Twitterで、EJC(世界最大のジャグリングフェスティバル)の運営から、「どうもありがとう」というメッセージが来た。
noteで最近やっている、EJCの日本人向けの解説についてお礼を言われたのだ。昔の自分からしたら信じられないことだ。
僕が初めてEJCに出会ったのは、2007年。
東京の板橋にあるジャグリングショップ・ナランハで記録映像DVDを見た。
その時は、自分が「そこに行く」ということがそもそも考えられなかった。
僕にとってはその時点で(高校1年生だった)横浜から電車に一時間半乗って東京に行くだけで冒険だった。映像の中でたくさんのジャグラーが(それも今までほとんど会ったこともないような欧米のジャグラーが)楽しそうにしている様子を、指をくわえながら見ていた。
一人で海外に行くなんて、そんな危ないことは普通はできないもんだ、と思っていた。まずどういう風に自分で海外に行くのかも全く見当がつかない。当時ナランハの店員だった(その時にはもう店長だったかな?)繁岡さんはEJCに何度も行ったことがあるらしくて、彼の話を聞いて、シゲさん、すげえなあ、と思っていた。
それから5年経って2012年、僕はポーランドで開かれたEJCの中にいた。
それ以来2018年まで、一回だけを除き全てのEJCに参加してきた。だから、通算6回EJCに行っている。
たぶん、日本人の中ではかなり多く参加している、というか、もしかしたら最多回数参加者かもしれない。(昔のことは知らないからもしかしたら、もっと行っている方もいるかもしれない)
これは本当に不思議ですよ。
僕は EJCを通して、ああ、いつだって、将来何が起こるかわからない、っていうのは、こういうことなんだな、と思う。
そういうことを思うにつけ、そうだな、今はジャグリングの雑誌の編集をしているが、10年後に、もしかするとフィンランドのデザイン事務所で働いていたりするかもしれない、と思う(たとえば、の話ですが)。
僕にとっては、今EJCの運営と繋がりがあるというのは(そうだよ、2年連続で出店なんかもしちゃってさ)ほんとに、それぐらい驚くべきことなんだ。
2018年12月23日日曜日
ジャグリングの郵便箱 第273回 いいも悪いも、とにかくタネを育てよ
「あまりにも考え過ぎてしまうと、逆に何も出てこなくなる」ということが多いです。
文章がその最たるものです。
キーボードを前にして一時間、何も出てこない。そういう時は、「価値判断をしすぎているとき」のような気がします。
「これは面白くないだろうな」とか、「これは書き始めてしまうと長くなりそうだな」とか。その一歩を躊躇している。
でも、だいたいにおいて予想はほぼ当たりません。書いてみたら思っていたよりは面白い展開をできたり、すらすらと書けてしまったりする。(そういう時は、自分でもびっくりする)逆に、簡単に書けると思っていたことが、存外手間のかかるものだったりする。
その差は、「夢」と「現実」くらい違う。まぁ、想像と夢って似たようなものですよね。どちらも、頭の中で作り出している、ほんわか、ぼんやり、ふんわりした像です。感触としては現実にかなり近いんだけど、それをアウトプットしてもう一回鑑賞した時、どうしても、「なんかちげえな」感が拭えないのが常です。
そういう時は、とにかく黙って書き始めてしまうしかないんだろうと思う。
文章を書き始めて、ある程度のかさができてから、初めて「ああ、この部分はいいけど、この部分はよくないかな」と、具体的に触れるものとして手を入れることができます。
もちろん、その具体的な試行錯誤に時間がかかるわけです。
そのことを僕はいつも忘れる。
「素晴らしいことを思いつく」のが難しい、時間のかかることなんだ、と間違った思いを抱いてしまう。
そうじゃないんだ。
何もないところに、勇気を出して、いいタネか悪いタネか見た目じゃわからないが、ひとまずひとつのタネを撒いて、それをある程度育ててから、もしダメならまた別のタネを試す、そのダメだった時の「時間の無駄」を考慮した時間をたっぷりかける、ということこそが大事なんだ。
そしていざタネを育てはじめると、たとえ出来上がりが悪くても、少なくとも何かを期待しながら水をやり、育てている最中というのは、それ自体が、かなり充実した、いい時間だよな、と感じる。
文章がその最たるものです。
キーボードを前にして一時間、何も出てこない。そういう時は、「価値判断をしすぎているとき」のような気がします。
「これは面白くないだろうな」とか、「これは書き始めてしまうと長くなりそうだな」とか。その一歩を躊躇している。
でも、だいたいにおいて予想はほぼ当たりません。書いてみたら思っていたよりは面白い展開をできたり、すらすらと書けてしまったりする。(そういう時は、自分でもびっくりする)逆に、簡単に書けると思っていたことが、存外手間のかかるものだったりする。
その差は、「夢」と「現実」くらい違う。まぁ、想像と夢って似たようなものですよね。どちらも、頭の中で作り出している、ほんわか、ぼんやり、ふんわりした像です。感触としては現実にかなり近いんだけど、それをアウトプットしてもう一回鑑賞した時、どうしても、「なんかちげえな」感が拭えないのが常です。
そういう時は、とにかく黙って書き始めてしまうしかないんだろうと思う。
文章を書き始めて、ある程度のかさができてから、初めて「ああ、この部分はいいけど、この部分はよくないかな」と、具体的に触れるものとして手を入れることができます。
もちろん、その具体的な試行錯誤に時間がかかるわけです。
そのことを僕はいつも忘れる。
「素晴らしいことを思いつく」のが難しい、時間のかかることなんだ、と間違った思いを抱いてしまう。
そうじゃないんだ。
何もないところに、勇気を出して、いいタネか悪いタネか見た目じゃわからないが、ひとまずひとつのタネを撒いて、それをある程度育ててから、もしダメならまた別のタネを試す、そのダメだった時の「時間の無駄」を考慮した時間をたっぷりかける、ということこそが大事なんだ。
そしていざタネを育てはじめると、たとえ出来上がりが悪くても、少なくとも何かを期待しながら水をやり、育てている最中というのは、それ自体が、かなり充実した、いい時間だよな、と感じる。
チケットを買いました&ブース申し込み連絡をしました。(ジャグリングの郵便箱 第272回)
タイトルをすこし変えました。「EJCが始まるまで僕が何をしているのか」ということをあくまで個人的に語ろうと思います。
EJC2019に入るためのチケットを買いました。いえい。
割引一切なし価格の「メガ・サポーター」というチケットもあったのですが、色々と今先立つものが必要なため、普通の「サポーターチケット」を買いました。
このチケットの区分ですが、
Mega Supporter 会場で買うのと同じ値段
Amazing Supporter サポーターチケットより少し高い値段
Supporter Ticket 少し上乗せの値段
Concession Ticket 割引価格
中身は変わりません。なんらかのサポーターのチケットの人は、食券か何かがもらえるようですが、基本的には「払える人が多めに払うことで、払えない人/ボランティアで成り立っているEJCそのもの」への貢献ができるということが報酬です。ひと肌脱いでやるか、という方は高い方のチケットを買ってあげてください。
そしてもうひとつ、PONTEとして出店するための申し込みをしました。というか、とりあえずブース担当にコンタクトをとりました。今年はかなりしっかりしていて、何を売るのか、など、きっちり書かないといけないみたいです。
EJC2019に入るためのチケットを買いました。いえい。
割引一切なし価格の「メガ・サポーター」というチケットもあったのですが、色々と今先立つものが必要なため、普通の「サポーターチケット」を買いました。
このチケットの区分ですが、
Mega Supporter 会場で買うのと同じ値段
Amazing Supporter サポーターチケットより少し高い値段
Supporter Ticket 少し上乗せの値段
Concession Ticket 割引価格
中身は変わりません。なんらかのサポーターのチケットの人は、食券か何かがもらえるようですが、基本的には「払える人が多めに払うことで、払えない人/ボランティアで成り立っているEJCそのもの」への貢献ができるということが報酬です。ひと肌脱いでやるか、という方は高い方のチケットを買ってあげてください。
そしてもうひとつ、PONTEとして出店するための申し込みをしました。というか、とりあえずブース担当にコンタクトをとりました。今年はかなりしっかりしていて、何を売るのか、など、きっちり書かないといけないみたいです。
第271回 状況を変える
昨日、ジャグラーのShogunと少し話した。わりに、大事な話をした。少し大きな決断についての話をするというのは、何につけいいもんだな。
「自分を変えよう」と思うことは往々にしてあるけれども、それは、要するに、「自分がいる状況を思い切って変えよう」ということであるのだろう。
「自分を変えよう」と思うことは往々にしてあるけれども、それは、要するに、「自分がいる状況を思い切って変えよう」ということであるのだろう。
第270回 続けるには
こういう、毎日続けるようなことを、いかに続けていくか。僕は、そのコツは期待しないことにあるだろう、と思う。何か具体的な効用を期待して文章を毎日書いても、特に変化は感じられない。事実、僕がこうして毎日、旅行に出ていても、身内に不幸があっても、つらいことがあっても、ひとまず、曲がりなりにも数で言えば一日一個、文章を書いてきたけど、それで何か得たのか、と聞かれても、さあ、としか言えない。もちろん一銭にもなっていない。(嬉しいことはあったけどね。)
半年以上前の文章にも、同じような所感があるので、まるまる引用しておく。
第24回より引用
>>>
毎日ジャグリングについて面白く書くというのは、あまり易しいことではありません。
ジャグリング雑誌の編集長をしているくらいなので、多少はジャグリングについて世間一般の人よりジャグリングについて深く考えている自信はあります。
しかしそれとこれとは話が全く違います。
ジャグリングに関して、コペルニクス的転回を与える気づきだとか、海外で起きた面白い話だとか、奇想天外なインタビューだとか、とにかく読者が何らかの喜びを感じるような話題を毎日提供しなければならないとしたら、それは生半可なことではありません。
僕もそれなりに頑張っていますが、どうもそういうのを「ひねりだして」書こうと思っても、筆が前に進まないんですね。「面白いことをしよう」というプレッシャーを過度に自分に与え過ぎてしまうと、ものが書けなくなります。
それよりは、そういう思い込みから「まぁまぁ」と自分を解放してあげて、自然と、書きたいと思えるお話を書くほうが、書くほうにとっても読む方にとっても、無理のない、楽しみがいのあることなんじゃないか、と思います。(もしくは、「そんな風にして書かれたもの読むのは時間の無駄だ」とおっしゃる方もいるかもしれませんね。ごもっともです。読まれなくても仕方ない。)
しかし人が読んでも面白い上に、自分が書きたいこと、というのはそんなに簡単に、毎日、日の出みたいにきっちり出て来てくれません。多くの場合、そういうことは、とてもランダムなタイミングで、形があやふやな状態で、頭に浮かびます。そのスパンは、3週間にいっぺんだったり、1日に3回だったりします。
しかもそれは往往にして、お風呂に入ってゆっくりしているときだったり、駅まで歩いているときだったりします。もしくは心底楽しんでいる時とか。だからパッとその場で書けるような状況にない時が多い。自然、その思念は具体化されるタイミングを失って、忘れ去られることが大半となります。
そういう意味で、毎日何かしら書くということがとても大切だと思っています。
ジャグリングの練習でも毎日触れる、ということを、今は大事にしている。
少なくとも毎日やる、と決めていれば、「思念が具体化されるタイミング」は一日一回は絶対あることになります。毎日何かしら道具に触れる、と決めていれば、道具に関する発見の機会は、少なくとも一日一回はある、ということになります。
日々面白いことをするとか、書くとか、そういう志で限界にチャレンジする方がもっと立派だし、クリエイティブなのかもしれないし、そういうストイックな考え方もあっていいのかもしれません。
でも少なくとも僕にはちょっとそういうことはできそうにありません。時間も限られているし。それよりは今、「飽きてもいいから、やめないで続ける」ということ自体にやりがいを見出そうとしています。
誰かがいい反応をしてくれること、とか、自分が充足を感じること、というのは、二の次、三の次にしておく。そういうのばっかり気にしていると、途中で疲れちゃったり、「なんだか、やるせないや」というような気分になってしまうからです。
それに、「1000日何かを続けた」人を追いかけるには、その人が「その日から1000日やる」ことでしか追いつけないよな、とも思うからです。
半年以上前の文章にも、同じような所感があるので、まるまる引用しておく。
第24回より引用
>>>
毎日ジャグリングについて面白く書くというのは、あまり易しいことではありません。
ジャグリング雑誌の編集長をしているくらいなので、多少はジャグリングについて世間一般の人よりジャグリングについて深く考えている自信はあります。
しかしそれとこれとは話が全く違います。
ジャグリングに関して、コペルニクス的転回を与える気づきだとか、海外で起きた面白い話だとか、奇想天外なインタビューだとか、とにかく読者が何らかの喜びを感じるような話題を毎日提供しなければならないとしたら、それは生半可なことではありません。
僕もそれなりに頑張っていますが、どうもそういうのを「ひねりだして」書こうと思っても、筆が前に進まないんですね。「面白いことをしよう」というプレッシャーを過度に自分に与え過ぎてしまうと、ものが書けなくなります。
それよりは、そういう思い込みから「まぁまぁ」と自分を解放してあげて、自然と、書きたいと思えるお話を書くほうが、書くほうにとっても読む方にとっても、無理のない、楽しみがいのあることなんじゃないか、と思います。(もしくは、「そんな風にして書かれたもの読むのは時間の無駄だ」とおっしゃる方もいるかもしれませんね。ごもっともです。読まれなくても仕方ない。)
しかし人が読んでも面白い上に、自分が書きたいこと、というのはそんなに簡単に、毎日、日の出みたいにきっちり出て来てくれません。多くの場合、そういうことは、とてもランダムなタイミングで、形があやふやな状態で、頭に浮かびます。そのスパンは、3週間にいっぺんだったり、1日に3回だったりします。
しかもそれは往往にして、お風呂に入ってゆっくりしているときだったり、駅まで歩いているときだったりします。もしくは心底楽しんでいる時とか。だからパッとその場で書けるような状況にない時が多い。自然、その思念は具体化されるタイミングを失って、忘れ去られることが大半となります。
そういう意味で、毎日何かしら書くということがとても大切だと思っています。
ジャグリングの練習でも毎日触れる、ということを、今は大事にしている。
少なくとも毎日やる、と決めていれば、「思念が具体化されるタイミング」は一日一回は絶対あることになります。毎日何かしら道具に触れる、と決めていれば、道具に関する発見の機会は、少なくとも一日一回はある、ということになります。
日々面白いことをするとか、書くとか、そういう志で限界にチャレンジする方がもっと立派だし、クリエイティブなのかもしれないし、そういうストイックな考え方もあっていいのかもしれません。
でも少なくとも僕にはちょっとそういうことはできそうにありません。時間も限られているし。それよりは今、「飽きてもいいから、やめないで続ける」ということ自体にやりがいを見出そうとしています。
誰かがいい反応をしてくれること、とか、自分が充足を感じること、というのは、二の次、三の次にしておく。そういうのばっかり気にしていると、途中で疲れちゃったり、「なんだか、やるせないや」というような気分になってしまうからです。
それに、「1000日何かを続けた」人を追いかけるには、その人が「その日から1000日やる」ことでしか追いつけないよな、とも思うからです。
第269回 せんだいキッズジャグリングフェスティバル
仙台で、子供たちを主役とした、ジャグリングフェスティバルを見てきました。その名もせんだいキッズジャグリングフェスティバル。
主催は、仙台で活動するパフォーマーのチーム、ホゴノプロフィス。
ショーとワークショップ、どちらも行われました。
ショーの時間では、4つの児童館の子供達が、それぞれ約半年間練習してきたディアボロの演技を見せる。ワークショップでは、参加者全員を対象に、道具別でジャグリングが教えられる。
参加していたのは、主に児童館の子供たちと保護者だったよう。
あとは外部の人とスタッフ。ホゴノプロフィス代表の本郷さん(本郷さんは、日本ジャグリング協会の現理事長でもあります)によれば、100人弱来場したようです。体感としても、結構人がいました。うん。
ゲストショー、ホゴノプロフィスのメンバーによるショーも豊富にあったりと内容盛りだくさん。保護者の方々も喜んでいました。
なんだかね、子供達を見ていて、ああ、俺も小さい頃こういう風に見られていたんだな、とおもうのと同時に、隣にいるだいごさんはもう子供がいて、5年後くらいにはこういう風に自分の子を眺めているのかもしれないよな、とか、いや、自分だって子供を持って、こういう心持ちで我が子を見守る日がいつか来るかもしれないよな、とか、思って心に熱いものがこみ上げたというか、いや、そんな言い方は非常に大げさなわけですが、なんといいますか、それなりに感じるところがありました。
イベント後は、打ち上げにも参加させてもらいました。そして、夜行バスで帰る。
現在、この原稿は、夜行バス明けで、出勤するまでの時間、カフェに入って書いている。タイミングが「かちっ」と、はまった気持ち良さは、あるよな。
主催は、仙台で活動するパフォーマーのチーム、ホゴノプロフィス。
ショーとワークショップ、どちらも行われました。
ショーの時間では、4つの児童館の子供達が、それぞれ約半年間練習してきたディアボロの演技を見せる。ワークショップでは、参加者全員を対象に、道具別でジャグリングが教えられる。
参加していたのは、主に児童館の子供たちと保護者だったよう。
あとは外部の人とスタッフ。ホゴノプロフィス代表の本郷さん(本郷さんは、日本ジャグリング協会の現理事長でもあります)によれば、100人弱来場したようです。体感としても、結構人がいました。うん。
ゲストショー、ホゴノプロフィスのメンバーによるショーも豊富にあったりと内容盛りだくさん。保護者の方々も喜んでいました。
なんだかね、子供達を見ていて、ああ、俺も小さい頃こういう風に見られていたんだな、とおもうのと同時に、隣にいるだいごさんはもう子供がいて、5年後くらいにはこういう風に自分の子を眺めているのかもしれないよな、とか、いや、自分だって子供を持って、こういう心持ちで我が子を見守る日がいつか来るかもしれないよな、とか、思って心に熱いものがこみ上げたというか、いや、そんな言い方は非常に大げさなわけですが、なんといいますか、それなりに感じるところがありました。
イベント後は、打ち上げにも参加させてもらいました。そして、夜行バスで帰る。
現在、この原稿は、夜行バス明けで、出勤するまでの時間、カフェに入って書いている。タイミングが「かちっ」と、はまった気持ち良さは、あるよな。
2018年11月24日土曜日
第268回 盛岡 ダンスとジャグリングのスタジオ tasse。
盛岡にある、Dance Juggling Studio tasse というところへ、公演を観に行ってきました。それに関するひとくち日記です。
tasseは、照明、内装にもひとつひとつこだわっている、とても素敵なスタジオでした。
ジャグラー・山村佑理くん(久しぶりに会った)(上写真右から二番目)と坂上健さん(初めて会った)(上写真一番右)というダンサーのデュオによるインプロは、ユーモア溢れるもので観ていて掛け値無しに楽しかったです。もちろん、見せる部分では、ぴしっ、ぴしっ、と見せてきます。そのバランス感覚が、さすが。スタジオそのものの居心地のよさと、技術が確かな二人がつくりだす、いわばしっかりとした土台の上に立つおもしろ建築を見ているような可笑しみが、見ていてとても気分のいいものでした。
そして、tasseの物販コーナーに、PONTEも置いていただけることになりました。11月30日より販売開始とのこと。
公演は月曜日までやっています。お近くの方は、ぜひ。
詳しくはこちら
tasseは、照明、内装にもひとつひとつこだわっている、とても素敵なスタジオでした。
ジャグラー・山村佑理くん(久しぶりに会った)(上写真右から二番目)と坂上健さん(初めて会った)(上写真一番右)というダンサーのデュオによるインプロは、ユーモア溢れるもので観ていて掛け値無しに楽しかったです。もちろん、見せる部分では、ぴしっ、ぴしっ、と見せてきます。そのバランス感覚が、さすが。スタジオそのものの居心地のよさと、技術が確かな二人がつくりだす、いわばしっかりとした土台の上に立つおもしろ建築を見ているような可笑しみが、見ていてとても気分のいいものでした。
そして、tasseの物販コーナーに、PONTEも置いていただけることになりました。11月30日より販売開始とのこと。
公演は月曜日までやっています。お近くの方は、ぜひ。
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