドの人たちが来ている感じ。
上裸でキャンピングカーで来るようなワイルドな人たちもいたりします。
そういえば僕が行った時は、帰り、「ミラノ駅までなら乗せてってやるよ」と言われて、黒い犬と一緒にキャンピングカーに乗せられて、そのワイルドな人たちと話しながら帰ったりしました。
ああいう経験って、あんまり他ではできないです。
登録:
投稿 (Atom)


