2019年1月31日木曜日

第303回 まぁ、にっきみたいな

昨日はめまぐるしかった。
本当は昼まで家で仕事をしようと思ったんだが、急遽上野公園にある東京都現代美術館に行くことにする。
というのも、友人がジャグリングをモチーフにした、東京藝大卒業作品を作っていて、それを展示していたからだ。


ひさしぶりに訪れた上野は気持ちよく晴れていて、人も少なく、清々しかった。

作品のことは、追ってPONTEで記事にする。
上野をでたら、すぐに高田馬場に向かう。 パフォーマンスの仕事があったのだ。 それが終わると電車にじっくり揺られて家に帰る。
途中東京駅を通るルートで帰る。
僕はすごく東京駅が好きだ。
本当に好きだ。
電車の中でもいろいろやる。一時間ぐらい乗っていると、いろんなことが捗って、あっという間に家につくね。ツイートもなんだか多かった。
帰ってからいつもの体育館に行って練習する。60円で2時間も借りられるところで、距離も、原付でぶんぶん走って10分とかからないので、とても使いやすい。 施設の人も親切なのだ。 で、帰ってきて、ご飯を食べたり動画を見返したりして、寝る。 実質休みみたいな日だったけど、まぁ、月並みだけど、充実していてよかったな。

2019年1月30日水曜日

第302回 50歳になった僕は何を思っているか?

この文章を50歳になった僕が読んでいることを想像している。
月並みに「若いなぁ」とか思うのかもしれない。
どうかな。

自分が50歳になるなんて、今は全然思っていない。
同時に、50歳になった自分は、きっと自分が27歳であったことなんて忘れているに違いない。
僕が今4歳であったことを忘れてるのと同じように。

けどじゃあ今、僕は本当に昨日の自分のことならば「覚えている」のだろうか?
それもなんだか、不確かなような気がする。


今僕が会う50歳の人も、23年前は27歳だったことをおもう。
僕にとってその人は、「50歳っぽい人」として認識されている。そして実は、その人自身も、きっと自分が23年前に27歳だったことなんて忘れているに違いない。

僕が今、当然のように「27歳の自分こそが自分だ」と思っているように。

※ ※ ※
2年前の僕は、こういうものを作っていました。うーん、もう信じられない。

2019年1月29日火曜日

第301回 個人的な場所

改めて「やや個人的な場所」が欲しいと思いました。
ここを再開します。

日記のように、思ったことをその都度書き留めておきます。
これは、あとで見返すと非常に面白い。
そしてやっぱり毎日何か書いていないと、書く力はみるみる衰えてゆくのだ、と痛感します。
都合3週間おやすみしていました。その間に筆が鈍ったような気がします。

書けなくてもいいからとにかく毎日机に向かうことが、大切です。
書けない、ということはないのだ、ということがわかります。
そして、いつでも簡単に書ける、ということもないのだ、ということがはっきりとわかります。
今日も書けないな、と思うことも大切だ。

※ ※ ※


昨日は、Fujiくんと会議。
現在ジャグリング道具を入れる袋を作っていて、それを広く売るつもりで、現在試作品をいくつも作っています。
この試作品を作る過程は、PONTEの方で連載の形でわかりやすく、おもしろく伝えていこうと思っています。
最近はいつも桜木町であっているのだが、2月からは新居に引っ越し、(相変わらず横浜なのだが)そちらで重点的で集まれるようになりそうで、それも楽しみである。

ようやく、ばんばん公開していける段階になったな、という感じがする。
そして、僕はすごくたのしみなのである。

※ ※ ※
Fujiくんがモデルをしてくれた、PONTEのTシャツも販売中です。
販売ページも整えなきゃな。

2019年1月8日火曜日

第300回 いったん、この「ジャグリングの郵便箱」を休止にします。

 自分がジャグリングをしていて、それがどれだけ特別なことなのか、ということを時々考える。
 そして、それを他の人に伝える、ということについても考える。
 そうか、自分は少し、特別なことをしているのかもしれないな、と思う。
 なんだかですね、しっかりこれを伝えたいな、と思った。

 昨日、『パリの国連で夢を食う。』という本を読んで、余計にそう思ったのですね。
 自分の体験したことを、こういうふうに誰にでもわかるように書きたいな、と思いました。
 

 
 いったん、この「ジャグリングの郵便箱」を休止にします。
 現在PONTEの方で、欧州ジャグリング紀行を書いていて、そちらのほうに専念したいと思ったためです。
 また、こちらに戻ってくる理由が見つかったら、再開します。

2019年1月6日日曜日

第299回 よい「たたずまい」の本屋さんで本を買うことの最大の喜び

 渋谷駅から歩いていける、SPBS(渋谷パブリッシングブックセラーズ)というお店に足を運んだ。普段の僕だったらいろいろと考えてから行くけど、昨日はすぐ電車に乗った。
 渋谷駅から15分くらい。通りをまっすぐ歩いていくと、とてもオープンなつくりのお店構え。

 雑誌のATLANTISzineがここから作られていたので興味を持った。



 よい「たたずまい」の本屋さんで本を買うことの最大の喜びは、嬉しさが長続きすること。かわいらしいカバーなんかもていねいにかけてもらって、それを見るたびに渋谷まで電車に乗っていったことを思い出す。



2019年1月5日土曜日

第298回 ニュージーランドのフェスティバルについて調べてたらマオリ語が気になってきちゃったよ

ニュージーランドのジャグリングフェスティバルについて調べていた。
http://nzja.org.nz/index.html
今月31日から開催である。

 ニュージーランドのジャグリングフェスティバルには以前に一度行ったことがある。その頃はなんだか鬱々としていたので、なにか面白いことをしよう、と思って、後先考えずに開催一週間前にチケットを取って、ニュージーランドに飛んだ。

 グーグルマップでニュージーランドの地理を見ていたら、マオリ語起源の地名が驚くほどたくさんあることに気づく。なんだか僕は、マオリ語に興味が湧いてきてしまった。


会場の周り。アオンガテテ、オモコロア、カティカティ、など全部マオリ語起源だろう。

 でもマオリ語の教材というのもなかなかないし、まぁ、あまり触れる機会もないだろうなあ、と思っていたんだけど、それなら、あっちの島の方、というくくりで、インドネシア語でもちょっと勉強してみたいなあ、と思ったのであった。

2019年1月4日金曜日

第297回 エスプレッソ


 エスプレッソを今日久々に飲んだ。
 エスプレッソというのは、いいですね。 
 エスプレッソを飲むようになってもう10年くらい経つから、もう苦いともなんとも思わない。ビールと同じだ。僕は20歳の頃、ビールが好きじゃなかった。

 なんでかわからないのだが、今無性にエスプレッソをまた飲みたい。
 何なんでしょうね。
 たぶんイタリアにいた頃の記憶と密接に結びついているからだと思う。
 イタリアの街にいると、100m歩けばカフェがあって、どこでも好きにふらっと入って、「カッフェ、ちょうだい」と言って、ささっと出してくれるエスプレッソを飲んで、「ありがとね」と言って、1ユーロ置いて出ていく、という粋な楽しみがあるのである。

 でさ、店員さんは、果たして僕の顔を見てどう思っていたんだろうね?
  もちろん、もう今の時代、アジア人をあからさまに差別する人ってそれほど僕は会わなかったけど、やっぱり、向こうからしたら、「あ、アジア人だ」くらいは、絶対思うよな。
 で、その「一瞬『あ』と思う感じ」って、あんまり否定できない気がするんだよね。

 そして、僕はカフェで「カッフェ」を頼んで、すすっ、と飲んでさっと出ていくとき、周りの、欧米ルックのイタリア人に同化しているような気分でいるけど、実際には僕はまるっきりアジア人の顔をして、なまったイタリア語で(割に発音はいいほうだけど)「カッフェ・ペルファヴォーレ」とか言ってんだよな。

 カッフェ、行きたいけどさ、また。

2019年1月3日木曜日

第296回 自分はどのジャグリングの部分が好きなのか


 定期的に、自分はジャグリングがそれほど好きじゃないんじゃないか、とか思うわけだが、逆に、もう、好きで好きでたまらない、ということってあるだろうか。
 コメディを見たりするのは、好きだ。しかし、もういてもたってもいられないくらい好きか、と言われたたら、どうだろうな。

 結局、すごくすごくすごく好き、と、まぁ、別に嫌いじゃない、の間の、どこからへんだ、というくらいで、でも、だいたいのものはそんなものだし、それでいいんだろう、と思う。

 で、そもそもジャグリングってどれのことだよ? と思う自分もいる。ジャグリングの、その、運動そのものなのか、それともその周りも含めて、ジャグリングをやっている人と一緒にいたりすることも、ジャグリングの範囲と認識していいのか。

 それが自分でもまだ不明瞭で、どのジャグリングの部分が好きなのか、を、毎日文章を書いて探っている。んだろう。きっと。

2019年1月2日水曜日

第295回 どうかな?



 フィンランドから、電話が急にかかってきた。

 本当に急だったので、びっくりした。でも、この人は時々そういうことをするんだよな。まったく。まぁ、そういうのが、僕は好きなのだが。
 で、話していて言われたんだけど、僕の文章は「変わっちゃった」のだそうだ。

 そうかあ。
 
 たぶんね、それは僕が「他の人の文体を借り始めている」からじゃないかと思うんだよね。一生懸命自分を俯瞰しようとして、「自分」と「文章」を分けようとして、誰かの文体で、自分のことを表しているような気は、最近、している。
 自分で身を絞って文を書くということを、していないのかもしれない。
 でも、今僕はなるべくフラットに、ものを書きたいと思っているところもある。
 あるいは、インターネット上は、今までみたいな書き方の文章を載せる場所じゃないんじゃないかな、と思っている節もあるのかもしれない。
 あとはですね、ずーっと、20代前半の感性や文体でものを書く、というのはちょっと、難しいのである。やっぱり、意図せずとも「変わってしまう」のだ。
 だから、せめて、いい変わり方を少しずつしたいな、と思う。
 って、思うんだけど、どうだろう。
 
 どうかな?

※ ※ ※

 文章を日々書くうちに、器用になりすぎてしまう、みたいなことは、たしかにある。

※ ※ ※

 ジャグリングでも、実はそういうことって、ある。
 僕は最近ジャグリングを大人の人たちに教えていて、その人達が「かっこいい」と感じるものと、僕が僕の基準でかっこいい、と感じているものに、ややズレがある。

 でも僕が、「もう」かっこいいと思わなくなったものも、初めて見る人には、かっこよかったり、きれいだったり、面白かったりする。
 
 今ブレイクダンスの動画を1日1時間ぐらい見ている。僕は、結構な数の動画をおもしろいと思っている。でもきっと目の肥えた人からしたら、「全然違いもわかっとらんで!」という感じなのだろう。

※ ※ ※

 文章のことに戻ると、もう、さんざん書いてきたことを書きたくなくなってしまう、ということもある。いつまでもこういうことを書いてちゃあな、と。

 まぁ、何につけ、あまりに慣れきってしまうと、それもなんだか味気ないよな。

2019年1月1日火曜日

第294回 NAOYAと書かれたティッシュケース


 こんなものが今手元にあってさ。
 これは僕が初めてシンガポールに行った時、帰り際に、ティシューちゃん、という人がくれたものだ。スーツケースの中にばれないように入れられていて、帰国して開けてみたら、これが入っていた。
 ティシューは人を助けるのが好きな人だ。こういうことも、一晩でやってのけるのだ。確か僕が帰る前に何かをあげたんで、それでお返しにくれたんだったと思う。
 その時ティシューは(ちなみに、ティシューというのはもちろんあだ名で、ほんとうは「ヤプ・ズチン」という)ものすごい風邪を引いていて、外を出歩くのもきついような状況だった。それでも飛行場までみんなと一緒に見送りに来てくれたのだ。

 ティシューがティッシュケースをくれた、というのもまた面白いよな。でもこれも僕が、なんだったか、「ティッシュを入れるちょうどいいケースがなくてさあ」というようなことを言ったんだったよ。それでこれをささっと作ってくれたのだ。

 シンガポールはすごくいい場所だ、と僕はよく言うんだけど、そのことの根底には、たとえばこのティッシュケースがある。

 だから僕と出会った外国の人が、「日本はいいところだったよ」と嬉しそうに言ってくれたら、とても嬉しいな、と思う。