昨日はPMJugglingのだいごさんと一緒にいた。
EJCの取材をどうしよう、とか、これからPONTEはどうしよう、とか、そういうことを品川の喫茶店で話した。
2人で進めている他の企画のことも進めた。
話自体は、紆余曲折があって、なかなかすんなりと結論に辿り着かない。
でもこれは、必要なプロセスなんだよな、と思う。
こういう逡巡を一人で頭の中でやっていると、すごく焦ってしまう。
こんなに時間をかけていていいのかな、とか、方向性はこれであっているのかな、とかね。
けれどだいごさんに話しながら考えている間は、その不安そのものも話すことになって、それで一通り不安を話した後は、すんなりコトが進んだりする。
「効率化する」のではなくて、「それだけ時間がかかるんだ」ということを受け入れるのが、僕には合っている気がする。
しかもそれを、一人じゃなくて、二人でやると、時間がかかっていても大丈夫なんだ、と思える。
結果的に、生まれてくるアイデアも、もっと耕されたものになっている。
喫茶店では、変わったアイスコーヒーを飲んだ。
シロップが選べたりして、面白かったが、別に普通のコーヒーでもいいかな、と思う。
2018年7月6日金曜日
第128回 今日の気づき。
ジャグリングで、向いている方向というのは人それぞれだ。
でもいろんな方向がある中で、ジャグリングって、大元のことを言えば、一人で取り組めていればそれでいいもので、「情報」は、そもそも絶対必要とされているものじゃないんだ、ということが今日の最大の気づきだった。
PONTEも、そもそもが、別に「必要とされている」からやっているわけではないんだ、と思うと、それがようやく、出発点になれる気がした。
別に「絶対に必要なものではない」というのは、ショックなことではない。
自分にとっては、PONTEがつなげてくれたこと、とか、PONTEを作っていてできたこと、というのがたくさんあって、そういうことをとにかく大切に育てられたらいいな、と思うし、それをもっとわかりやすい形で、開いていきたいなと思う。
気がついたら、世界中のジャグラーと知り合うようになっていた。
今夏のヨーロッパも、楽しみだな。
でもいろんな方向がある中で、ジャグリングって、大元のことを言えば、一人で取り組めていればそれでいいもので、「情報」は、そもそも絶対必要とされているものじゃないんだ、ということが今日の最大の気づきだった。
PONTEも、そもそもが、別に「必要とされている」からやっているわけではないんだ、と思うと、それがようやく、出発点になれる気がした。
別に「絶対に必要なものではない」というのは、ショックなことではない。
自分にとっては、PONTEがつなげてくれたこと、とか、PONTEを作っていてできたこと、というのがたくさんあって、そういうことをとにかく大切に育てられたらいいな、と思うし、それをもっとわかりやすい形で、開いていきたいなと思う。
気がついたら、世界中のジャグラーと知り合うようになっていた。
今夏のヨーロッパも、楽しみだな。
2018年7月5日木曜日
第127回 PMボール
久々に、新しいボールを手にしました。
PM Jugglingが作っている、PMボールです。
これがとても触り心地のいいボールで、もらった時には机の前に座っていたのですが、つい机の上で遊んでしまいました。
ポンポンと跳ねる感触も、他のボールに無い特徴です。
ボールを受け取った日、嬉しくて夜中に外に出て少しジャグリングをして来ました。
やっぱり、新しい道具っていうのはワクワクしますね。
だいごさんありがとう。
PM Jugglingが作っている、PMボールです。
これがとても触り心地のいいボールで、もらった時には机の前に座っていたのですが、つい机の上で遊んでしまいました。
ポンポンと跳ねる感触も、他のボールに無い特徴です。
ボールを受け取った日、嬉しくて夜中に外に出て少しジャグリングをして来ました。
やっぱり、新しい道具っていうのはワクワクしますね。
だいごさんありがとう。
2018年7月4日水曜日
第126回 たまに思うこと
ジェイが、ジャグリングだけで食べている、ということを思う時、この人はものを投げたりすることでお金を稼いでいるんだ、と思う。
それを言うなら、ダンサーは体を動かすだけでお金を稼いでいる。
しかし、「ジャグリングで食べています」と言うのは、なんだか面白いなあ、と思う。
同時に、かっこいいなあ、とも思う。
ものを器用に投げることに、経済的価値がつくのだ。
それがなんだか、面白い。
芸能に経済的価値がつくことの根幹はなんだろうか、と考える。
それを言うなら、ダンサーは体を動かすだけでお金を稼いでいる。
しかし、「ジャグリングで食べています」と言うのは、なんだか面白いなあ、と思う。
同時に、かっこいいなあ、とも思う。
ものを器用に投げることに、経済的価値がつくのだ。
それがなんだか、面白い。
芸能に経済的価値がつくことの根幹はなんだろうか、と考える。
2018年7月3日火曜日
第125回 道具をいつも持ち歩いているのかどうか
道具とか、いつも持ち歩いているの、と知り合いの方に聞かれた。
確かに持ち歩いている。
持ち歩いているのは、「とりあえず」という比較的消極的な理由からである。
持って歩いているわりに、使わないことが多かったりする。
こんなんじゃダメだな、と思う。
きちんと予定を立てて、練習するときは、本気で練習したいよな、と思うのだが、予定を立てたりするのが得意じゃない。
ジャグリングって、本気で練習しているときは進歩の喜びがあるし、流れるように、自分が気持ちいいように練習するときは、身体的な快楽の喜びがある。
その両方をバランスよく人生に取り入れたいんだけど、どうしても、ただ身体的な快楽ばっかりに流れてしまうことが、よくある。
ダメだなぁ、とは思うんだけど。
でもそれを否定する気もあんまりなかったりする。
確かに持ち歩いている。
持ち歩いているのは、「とりあえず」という比較的消極的な理由からである。
持って歩いているわりに、使わないことが多かったりする。
こんなんじゃダメだな、と思う。
きちんと予定を立てて、練習するときは、本気で練習したいよな、と思うのだが、予定を立てたりするのが得意じゃない。
ジャグリングって、本気で練習しているときは進歩の喜びがあるし、流れるように、自分が気持ちいいように練習するときは、身体的な快楽の喜びがある。
その両方をバランスよく人生に取り入れたいんだけど、どうしても、ただ身体的な快楽ばっかりに流れてしまうことが、よくある。
ダメだなぁ、とは思うんだけど。
でもそれを否定する気もあんまりなかったりする。
2018年7月2日月曜日
第124回 まだ見たことのないジャグリング
まだ見たことのないジャグリング道具、って、どれぐらいあるんだろう?
たとえば屋台のお兄ちゃんが器用に操るラーメンさばきであるとか、(シンガポールで見た)何聞いたこともないような国で行われている民族伝統の踊りみたいなものとか、そういうところに、素晴らしいジャグリングって、まだまだ見いだせるんだろうな、と思う。
そうか、なるほど、これはジャグリングかもしれない、と思うような、発見の旅を、してみたいな。
たとえば屋台のお兄ちゃんが器用に操るラーメンさばきであるとか、(シンガポールで見た)何聞いたこともないような国で行われている民族伝統の踊りみたいなものとか、そういうところに、素晴らしいジャグリングって、まだまだ見いだせるんだろうな、と思う。
そうか、なるほど、これはジャグリングかもしれない、と思うような、発見の旅を、してみたいな。
2018年7月1日日曜日
第123回 夜にジャグリングをするとき
体育館を借りてジャグリングをする。
夜、誰もいない体育館で一人ジャグリングを、音楽もかけずにやっている時にだけ感じる、道具との親密感みたいなものがある。
ディアボロが紐を伝う感覚が、意識になる、という時がある。
普段は、自分が、ディアボロを動かしている、みたいな意識であることが大半なのだが、集中していると、自分自身の意識が、もう道具そのものである、みたいになる時がある。
ありませんか?
夜、誰もいない体育館で一人ジャグリングを、音楽もかけずにやっている時にだけ感じる、道具との親密感みたいなものがある。
ディアボロが紐を伝う感覚が、意識になる、という時がある。
普段は、自分が、ディアボロを動かしている、みたいな意識であることが大半なのだが、集中していると、自分自身の意識が、もう道具そのものである、みたいになる時がある。
ありませんか?
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